正史『三国志』、『三国志演義』に登場する人物たちの略歴、個別の詳細記事、関連記事をご案内する【三国志人物伝】の「え」から始まる人物の一覧⑧爰氏(爰邵・爰翰・爰敞・爰倩・爰兪)です。
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系図
凡例
後漢〜三国時代にかけての人物は深緑の枠、それ以外の時代の人物で正史『三国志』に名前が登場する人物はオレンジの枠、『三国志演義』にのみ登場する架空の人物は水色の枠で表しています。
爰氏系図
爰氏系図
この記事では爰氏の人物、
についてまとめています。
爰邵の本籍について
爰邵の一族については『魏書』鄧艾伝と、『魏書』鄧艾伝が注に引く荀綽の『冀州記』に記述がありますが、本籍については記載がありません。
爰邵の本籍については「魏晋南北ブログ」さまが考察しておられます。
- 益州刺史の爰邵≒袁邵 – 魏晋南北ブログ
http://gishinnanboku.blog.fc2.com/blog-entry-2431.html
※引用元サイト様が常時SSL化(https化)されていないため直接リンクを張っておりません。ご了承ください。
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え⑧(爰氏)
第1世代(爰邵)
爰邵
生没年不詳。子に爰翰、爰敞、爰倩。孫に爰兪。魏の事務官から出世して衛尉にまで官位が昇った。
鄧艾が蜀討伐に赴く際、「山頂に座って流水を見る」夢を見た。当時殄虜護軍であった爰邵にそのことを質問すると、爰邵は次のように答えた。
「『易』の卦を調べると、山上に水があるのを蹇と申します。蹇の繇(占いのことば)に『蹇は西南に有利であり、東北に不利である』とあり、孔子は『蹇が西南に有利というのは、出かければ功績を挙げられる意味であり、東北に不利というのは、その道が行き詰まることを意味する』と申しています。出かければ必ず蜀に勝ちましょうが、おそらくは帰還できないでしょう」
これを聞いた鄧艾は憮然として心晴れない様子だった。
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第2世代(爰翰・爰敞・爰倩)
第3世代(爰兪)
爰兪・世都
生没年不詳。父は爰翰。祖父に爰邵。
清潔・貞正で質素を尊び、弁舌爽やかに論議し、公孫龍*1の言辞(言葉遣い)を取り入れて微妙な論理を操った。
若くして有能と評判を立てられ、太尉の役所に召し出されると、やがて高官を歴任して侍中・中書令に昇り、中書監に昇進した。
脚注
*1戦国時代の論理学者。
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