初めて三国志に触れた方は、聞き慣れない中国の人名や地名、官職名などの区別がつかずに戸惑ってしまいますよね。
その中でもややこしいのが地名です。まずは後漢当時の地名を頭に入れておきましょう。

スポンサーリンク

後漢時代の地方制度

まず頭に入れておきたいのが、後漢当時の地方制度です。

当時中国大陸に点在する都市を県とし、いくつかの県をまとめた地域を郡とし、さらにいくつかの郡をまとめたものを州として行政区画を定めていました。

現在の日本に例えて言うと、

北海道・東北地方・関東地方・東海地方・北陸地方・中部地方・関西地方・中国地方・四国地方・九州地方のような区分。
関東地方を例にすると、東京都・埼玉県・神奈川県・千葉県・群馬県・栃木県・茨城県のような区分。
各都道府県の市町村にあたる区分。

『三国志』を読んでいて難しいのが、州・郡・県のどの名前のことを言っているのか分かりづらいところです。

例えば同じ「江陵城こうりょうじょう」を攻める場合でも「江陵こうりょうを攻める」と言ったり「南郡なんぐんを攻める」と言ったり「荊州けいしゅうを攻める」と言ったりするのです。

『三国志』をゲームから親しんだ場合、ゲームのマップでは県名で表記されていることが多いので「南郡なんぐん」ってどこ?という状態になってしまいます。

それでは実際に地図で確認してみましょう。


スポンサーリンク


後漢の13州

後漢の州名

後漢ごかんの13州


後漢の末期、三国志の物語が始まる頃の後漢の支配地は、

司隷しれい
豫州よしゅう
冀州きしゅう
兗州えんしゅう
徐州じょしゅう
青州せいしゅう
荊州けいしゅう
揚州ようしゅう
益州えきしゅう
涼州りょうしゅう
幷州へいしゅう
幽州ゆうしゅう
交阯刺史部こうしししぶ

の、13州に分割されていました。

それぞれの州は、州牧・州刺史によって治められています。また、後漢の首都・洛陽のある司隷には、特別に司隷校尉という官職が設けられています。

雍州ようしゅうについてはこちら

三国志関連の地図の中には、司隷しれいの西部、涼州りょうしゅうの南部に雍州ようしゅうが設置されているものがあります。

雍州ようしゅうは、194年以降に新しく設置された州になります。雍州ようしゅうについて知りたい方は、こちらをご覧ください。

【三国志地図】後漢末〜三国時代の州・郡の変遷をチェック!

三国時代[景元けいげん3年(262年)]の地図はこちらから

【三国志地図】目次



スポンサーリンク


それぞれの郡は、太守によって治められています。爵位を持つ者の領土を預かって統治する場合は、太守ではなく王国相、公国相、侯国相になります。

後漢の首都である洛陽がある河南と前漢の首都であった長安がある京兆は、郡ではなく河南尹(かなんいん)、京兆尹(けいちょういん)と呼びます。

また、一部の郡を除いてその名を使う時に郡をつけないのが普通です。

司隷(しれい)

司隷の領郡

司隷しれい基本データ

領郡数:7郡

領城数:106城

人口:約2,820,000人

司隷しれいに含まれる郡

河南尹かなんいん
河内かだい
河東かとう
弘農こうのう
京兆尹けいちょういん
左馮翊さひょうよく
右扶風ゆうふふう
関連記事

【三国志地図】「司隷(しれい)」の郡県詳細地図(後漢末期)

豫州(よしゅう)

豫州(よしゅう)の領郡

豫州よしゅう基本データ

領郡数:6郡

領城数:99城

人口:約6,179,000人

豫州よしゅうに含まれる郡

潁川えいせん
汝南じょなん
梁国りょうこく
沛国はいこく
陳国ちんこく
魯国ろこく
関連記事

【三国志地図】「豫州/予州(よしゅう)」の郡県詳細地図(後漢末期)

冀州(きしゅう)

