曹魏(そうぎ)(曹操(そうそう)・曹丕(そうひ)・曹叡(そうえい)・曹芳(そうほう)・曹髦(そうぼう)・曹奐(そうかん))に仕えた人物の仕官した年を、年表にまとめています。【三国志人物伝】の進捗に合わせて随時追記します。

スポンサーリンク

凡例

凡例

  • 名前の後の( )は没年。
  • 名前の後の( )が緑字の場合は、没年不詳で最後に登場した年。
  • 名前の後の( )が赤字の場合は離脱した年。
  • 名前が[ ]で囲われている場合は、仕官年不明で初出の年。
  • 「○○年間」など、年代に幅がある場合は一番早い年とし、名前の後に★をつける。
  • 記録にはないが、前後から推測した人物には、名前の後に★をつける。
  • 同一年内の記載順は、必ずしも仕官順とは限らない。

三国志配下仕官年表【目次】


スポンサーリンク


曹操配下仕官年表

仕官年 人物
189年
190年
191年  
192年
193年  
194年
195年  
196年
  • [韋端(いたん)(196年)]:鍾繇(しょうよう)と共に馬騰(ばとう)と韓遂(かんすい)を仲裁する使者となる。
  • 韋誕(いたん)・仲将(ちゅうしょう)★(227年〜233年):建安(けんあん)年間(196年〜220年)に京兆尹(けいちょういん)の上計吏(じょうけいり)となる。
  • 袁嗣(えんし)(196年):陳国(ちんこく)・武平県(ぶへいけん)に攻め寄せた曹操(そうそう)の軍に降伏する。
  • 王黒(おうこく)(196年):安楽亭侯(あんらくていこう)に封ぜられ食邑(しょくゆう)3百戸を与えられる。
  • 王思(おうし)★(240年〜249年):西曹令史(せいそうれいし)を務めていた時「政治に関する意見書」を具申(ぐしん)して曹操(そうそう)の機嫌を損(そこ)ねた。
  • 何晏(かあん)・平叔(へいしゅく)★(249年):何晏(かあん)の母・尹氏(いんし)を夫人(ふじん)(側妾(そくしょう))とした曹操(そうそう)に引き取られて養育された。
  • 何儀(かぎ)(196年):曹操(そうそう)に降伏する。
  • 郭嘉(かくか)・奉孝(ほうこう)(207年):荀彧(じゅんいく)の推薦(すいせん)により曹操(そうそう)に召(め)し出される。
  • 郭淮(かくわい)・伯済(はくせい)★(255年):建安(けんあん)年間(196年〜220年)に孝廉(こうれん)に推挙されて、平原府(へいげんふ)の丞(じょう)に任命される。
  • 桓典(かんてん)・公雅(こうが)(201年):献帝(けんてい)が豫州(よしゅう)(予州(よしゅう))・潁川郡(えいせんぐん)・許県(きょけん)に都を置くと光禄勲(こうろくくん)に昇進した。
  • 桓範(かんはん)・元則(げんそく)★(249年):建安(けんあん)年間(196年〜220年)末期に丞相府(じょうしょうふ)に入る。
  • 韓宣(かんせん)・景然(けいぜん)★(220年):建安(けんあん)年間(196年〜220年)に丞相府(じょうしょうふ)の軍謀掾(ぐんぼうえん)に召(め)される。
197年
  • [王則(おうそく)(197年)]:奉車都尉(ほうしゃとい)。曹操(そうそう)の使者として呂布(りょふ)に詔書(しょうしょ)と平東将軍(へいとうしょうぐん)の印綬(いんじゅ)を届けた。
198年
  • 衛弥(えいび)★(???年):徐州(じょしゅう)・広陵郡(こうりょうぐん)の都尉(とい)。
  • 袁渙(えんかん)・曜卿(ようけい)(220年以前):呂布(りょふ)討伐後に取り立てられる。
  • 袁敏(えんびん)(220年以後):呂布(りょふ)討伐後に取り立てられる。
  • 尹礼(いんれい)(198年):呂布(りょふ)討伐後に取り立てられる。
  • 陳紀(ちんき)(199年):呂布(りょふ)討伐後に取り立てられる。
  • 陳羣(ちんぐん)(237年):呂布(りょふ)討伐後に取り立てられる。
  • 張遼(ちょうりょう)(222年):呂布(りょふ)討伐後に取り立てられる。
  • 臧覇(ぞうは)(243年):呂布(りょふ)討伐後に取り立てられる。
  • 孫観(そんかん)(213年 or 217年):呂布(りょふ)討伐後に取り立てられる。
  • 孫康(そんこう)(198年):呂布(りょふ)討伐後に取り立てられる。
  • 呉敦(ごとん)(198年):呂布(りょふ)討伐後に取り立てられる。
  • 王朗(おうろう)・景興(けいこう)(228年):曹操(そうそう)に召(め)し寄せられる。
  • [王必(おうひつ)(218年)]:呂布(りょふ)の縄目を緩(ゆる)めるように命じた曹操(そうそう)に反対した。
  • 王模(おうぼ)(198年):呂布(りょふ)討伐後に取り立てられる。
