正史『三国志』、『三国志演義』に登場する人物たちの略歴、個別の詳細記事、関連記事をご案内する【三国志人物伝】の「お」から始まる人物の一覧⑲。東郡王氏(王観・王悝)です。
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系図
凡例
後漢〜三国時代にかけての人物は深緑の枠、それ以外の時代の人物で正史『三国志』に名前が登場する人物はオレンジの枠、『三国志演義』にのみ登場する架空の人物は水色の枠で表しています。
東郡王氏系図
東郡王氏系図
この記事では東郡王氏の人物、
についてまとめています。
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お⑲(東郡王氏)
第1世代(王観)
王観・偉台
生没年不詳。兗州・東郡・廩丘県の人。子に王悝。
若くして父を失い貧しかったが、心を奮い立たせて挫けなかった。曹操に丞相の文学掾として召し出され、後に地方に出て各任地で治績を称えられる。
文帝(曹丕)の時代、幽州太守となった王観は鮮卑族の侵入・略奪をよく防いだが、次の明帝(曹叡)が郡県の評定を求めると、自分の評価が下がることも恐れず、外敵に接していることを理由に「劇(状況が厳しい)」と報告し、幼弱な1人息子を人質として鄴県に送った。
このように王観は、清潔で質素、我が身を引き締め、部下を統率するのにも慎ましい態度をとったため、官僚たちは影響を受けて、努め励まない者はなかったという。
後に召し出されて治書侍御史となり六品以上の政府高官の裁判を担当したが、権力者におもねることはなかった。
曹芳の時代、実権を握った曹爽は専横を尽くしたが、当時少府であった王観が法に固いことを憚り、太僕に転任させた。
司馬懿のクーデターにより曹爽が誅殺されると爵位を与えられ要職を歴任したが、司空への任官は固持。その印綬を返上して郷里に帰り、そのまま亡くなった。諡を粛侯という。
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第2世代(王悝)
王悝
生没年不詳。兗州・東郡・廩丘県の人。父は王観。
父・王観の死後その跡を継ぐ。
咸熙年間(264年〜265年)に爵位制度が置かれた時、父・王観が先帝(曹髦)の時代に勲功をあらわしたということで、改めて膠東子に取り立てられた。
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