冀州(きしゅう)の領郡

冀州きしゅう基本データ

領郡数:9郡

領城数:100城

人口:約5,932,000人

冀州きしゅうに含まれる郡

魏郡ぎぐん
鉅鹿きょろく
常山国じょうざんこく
中山国ちゅうざんこく
安平国あんぺいこく
河間国かかんこく
清河国せいがこく
趙国ちょうこく
勃海ぼっかい
関連記事

【三国志地図】「冀州(きしゅう)」の郡県詳細地図(後漢末期)

兗州(えんしゅう)

兗州(えんしゅう)の領郡

兗州えんしゅう基本データ

領郡数:8郡

領城数:80城

人口:約4,052,000人

兗州えんしゅうに含まれる郡

陳留ちんりゅう
東郡とうぐん
東平国とうへいこく
任城国にんじょうこく
泰山たいざん
済北国せいほくこく
山陽さんよう
済陰せいいん
関連記事

【三国志地図】「兗州(えんしゅう)」の郡県詳細地図(後漢末期)

徐州(じょしゅう)

徐州(じょしゅう)の領郡

徐州じょしゅう基本データ

領郡数:5郡

領城数:62城

人口:約2,792,000人

徐州じょしゅうに含まれる郡

東海とうかい
琅邪国ろうやこく
彭城国ほうじょうこく
広陵こうりょう
下邳国かひこく
関連記事

【三国志地図】「徐州(じょしゅう)」の郡県詳細地図(後漢末期)

青州(せいしゅう)

青州(せいしゅう)の領郡

青州せいしゅう基本データ

領郡数:6郡

領城数:65城

人口:約3,710,000人

青州せいしゅうに含まれる郡

済南国せいなんこく
平原国へいげんこく
楽安国らくあんこく
北海国ほっかいこく
東萊郡とうらいぐん
斉国せいこく
関連記事

【三国志地図】「青州(せいしゅう)」の郡県詳細地図(後漢末期)

荊州(けいしゅう)

荊州(けいしゅう)の領郡

荊州けいしゅう基本データ

領郡数:7郡

領城数:117城

人口:約6,266,000人

荊州けいしゅうに含まれる郡

南陽なんよう
南郡なんぐん
江夏こうか
武陵ぶりょう
長沙ちょうさ
零陵れいりょう
桂陽けいよう
関連記事

【三国志地図】「荊州(けいしゅう)」の郡県詳細地図(後漢末期)

揚州(ようしゅう)

揚州の領郡

揚州ようしゅう基本データ

領郡数:6郡

領城数:92城

人口:約4,338,538人

揚州ようしゅうに含まれる郡

九江きゅうこう
丹陽たんよう
廬江ろこう
会稽かいけい
呉郡ごぐん
豫章よしょう
関連記事

益州(えきしゅう)

益州(えきしゅう)の領郡

益州えきしゅう基本データ

領郡数:12郡

領城数:118城

人口:約7,242,000人

益州えきしゅうに含まれる郡

漢中かんちゅう
巴郡はぐん
広漢こうかん
蜀郡しょくぐん
犍為けんい
牂牁そうか
越巂えっすい
益州えきしゅう
永昌えいしょう
広漢属国こうかんぞっこく
蜀郡属国しょくぐんぞっこく
犍為属国けんいぞっこく
関連記事

【三国志地図】「益州(えきしゅう)」の郡県詳細地図(後漢末期)

涼州(りょうしゅう)

涼州(りょうしゅう)の領郡

涼州りょうしゅう基本データ

領郡数:12郡

領城数:98城

人口:約399,000人

涼州りょうしゅうに含まれる郡

隴西ろうせい
漢陽かんよう
武都ぶと
金城きんじょう
安定あんてい
北地ほくち
武威ぶい
酒泉しゅせん
敦煌とんこう
張掖ちょうえき
張掖属国ちょうえきぞっこく
張掖居延属国ちょうえきょえんぞっこく
関連記事

【三国志地図】「涼州(りょうしゅう)」の郡県詳細地図(後漢末期)

幷州(へいしゅう)

