正史せいし三国志さんごくし三国志演義さんごくしえんぎに登場する人物たちの略歴、個別の詳細記事、関連記事をご案内する【三国志人物伝】の「か」から始まる人物の一覧(111)[寒浞かんさく寒風かんぷう韓風かんぷう)]です。

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凡例・目次

凡例

後漢ごかん〜三国時代にかけての人物は深緑の枠、それ以外の時代の人物で正史せいし三国志さんごくしに名前が登場する人物はオレンジの枠、三国志演義さんごくしえんぎにのみ登場する架空の人物は水色の枠で表しています。

目次


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か(111)

寒(かん)

寒浞かんさく

生没年不詳。王朝の簒奪さんだつ者。

の子・けい夏后帝啓かこうていけい)が崩御すると、子の太康たいこうが位にいたが、太康たいこうほうぼうめぐり遊ぶことに夢中でみやこかえらなかった。

そこで有窮后羿ゆうきゅうこうげいは、太康たいこうの弟・仲康ちゅうこう中康ちゅうこう)を立てて王朝の政事を専横したが、の2人が「君臣の義」を守って服従しなかったため、羿げいおうの命令といつわって胤侯いんこうに2人を征伐させた。

その後、仲康ちゅうこう中康ちゅうこう)が崩御すると、その子・しょうが位にいたが、羿げいしょう放逐ほうちくしてみずから立ち、そしてまた羿げい寵臣ちょうしん寒浞かんさく羿げいを殺害してみずから立った。

この時、有仍国ゆうじょうこくの国君のむすめであるしょうこう皇后こうごう)は、すでに妊娠しており、有仍国ゆうじょうこくに逃亡して少康しょうこうを生んだ。

その後 少康しょうこうは、10里四方の田地と5百人の軍隊(原文:有田一成,有衆一旅)を有するようになると、王朝の旧臣・の力を借りて兵をげ、寒浞かんさくを滅ぼしての業績を取り戻した。


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寒風かんぷう韓風かんぷう*1

生没年不詳。

蜀書しょくしょ郤正伝げきせいでんが注に引く淮南子えなんじ斉俗訓せいぞくくんに名前が登場する。

郤正げきせいあらわした釋譏しゃくき(「批判に対する釈明」の意)の「」に、

「昔(良馬を見分ける場合)、九方きゅうほうは最高の馬にひそむ精気を観察し、秦牙しんが外貌がいぼうしに思いをらした」

とあり、これに対する注に、

伯楽はくらく寒風かんぷう秦牙しんが葛青かつせいは、鑑定の仕方はそれぞれ異なったが、馬を知っている点では同じであった」

とある。

脚注

*1注・原文の寒風かんぷう淮南子えなんじでは韓風かんぷうに作る。
淮南子えなんじ原文:伯樂、韓風、秦牙、管青,所相各異,其知馬一也。


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