正史せいし三国志さんごくし三国志演義さんごくしえんぎに登場する人物たちの略歴、個別の詳細記事、関連記事をご案内する【三国志人物伝】の「い」から始まる人物の一覧⑥梓潼郡しとうぐん尹氏いんし尹黙いんもく尹宗いんそう)です。

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系図

凡例

後漢ごかん〜三国時代にかけての人物は深緑の枠、それ以外の時代の人物で正史せいし三国志さんごくしに名前が登場する人物はオレンジの枠、三国志演義さんごくしえんぎにのみ登場する架空の人物は水色の枠で表しています。

河南尹氏系図

梓潼郡尹氏系図

梓潼郡しとうぐん尹氏いんし系図


この記事では梓潼郡しとうぐん尹氏いんしの人物、

についてまとめています。


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い⑥(梓潼尹氏)

第1世代(尹黙)

尹黙いんもく思潜しせん

生年不詳〜しょく建興けんこう12年(234年)以降没。益州えきしゅう梓潼郡しとうぐん涪県ふけんの人。子に尹宗いんそう。すべての経書・史書に精通した。

当時、益州えきしゅうには「今文きんぶんの学(しん以後の新字体をもちいる解釈学)」を尊重する者が多く、字句の正確な読みを重視しなかった。そこで尹黙いんもくは、荊州けいしゅうに遊学して司馬徳操しばとくそう司馬徽しばき)、宋仲子そうちゅうし宋仲そうちゅう)らに「古文の学」を学ぶ。

文帝ぶんてい曹丕そうひ)が即位すると、連名で劉備りゅうびに帝位を勧める上奏文を奉じ、太子僕たいしぼくに任命されて劉禅りゅうぜん春秋左氏伝しゅんじゅうさしでんを教授した。

劉禅りゅうぜんが即位すると諫義大夫かんぎたいふに任命され、その後、丞相じょうしょう諸葛亮しょかつりょうもと軍祭酒ぐんさいしゅとなる。諸葛亮しょかつりょうが亡くなると成都せいとに帰還して太中大夫たいちゅうたいふに任命され、亡くなった。


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第2世代(尹宗)

尹宗いんそう

生没年不詳。益州えきしゅう梓潼郡しとうぐん涪県ふけんの人。劉備りゅうび劉禅りゅうぜんに仕えた尹黙いんもくの子。

父・尹黙いんもくの学問を伝え博士はくしとなった。


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【三国志人物伝】総索引