正史『三国志』、『三国志演義』に登場する人物たちの略歴、個別の詳細記事、関連記事をご案内する【三国志人物伝】の「え」から始まる人物の一覧⑨。爰津、爰𩇕、苑御、宴茘游です。
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凡例・目次
凡例
後漢〜三国時代にかけての人物は深緑の枠、それ以外の時代の人物で正史『三国志』に名前が登場する人物はオレンジの枠、『三国志演義』にのみ登場する架空の人物は水色の枠で表しています。
目次
爰
苑
宴
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え⑨(爰・苑・宴)
爰(えん)
爰津
生没年不詳。
豫州(予州)・梁国・穀熟県の県長・呂岐は、朱淵・爰津と親しかった。
呂岐は使者を派遣して彼らを留学から帰郷させると召し出して会見し、朱淵を師友祭酒に、爰津を決疑祭酒に任命したが、2人は家に帰ったまま任命を受けなかった。
これに呂岐は大いに怒り、官吏・民衆を引き連れて朱淵と爰津を逮捕し、2人とも杖で殴り殺した。
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苑(えん)
苑御
生没年不詳。建安8年(203年)に反乱を起こした揚州・会稽郡の不服住民(山越)の1人。
洪明、洪進、呉免、華当らと共にそれぞれ1万戸を指揮して漢興県(呉興県)に本営を置いたが、賀斉の討伐軍に洪明が斬られると、呉免、華当、洪進、苑御らはみな降伏した。
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宴(えん)
宴茘游
生没年不詳。鮮卑族の大人・檀石槐配下の大人・大帥。
桓帝の時代[本初元年(146年)〜建寧元年(168年)]、鮮卑族の討伐に失敗した朝廷は檀石槐を王に封じて和睦を結ぼうとするが、檀石槐は拒絶して受け取らず、侵入略奪はいよいよ激しくなった。
勢力を伸ばした檀石槐は自らの領有する土地を中・東・西の3部に分け、幽州・上谷郡から西の涼州・敦煌郡、烏孫と接する所までの20余りの邑を西部とし、配下の大人・大帥である置鞬落羅、日律推演、宴茘游が治めた。
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