正史『三国志』、『三国志演義』に登場する人物たちの略歴、個別の詳細記事、関連記事をご案内する【三国志人物伝】の「お」から始まる人物の一覧㉓、「王」から始まる人物の一覧㉒(王営・王越・王海・王楷・王咸・王簡・王含)です。
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凡例・目次
凡例
後漢〜三国時代にかけての人物は深緑の枠、それ以外の時代の人物で正史『三国志』に名前が登場する人物はオレンジの枠、『三国志演義』にのみ登場する架空の人物は水色の枠で表しています。
目次
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お㉒(王㉑)
王(おう)
王営
生没年不詳。青州・東萊郡・東牟国の人。
曹操から離反者の多い青州・長広郡の太守に任命された何夔は、黄巾の残党・管承に利害を説き、牟平県の賊・従銭を張遼と共に討伐して彼らを平定した。
その後王営は3千余軒を仲間とし、昌陽県を脅迫して反乱を起こしたが、何夔に計略を授けられた王欽によって離散させられた。
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王越
生没年不詳。桓帝・霊帝期の虎賁(近衛兵)。都[洛陽(雒陽)]で名の知れた剣術の使い手。
曹丕は、王越の元に遊学して充分にその法を会得したと称する史阿について学び、剣術に精通した。
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王海
生年不詳〜建安18年(213年)没。揚州・豫章郡の平民。
建安18年(213年)、豫章郡の東部の平民、王海、彭材、李玉らが立ち上がって反乱を起こし、1万人以上の者がその配下に集まった。
孫権配下の賀斉がこれを討伐し、首謀者は誅殺されて、他の者たちはみな降伏した。
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王楷
生没年不詳。兗州の従事中郎。
興平元年(194年)、曹操が2度目の陶謙討伐に出陣すると、王楷は張邈、張超、陳宮、許汜らと結託して曹操に謀叛し、呂布を兗州に迎え入れた。
その後、兗州に引き返して来た曹操に敗れ下邳県を包囲された呂布は、許汜と王楷を派遣して袁術に救援を求めさせた。
この時、許汜と王楷は「今、呂布を救援なさらず呂布が破滅すれば、明上(袁術)もまた破滅されましょう」と言って袁術を説得し、袁術は救援の姿勢を示したが、結局救援することはできなかった。
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王簡
生没年不詳。幽州・玄菟郡・高顕県の平民。
幽州・玄菟郡・高顕県の官民が反乱を起こし、県長の鄭煕が賊徒によって殺害された。この時平民の王簡は、鄭煕の遺体を背負い、夜を日に継いではるばる鄭煕の郷里まで運んだ。
魏の甘露2年(257年)夏4月、詔勅が下され「王簡の忠節には称賛すべきものがある」として特別に忠義都尉に任命され、優れた行為を表彰された。
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王含
生没年不詳。蜀の監軍。
魏の景元4年(263年)秋、司馬昭は鄧艾、諸葛緒にそれぞれ3万、鍾会に10万の兵を率いさせ、蜀に侵攻を開始した。
この時、5千の兵で漢中郡の楽城の守備についていた蜀の監軍・王含は、鍾会が指揮する前将軍・李輔の1万の兵に包囲された。
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