  • 何夔(かき)・叔龍(しゅくりゅう)(220年):曹操(そうそう)に召(め)し出されて司空(しくう)の掾属(えんぞく)(属官)となる。
199年
200年
201年  
202年
203年
  • [賈信(かしん)(211年)]:袁尚(えんしょう)・袁譚(えんたん)への備えとして黎陽県(れいようけん)に駐屯する。
204年
205年
206年
  • 王琰(おうえん)(206年):上洛都尉(じょうらくとい)。荊州(けいしゅう)に逃亡しようとする高幹(こうかん)を捕らえて斬った。
207年  
208年
209年  
210年  
211年
212年
  • [王霊(おうれい)(212年)]:楊阜(ようふ)・姜叙(きょうじょ)らと鹵城(ろじょう)で兵を挙(あ)げ、馬超(ばちょう)を南方の張魯(ちょうろ)の下(もと)に逃走させた。
213年
  • [韋康(いこう)・元将(げんしょう)(213年)]:馬超(ばちょう)に降伏し処刑される。
  • [袁覇(えんは)・公恪(こうかく)(220年)]:曹操(そうそう)に魏公(ぎこう就任を勧める30名の連名の中に「長史(ちょうし・袁覇(えんは)」の名前がある。
  • [王選(おうせん)(213年)]:曹操(そうそう)に魏公(ぎこう就任を勧める30名の連名の中に「祭酒(さいしゅ)・王選(おうせん)」の名前がある。
  • [王図(おうと)(213年)]:曹操(そうそう)に魏公(ぎこう就任を勧める30名の連名の中に「祭酒(さいしゅ)・王図(おうと)」の名前がある。
214年
215年
  • [殷署(いんしょ)(219年)]:元韓遂(かんすい)・馬超(ばちょう)配下の兵5千余人を統率し、羌族(きょうぞく)の来攻や反乱を鎮圧する。
  • 閻圃(えんほ)(230年〜236年):張魯(ちょうろ)と共に降伏する。
  • 王平(おうへい)・子均(しきん)(215年):益州(えきしゅう)・巴郡(はぐん)の豪族、蛮王(ばんおう)の杜濩(とこ)、賨邑侯(そうゆうこう)の朴胡(ふこ)らと共に曹操(そうそう)に帰順した。
  • 解𢢼(かいひょう)(解忄剽 )(215年):曹操(そうそう)の張魯(ちょうろ)征討に従軍し、高祚(こうそ)と共に夜襲をかけて楊任(ようじん)を斬り、張衛(ちょうえい)を遁走(とんそう)させた。
  • [郭諶(かくしん)(215年)]:張魯(ちょうろ)征伐から撤退しようとする曹操(そうそう)を諫(いさ)めた。
216年  
217年
218年
  • [韋晃(いこう)(218年)]:司直(ししょく)。漢(かん)の大医令(たいいれい)・吉本(きつほん)、少府(しょうふ)・耿紀(こうき)らと許県(きょけん)で反乱を起こす。
  • [侯音(こうおん)(219年)]:衛開(えいかい)と宛県(えんけん)で反乱を起こす。
  • [衛開(えいかい)(219年)]:侯音(こうおん)と宛県(えんけん)で反乱を起こす。
  • 応余(おうよ)・子正(しせい)(218年):南陽郡(なんようぐん)の功曹(こうそう)となる。
  • [郭玄信(かくげんしん)(218年)]:謁者(えっしゃ)。漢(かん)の大医令(たいいれい)・吉本(きつほん)、少府(しょうふ)・耿紀(こうき)らの反乱に連座して罷免(ひめん)される。
  • 楽綝(がくりん)(楽綝(がくちん))(257年):父・楽進(がくしん)の後を継いだ。
219年
  • [蒯祺(かいき)(219年)]:房陵太守(ぼうりょうたいしゅ)。孟達(もうたつ)の兵によって殺害された。
  • [王業(おうぎょう)・長緒(ちょうしょ)(219年)]:相国掾(しょうこくえん)の魏諷(ぎふう)が反逆を企(くわだ)てた時、これに参加した王粲(おうさん)の2人の子が処刑されると、文帝(ぶんてい)(曹丕(そうひ))は王業(おうぎょう)を王粲(おうさん)の後継ぎとした。
  • [王粲(おうさん)の子(219年)]:相国掾(しょうこくえん)の魏諷(ぎふう)の反逆に加担した罪で処刑された。
220年
  • [王欽(おうきん)(240年)]:青州(せいしゅう)・東萊郡(とうらいぐん)・昌陽県(しょうようけん)で王営(おうえい)が起こした反乱を平定した。
  • [王毖(おうひ)(220年)]:魏王(ぎおう)(曹丕(そうひ))に禅譲(ぜんじょう)を受けるように勧める言上をした。
  • [霍性(かくせい)(220年)]:度支中郎将(たくしちゅうろうしょう)。魏王(ぎおう)(曹丕(そうひ))の南征を諫言(かんげん)して処刑された。
  • [灌均(かんきん)(220年)]:監国謁者(かんこくえっしゃ)。魏王(ぎおう)(曹丕(そうひ))に迎合(げいごう)して曹植(そうしょく)を誣告(ぶこく)した。

