195年【漢:興平2年】に起こった主な出来事をまとめ、それをもとに群雄勢力図を作成しました。人員配置は前年から変更が記されていない官職と、新たに確認できた官職のみ記載しています。
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195年の主な人員配置
後宮
天子・皇后 |
人物 |
天子(皇帝) |
劉協(献帝) |
皇太后 |
ー |
皇后 |
伏皇后(伏寿) |
朝廷
官職 |
人物 |
太尉 |
楊彪 |
司徒 |
趙温 |
司空 |
張喜 |
執金吾 |
伏完 |
大司馬 |
李傕 |
驃騎将軍 |
張済 |
車騎将軍 |
李傕 → 郭汜 |
後将軍 |
郭汜 → 楊定 |
右将軍 |
袁紹 |
征東将軍 |
胡才 |
安国将軍 |
張楊 |
安狄将軍 |
馬騰 |
安降将軍 |
韓遂 |
奮武将軍 |
公孫瓚 |
奮威将軍 |
呂布 |
興義将軍 |
楊奉 |
安集将軍 |
董承 |
寧輯将軍 |
段煨 |
行殄寇将軍 |
孫策 |
折衝校尉 |
孫策 |
地方官
官職 |
人物 |
冀州牧 |
袁紹 |
兗州牧 |
曹操 |
荊州牧 |
劉表 |
益州牧 |
劉璋 |
幽州刺史 |
段訓 |
豫州刺史 |
郭貢(劉備) |
青州刺史 |
田楷 |
揚州刺史 |
劉繇 |
交阯刺史 |
朱符 |
遼東太守 |
公孫度 |
河内太守 |
張楊 |
河東太守 |
王邑 |
陳湣王 |
劉寵 |
九江太守 |
陳紀 |
丹楊太守 |
呉景 → 周尚 → 袁胤 |
呉郡太守 |
許貢 |
豫章太守 |
周術 → 諸葛玄 → 朱皓 → 華歆 |
会稽太守 |
王朗 |
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195年の主な出来事
月 |
出来事 |
1月 |
- 天下に大赦する。
- 曹操が兗州・済陰郡・定陶県を襲撃し、救援に来た呂布を撃ち破る。
- 袁紹が右将軍に任命される。
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2月 |
- 李傕が樊稠を殺害し、郭汜と争いを始める。
- 献帝が李傕と郭汜を和解させようとする。
- 郭汜が献帝を自分の陣営に行幸(外出)させようとするが、李傕に漏れる。
|
3月 |
- 李傕が献帝を脅して自分の陣営に行幸(外出)させ、皇宮を焼く。
- 献帝が公卿を派遣して李傕と郭汜を和解させようとする。
- 郭汜が公卿を人質に取る。
- 朱儁が憤死する。
|
4月 |
- 貴人の伏氏が皇后に立てられる。
- 伏皇后の父・伏完が執金吾に任命される。
- 李傕が羌・胡数千人を招いて味方につける。
- 郭汜が李傕を攻め、李傕が献帝を北塢に移す。
- 大日照りがあった。
|
閏月
5月
|
- 献帝が李傕と郭汜を和解させようとする。
- 献帝の使者・皇甫酈が李傕を叱責する。
- 献帝が皇甫酈を逃亡させる。
- 李傕が大司馬に任命される。
- 曹操が呂布の将・薛蘭と李封が駐屯する兗州・山陽郡・鉅野県を攻撃する。
- 曹操が呂布の救援軍を破り薛蘭らを斬る。
- 曹操が兗州・済陰郡・乗氏国に駐屯する。
- 陶謙が亡くなったため曹操が再び徐州を攻めようとするが、荀彧の進言に従って中止する。
- 呂布と陳宮が(乗氏国に)攻撃を仕掛ける。
- 曹操が呂布らを撃ち破り、呂布の陣営まで追撃する。
- 呂布が劉備を頼って徐州に逃亡する。
- 曹操が諸県を平定する。
- 劉備が呂布を受け入れる。
|
6月 |
- 李傕配下の楊奉が李傕の暗殺を謀り、事が漏れて謀反を起こす。
- 司隷・弘農郡・陝県に駐屯していた張済が長安に到着し、李傕と郭汜を和睦させる。
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7月 |