幷州(へいしゅう)の領郡

幷州へいしゅう基本データ

領郡数:9郡

領城数:98城

人口:約687,000人

幷州へいしゅうに含まれる郡

上党じょうとう
太原たいげん
上郡じょうぐん
西河せいが
五原ごげん
雲中うんちゅう
定襄ていじょう
雁門がんもん
朔方さくほう
関連記事

【三国志地図】「幷州/并州(へいしゅう)」の郡県詳細地図(後漢末期)

幽州(ゆうしゅう)

幽州(ゆうしゅう)の領郡

幽州ゆうしゅう基本データ

領郡数:11郡

領城数:90城

人口:約1,963,000人

幽州ゆうしゅうに含まれる郡

広陽こうよう
涿郡たくぐん
代郡だいぐん
上谷じょうこく
漁陽ぎょよう
右北平ゆうほくへい
遼西りょうせい
玄菟げんと
楽浪らくろう
遼東りょうとう
遼東属国りょうとうぞっこく
関連記事

【三国志地図】「幽州(ゆうしゅう)」の郡県詳細地図(後漢末期)

交阯(こうし)

交趾・交阯(交州)の領郡

交阯こうし基本データ

領郡数:7郡

領城数:56城

人口:約1,114,000人

交阯こうしに含まれる郡

南海なんかい
蒼梧そうご
鬱林うつりん
合浦がっぽ
交阯こうし
九真きゅうしん
日南じつなん
関連記事

【三国志地図】「交趾/交阯(交州)」の郡県詳細地図(後漢末期)


それぞれの県は、大きな県は県令、小さな県は県長によって治められています。また、侯の爵位を持つ者の場合、長は侯国相となります。

中国の都市と城

中国の都市は非常に高い防壁で囲まれ、いくつかの城門が設置されており、都市全体が城の役割をはたしていました。

州や郡の首都となる大きな都市では、城壁の高さが7丈(約21m)もあったといいますから、城壁を乗り越えるためにはビルの7階ほどの高さを登らなくてはいけないことになります。

主な県

すべての県を地図上に示すことはできませんので、三国志に登場する主な県をご紹介します。


三国志に登場する主な県

司隷しれい

河南尹かなんいん洛陽らくよう

京兆尹けいちょういん長安ちょうあん

右扶風ゆうふふう陳倉ちんそう

豫州よしゅう

沛国はいこくしょうはい小沛しょうはい

潁川郡えいせんぐんきょ

冀州きしゅう

魏郡ぎぐんぎょう

勃海郡ぼっかいぐん南皮なんぴ

兗州えんしゅう

東郡とうぐん濮陽ぼくよう白馬はくば

徐州じょしゅう

下邳国かひこく下邳かひ

青州せいしゅう

平原郡へいげんぐん平原へいげん

荊州けいしゅう

南陽郡なんようぐんえん新野しんや

南郡なんぐん襄陽じょうよう江陵こうりょう夷陵いりょう

揚州ようしゅう

丹陽郡たんようぐん秣陵ばつりょう(後に建業けんぎょう

九江郡きゅうこうぐん寿春じゅしゅん合肥がっぴ

豫章郡よしょうぐん柴桑さいそう

益州えきしゅう

蜀郡しょくぐん成都せいと

広漢郡こうかんぐん緜竹めんちくらく

巴郡はぐん江州こうしゅう

涼州りょうしゅう

隴西郡ろうせいぐん狄道てきどう

幽州ゆうしゅう

広陽郡こうようぐんけい

遼東郡りょうとうぐん襄平じょうへい


その他の地名

県と県は街道によってつながっていますが、街道沿いに自然発生したきょうといった集落がある他、街道の10里(約4km)ごとにていという宿場町のようなものがありました。

前漢ぜんかんをおこした劉邦りゅうほうも元は沛県はいけん亭長ていちょうであったと言いますから、日本で言えば豊臣秀吉とよとみひでよしのような大出世と言えますね。

その他、函谷関かんこくかんのような防衛施設を持った関所や、樊城はんじょうのような純粋な城、赤壁せきへき街亭がいていのような地域をさす地名などがあります。

関連記事

【三国志地図】目次


諸葛亮諸葛亮

我が君、そちらへ逃げては敵陣に戻ってしまいますぞ!
少しは地名も覚えてくだされ…。