正史せいし三国志さんごくし三国志演義さんごくしえんぎに登場する人物たちの略歴、個別の詳細記事、関連記事をご案内する【三国志人物伝】の「か」から始まる人物の一覧⑥、蜀郡しょくぐん何氏かし何宗かそう何双かそう)です。

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系図

凡例

後漢ごかん〜三国時代にかけての人物は深緑の枠、それ以外の時代の人物で正史せいし三国志さんごくしに名前が登場する人物はオレンジの枠、三国志演義さんごくしえんぎにのみ登場する架空の人物は水色の枠で表しています。

蜀郡何氏系図

蜀郡何氏

蜀郡しょくぐん何氏かし系図


この記事では蜀郡しょくぐん何氏かしの人物、

についてまとめています。


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か⑥(蜀郡何氏)

第1世代(何宗)

何宗かそう彦英げんえい

生没年不詳。益州えきしゅう蜀郡しょくぐん郫県ひけんの人。子に何双かそう

明晰めいせきかつ誠実で、益州えきしゅう広漢郡こうかんぐん仁安じんあんに師事し、仁安じんあんの「未来予知の術」を充分に極めた。杜瓊とけいとは同門であったが、名声は彼以上だった。

劉璋りゅうしょうの時代に犍為太守けんいたいしゅとなった。

劉備りゅうび益州えきしゅうを平定して益州牧えきしゅうぼくを兼任すると、し出されて従事祭酒じゅうじさいしゅに任命され、後に図讖としん(神秘的予言)を引用して劉備りゅうびに帝位にくように勧めた。

即位の後、昇進して大鴻臚だいこうろとなり、建安けんあん年間に亡くなった。


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第2世代(何双)

何双かそう漢偶かんぐう

生没年不詳。益州えきしゅう蜀郡しょくぐん郫県ひけんの人。父に何宗かそう

機知にんだ讖緯しんいをとばしながら談笑するさまは、淳于髡じゅんうこん戦国せんごく時代のせいの人)・東方朔とうほうさく前漢ぜんかん武帝ぶていの臣)の面影があった。

益州えきしゅう益州郡えきしゅうぐん雙柏県そうはくけん双柏県そうはくけん)の県長けんちょうとなったが、若死した。


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【三国志人物伝】総索引