- 献帝が長安を出て洛陽(雒陽)に向かう。
- 献帝が司隷・京兆尹・覇陵県に到着する。
- 李傕が司隷・左馮翊・池陽県に駐屯する。
- 郭汜が献帝の行き先をめぐって諸将と揉める。
- 郭汜が車騎将軍に任命される。
- 楊定が後将軍に任命される。
- 楊奉が興義将軍に任命される。
- 董承が安集将軍に任命される。
- 張済が驃騎将軍に任命される。
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8月 |
- 献帝が司隷・京兆尹・新豊県に到着する。
- 曹操が兗州・陳留郡・雍丘県の張超を包囲する。
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不明 |
- 元張超の功曹・臧洪が張超救援の許可を求めるが、袁紹は許可せず。
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10月 |
- 郭汜が献帝を自分の陣営に来るように脅迫する。
- 楊定と楊奉が郭汜と戦いこれを破る。
- 献帝が司隷・弘農郡・華陰県に到着する。
- 寧輯将軍・段煨が献帝を出迎える。
- 赤気(赤い色の雲気または彗星)が紫微宮(星の名:天子の居場所)を貫いた。
- 楊奉らが段煨を攻める。
- 献帝が楊奉らと段煨を和解させる。
- 李傕と郭汜が再び手を組む。
- 楊定が荊州に逃亡する。
- 張済が李傕・郭汜と合流する。
- 曹操が正式に兗州牧に任命される。
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11月 |
- 献帝が司隷・弘農郡・弘農県に到着する。
- 李傕・郭汜らが献帝を追撃し、弘農県の東澗(渓谷)で撃ち破る。
- 献帝が弘農県の曹陽澗(渓谷)で野営する。
- 楊奉・董承の要請により、元白波賊の帥・李楽、胡才らが救援に現れて李傕らを破る。
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12月 |
- 献帝一行が李傕らに大敗し、司隷・弘農郡・陝県に逃走する。
- 献帝一行が夜のうちに黄河を渡り、司隷・河東郡・大陽県に到着する。
- 河内太守・張楊が米を献上する。
- 献帝が司隷・河東郡・安邑県に到着する。
- 河東太守の王邑が綿帛を献上する。
- 胡才が征東将軍に任命される。
- 張楊が安国将軍に任命される。
- 献帝が李傕・郭汜と和睦する。
- 張楊が献帝を洛陽(雒陽)に遷すことを提案するが、諸将に却下される。
- 袁紹が献帝に使者を送る。
- 雍丘県が陥落し、張超は自害。三族を皆殺しとなる。
- 臧洪が、張超救援を許可しなかった袁紹と断交する。
- 袁紹が東武陽県(臧洪)を包囲、(翌年以降に)陥落させ、臧洪を処刑する。
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不明 |
■ 楊州方面
- 孫策が袁術に江東平定の許可を得る。
- 袁術が孫策を折衝校尉に任命する。
- 孫策が江東平定のため揚州・九江郡・歴陽県に駐屯する。
- 孫策が周瑜と再会する。
- 孫策が横江津と当利口を攻め、劉繇配下を敗走させる。
- 孫策が揚州・丹楊郡・秣陵県の薛礼を敗走させる。
- 孫策が劉繇を破り、揚州・呉郡・曲阿県に入る。
- 袁術が孫策を行殄寇将軍に任命する。
- 袁術が従弟の袁胤を丹陽太守に任命する。
- 周瑜が揚州・九江郡・寿春県に呼び戻される。
- 周瑜が揚州・廬江郡・居巣県(居巣国)の県長(侯国相)に任命される。
- 劉繇が揚州・豫章郡(予章郡)に逃亡する。
- 劉繇の将・太史慈が丹楊郡で独立する。
- 劉繇が笮融に劉表(または袁術)に任命された豫章太守・諸葛玄を攻撃させる。