スポンサーリンク


文帝(曹丕)臣下仕官年表

仕官年 人物
220年
221年
222年
223年  
224年  
225年
  • [郭表(かくひょう)(235年)]:郭皇后(かくこうごう)が亡くなると観津侯(かんしんこう)に封ぜられ、5百戸を加増された。
226年

スポンサーリンク


スポンサーリンク

明帝(曹叡)臣下仕官年表

仕官年 人物
226年
227年
228年
229年
230年
231年
  • [賈栩(かく)(231年)]:司馬懿(しばい)の部将。諸葛亮(しょかつりょう)と戦おうとしない司馬懿(しばい)に戦うように求めた。
232年  
233年  
234年  
235年  
236年
  • [于綽(うしゃく)(236年)]:張臶(ちょうせん)に瑞祥(ずいしょう)について質問する。
237年
  • 夏侯献(かこうけん)★(238年):「公孫淵(こうそんえん)への使者に奉車都尉(ほうしゃとい)の鬷弘(そうこう)を推薦する」上奏をした。
238年
  • [王贇(おういん)(238年)]:広魏太守(こうぎたいしゅ)。南安太守(なんあんたいしゅ)・游奕(ゆうえき)と共に蜀(しょく)の廖惇(りょうとん)(廖化(りょうか))の討伐に当たったが、流れ矢に当たって死んだ。
  • [游奕(ゆうえき)(238年)]:南安太守(なんあんたいしゅ)。広魏太守(こうぎたいしゅ)・王贇(おういん)と共に蜀(しょく)の廖惇(りょうとん)(廖化(りょうか))の討伐に当たったが、廖惇(りょうとん)(廖化(りょうか))に撃ち破られた。
239年
  • 郭建(かくけん)・叔始(しゅくし)★(266年):従兄弟(いとこ)の郭氏(かくし)(郭皇后(かくこうごう))が明帝(めいてい)(曹叡(そうえい))の皇太后(こうたいごう)となると父・郭立(かくりつ)の爵位を継いだ。

