蜀漢しょくかん劉備りゅうび劉禅りゅうぜん)に仕えた人物の仕官した年を、年表にまとめています。【三国志人物伝】の進捗に合わせて随時追記します。

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凡例

凡例

  • 名前の後の( )は没年。
  • 名前の後の( )が緑字の場合は、没年不詳で最後に登場した年。
  • 名前の後の( )が赤字の場合は離脱した年。
  • 名前が[ ]で囲われている場合は、仕官年不明で初出の年。
  • 「○○年間」など、年代に幅がある場合は一番早い年とし、名前の後に★をつける。
  • 記録にはないが、前後から推測した人物には、名前の後にをつける。
  • 同一年内の記載順は、必ずしも仕官順とは限らない。

三国志配下仕官年表【目次】


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劉備(昭烈帝)配下仕官年表

仕官年 人物
184年*1
185年  
186年  
187年  
188年  
189年  
190年  
191年
  • 趙雲ちょううん???年):公孫瓚こうそんさんの別将として従う。兄のに服すため離脱。
192年  
193年  
194年
195年  
196年  
197年  
198年  
199年  
200年
  • 趙雲ちょううん(229年):袁紹えんしょうを頼った劉備りゅうび鄴県ぎょうけんで再開して仕える。
  • 夏侯博かこうはく200年)]:曹操そうそうりにされる。
201年
  • 尹黙いんもく思潜しせん(234年以降):劉璋りゅうしょうに仕えた記録がないことから、荊州けいしゅう遊学時に劉備りゅうびに仕えたものと思われる。
202年
203年  
204年  
205年  
206年  
207年  
208年
209年  
210年
211年
212年
  • 王普おうふ212年)]:広漢太守こうかんたいしゅ主簿しゅぼ広漢太守こうかんたいしゅ夏侯纂かこうさんに従って秦宓しんみつやしきおとずれた。
  • 夏侯纂かこうさん212年)]:広漢太守こうかんたいしゅ秦宓しんみつ招聘しょうへいしようと秦宓しんみつやしきおとずれたが、秦宓しんみつを任官させることはできなかった。
213年  
214年
215年
  • 袁龍えんりょう(215年)]:中郎将ちゅうろうしょう長沙郡ちょうさぐん醴陵県れいりょうけん孫権そんけんに反乱を起こすが、呂岱りょたいに敗れて斬られた。
  • 呉碭ごとう215年)]:安成県長あんせいけんちょう長沙郡ちょうさぐん攸県ゆうけん孫権そんけんに反乱を起こすが、魯粛ろしゅくの攻撃を受け逃亡した。
216年  
217年  
218年  
219年
  • 陰化いんか223年)]:武陽県令ぶようけんれい犍為太守けんいたいしゅ李厳りげんらと「黄龍甘露碑こうりゅうかんろひ」を立てる。
  • 王平おうへい子均しきん(248年):劉備りゅうびに降伏して牙門将がもんしょう裨将軍ひしょうぐんに任命された。
  • 郭睦かくぼく219年)]:南郷太守なんきょうたいしゅ関羽かんう樊城はんじょう曹仁そうじんを攻撃した際、呂蒙りょもうの後任の陸遜りくそんに大いに撃ち破られた。
220年
  • 殷純いんじゅん(220年)]:大司馬だいしばぞく。12名の連名で劉備りゅうびに帝位を勧める上奏文を奉じた。
  • 王謀おうぼう220年)]:少府しょうふ諸葛亮しょかつりょうらと連名で劉備りゅうびに帝位を勧める上奏文を奉じた。
  • 韓冉かんぜん220年)]:軍謀掾ぐんぼうえん曹操そうそうの死に際し、弔問ちょうもんの使者となった。
221年  
222年
  • 閻芝えんし228年以前)]:巴西太守はせいたいしゅ夷陵いりょうの戦いの敗戦後に5千の兵を徴発ちょうはつして馬忠ばちゅうに預けた。
223年
脚注

*1ここでは劉備りゅうびの挙兵を、光和こうわ7年(184年)の「黄巾こうきんの乱」の時としますが、中平ちゅうへい4年(187年)の「張純ちょうじゅんの乱」の時の可能性もあります。184年に仕官した人物は、挙兵時とご理解ください。


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懐帝(劉禅)臣下仕官年表

仕官年 人物
223年
  • 王伉おうこう225年)]:呂凱りょがいと共に反乱を起こした雍闓ようがいの侵入を防ぐ。
224年  
225年
226年  
227年  
228年
229年  
230年  
231年
232年  
233年  
234年  
235年  
236年  
237年  
238年
239年  
240年
  • 隗渠かいきょ240年):張嶷ちょうぎ張嶷ちょうぎょく)が越巂太守えっすいたいしゅに任命されると降伏した。
241年  
242年  
243年  
244年  
245年  
246年  
247年  
248年
249年
250年  
251年  
252年  
253年  
254年  
255年  
256年  
257年  
258年  
259年  
260年  
261年  
262年  
263年
  • 衛継えいけい子業しぎょう(264年)]:奉車都尉ほうしゃとい大尚書だいしょうしょをつとめたが、「鍾会しょうかいの乱」に巻き込まれて成都県せいとけんで殺害される。
  • 王含おうがん263年)]:しょく監軍かんぐん鍾会しょうかいが指揮する前将軍ぜんしょうぐん李輔りほに包囲された。

仕官時期不明の人物