正史『三国志』、『三国志演義』に登場する人物たちの略歴、個別の詳細記事、関連記事をご案内する【三国志人物伝】の「お」から始まる人物の一覧⑱。左馮翊王氏(王琰・王嘉)です。
スポンサーリンク
系図
凡例
後漢〜三国時代にかけての人物は深緑の枠、それ以外の時代の人物で正史『三国志』に名前が登場する人物はオレンジの枠、『三国志演義』にのみ登場する架空の人物は水色の枠で表しています。
左馮翊王氏系図
左馮翊王氏系図
この記事では左馮翊王氏の人物、
についてまとめています。
その他の左馮翊王氏(王九真)
スポンサーリンク
お⑱(左馮翊王氏)
第1世代(王琰)
王琰
生没年不詳。司隷・左馮翊の人。子に王嘉。護羌校尉。
たびたび郡守(太守)となったが、清廉潔白と目される人物ではなかった。
袁紹の甥で幷州刺史の高幹は、曹操が鄴県が陥落させた時に降伏し、そのまま幷州刺史に任命されていたが、その後曹操が烏丸の征討に向かったことを聞き、州を挙げて反乱を起こした。
建安11年(206年)春正月、曹操が高幹征伐の軍を起こすと、高幹は荊州に逃亡したが、上洛都尉であった王琰は、彼を捕らえて斬った。
王琰は高幹を捕らえた手柄によって侯に取り立てられたが、彼の妻は、王琰が富貴を得れば、別に妾を娶って自分への愛が奪われてしまうと考え、部屋で大声をあげて泣いたという。
「王琰」の関連記事
第2世代(王嘉)
王嘉
生没年不詳。司隷・左馮翊の人。父は王琰。
県令・県長を歴任し、世故(世間の俗事や習慣)に長けた人物とされていた。
散騎郎から左馮翊の中正*1に転任し、吉茂の人品を等級づけることになった王嘉は、彼を「上級に位置するが容姿ははなはだ劣る」と評価した上に「徳はすぐれているが能力に乏しい」と述べた。
すると吉茂はムカっとして「ひどいものだ。儂はお前たち父子のように官服で人を脅すような真似はしない」と言ったという。
脚注
*1九品官人法(九品中正)を司り、人材の選抜推挙に当たる。
「王嘉」の関連記事
スポンサーリンク