スポンサーリンク


スポンサーリンク


厲公(曹芳)臣下仕官年表

仕官年 人物
239年
240年
241年
  • [乙修(いつしゅう)(241年)]:呉(ご)の朱然(しゅぜん)が樊城(はんじょう)を包囲した際の魏(ぎ)の守将(しゅしょう)。
242年  
243年  
244年  
245年  
246年
  • [袁淮(えんわい)(246年)]:曹爽(そうそう)を諫(いさ)めたが、聞き入れられなかった。
247年  
248年  
249年
250年  
251年
252年
253年
  • [楽方(がくほう)(253年)]:呉(ご)の太傅(たいふ)・諸葛恪(しょかつかく)が合肥(がっぴ)の新城を包囲した時の守将の1人。
254年
  • [袁亮(えんりょう)(256年)]:司馬師(しばし)のクーデターに賛同する者たちの上奏文の中に「長合郷侯(ちょうごうきょうこう)臣袁亮(えんりょう)」の名前がある。
  • [王夔(おうき)(254年)]:娘の王氏(おうし)が皇后(こうごう)に立てられると、光禄大夫(こうろくたいふ)に任命された。
  • 夏侯本(かこうほん)★(254年):昌陵亭侯(しょうりょうていこう)に封ぜられ、夏侯尚(かこうしょう)の後を継ぐ。
  • [雲午(うんご)(254年)]:曹芳(そうほう)に仕える役者。
  • [楽敦(がくとん)(254年)]:永寧署令(えいねいしょれい)(宦官(かんがん))。中書令(ちゅうしょれい)・李豊(りほう)の司馬師(しばし)誅殺(ちゅうさつ)に参加した。

スポンサーリンク


スポンサーリンク


曹髦臣下仕官年表

仕官年 人物
254年
  • [王羕(おうよう)(254年)]:中書令(ちゅうしょれい)の李豊(りほう)を呼び出す司馬師(しばし)の使者となった。
255年
256年  
257年
  • 王簡(おうかん)(257年):賊徒(ぞくと)に殺害された県長(けんちょう)(鄭煕(ていき))を郷里まで運んだことにより、忠義都尉(ちゅうぎとい)に任命された。
  • 楽肇(がくちょう)(257年):父・楽綝(がくりん)(楽綝(がくちん))の後を継いだ。
258年
259年  
260年
  • [王業(おうぎょう)(260年)]:曹髦(そうぼう)の挙兵計画を司馬昭(しばしょう)に報告した。

スポンサーリンク


スポンサーリンク

元帝(曹奐)臣下仕官年表

仕官年 人物
260年  
261年  
262年  
263年
  • [爰邵(えんしょう)(263年)]:鄧艾(とうがい)が見た夢の意味を答える。
  • [爰𩇕(えんせい)(263年)]:鍾会(しょうかい)の参軍(さんぐん)として蜀(しょく)討伐に参加する。
  • [王起(おうき)(263年)]:鍾会(しょうかい)の反乱に際し、鍾会(しょうかい)討伐の情報を流して将兵を勇気づけた。
  • [王戎(おうじゅう)・濬沖(しゅんちゅう)(305年)]:相国(しょうこく)(司馬昭(しばしょう))の掾(えん)となる。
  • [王買(おうばい)(263年)]:魏(ぎ)の蜀(しょく)侵攻の際、鍾会(しょうかい)に従い、参軍(さんぐん)の皇甫闓(こうほがい)と共に成都(せいと)に向かう姜維(きょうい)らの腹部を突いた。
  • [夏侯咸(かこうかん)(263年)]:魏(ぎ)の蜀(しょく)侵攻の際、鍾会(しょうかい)に従い、逃走する姜維(きょうい)らの行く手を遮(さえぎ)った。
  • [賈輔(かほ)(263年)]:鍾会(しょうかい)の反乱に際し、散将(さんしょう)の王起(おうき)に鍾会(しょうかい)討伐の情報を流して将兵を勇気づけた。
  • [郭純(かくじゅん)(263年)]:呉(ご)が派遣した武陵太守(ぶりょうたいしゅ)・鍾離牧(しょうりぼく)に対抗して武陵太守(ぶりょうたいしゅ)に任命された。
264年
  • 衛烈(えいれつ)★(264年):光禄勲(こうろくくん)に任命される。
  • 王悝(おうかい★(264年):咸熙(かんき)年間(264年〜265年)に膠東子(こうとうし)に取り立てられる。
  • [王稚(おうち)(264年)]:海から揚州(ようしゅう)・会稽郡(かいけいぐん)・句章県(こうしょうけん)に侵入した。
265年

スポンサーリンク


仕官時期不明の人物

え

お

か

き

と

も