- 笮融が謀反を起こし、朝廷が任命した豫章太守・朱皓を謀殺する。
- 劉繇が笮融を討伐する。
- 劉繇が病死する。
- 華歆が豫章太守に任命される。
- 孫策配下の朱治が呉郡太守・許貢を敗走させる。
- 許貢が山越の不服従民・厳白虎(厳虎)を頼る。
■ 幽州方面
- 公孫瓚が易京に拠点を移す。
- 元劉虞の従事・鮮于輔らが幽州・漁陽郡・潞県の北で漁陽太守・鄒丹を破る。
- 鮮于輔らが袁紹の元にいる劉虞の子・劉和を迎える。
- 鮮于輔、劉和、袁紹の将・麴義らが鮑丘で公孫瓚を破る。
- 幽州の4郡が公孫瓚に反する。
- 公孫瓚が易京の防備を固めて立て籠もる。
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195年の三国志群雄勢力図
1月
興平2年(195年)1月の三国志群雄勢力図
献帝の東遷
興平2年(195年)3月、朝廷の実権を握った李傕・郭汜らの権力争いが激化し、互いに献帝と公卿を人質に取って軍事行動に出るようになります。
そして、司隷・弘農郡・陝県に駐屯していた張済が、長安に赴いて李傕と郭汜を和睦させると、献帝は長安を出て東の洛陽(雒陽)に向かいました。
ですが、再び手を組んだ李傕と郭汜は、献帝を長安に連れ戻そうと追撃を開始。3度に渡って献帝一行を襲撃します。
献帝一行は多くの犠牲を出しながら黄河を渡り、司隷・河東郡・安邑県に入ってそこを仮の都に定めました。
献帝の東遷経路
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曹操の兗州平定
前年の興平元年(194年)、徐州に侵攻した曹操の隙を突き呂布・陳宮・張邈らが兗州で反乱。兗州奪還のため軍を返した曹操ですが、呂布の武勇の前に苦戦を強いられ、蝗害(蝗の大量発生)により兵糧不足となった両軍は、お互いに兵を退きました。
この年の春、兗州奪還を再開した曹操は徐々に奪われた城を攻略します。
そして呂布の攻撃を撃退した曹操は呂布の陣まで追撃し、ついに呂布は劉備を頼って徐州に逃亡しました。
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袁紹と臧洪
8月、曹操が張邈の弟・張超が立て籠もる兗州・陳留郡・雍丘県を包囲します。
この時、張超が(徐州の)広陵太守だった時に功曹に取り立てられ、全幅の信頼を受けていた臧洪は、袁紹によって東郡太守に任命されて東武陽県に赴任していました。
雍丘県が包囲されると、臧洪は袁紹に「張超を救援すること」の許可を求めますが、袁紹はこれを認めませんでした。
そのため、その後雍丘県が陥落すると臧洪は袁紹と断交。袁紹に包囲され、捕らえられた臧洪は袁紹に処刑されました。
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12月
興平2年(195年)12月の三国志群雄勢力図
孫策の江東進出
興平元年(194年)、揚州・九江郡・寿春県を本拠地とする袁術が、孫策に命じて廬江太守の陸康を攻撃させると、朝廷に任命された揚州刺史・劉繇は、これを「漢王朝に対して反逆の意思がある」とみて、袁術によって任命された呉景と孫賁を揚州・丹楊郡(丹陽郡)から強制的に追い出しました。
この年、袁術に「舅の呉景らを助けて江東を平定する」許可を得た孫策は、揚州・丹楊郡(丹陽郡)に侵攻を開始。
揚州刺史・劉繇が駐屯する揚州・呉郡・曲阿県に迫った孫策は、劉繇を呉郡・丹徒県に敗走させました。
劉繇の逃亡経路1
一方、丹徒県に逃走した劉繇は、新たな拠点とするべく長江を遡って揚州・豫章郡(予章郡)に向かいますが、その途中で配下の太史慈が丹楊郡(丹陽郡)で独立してしまいます。
この時、揚州・豫章郡(予章郡)は、劉表(または袁術)に任命された諸葛玄(諸葛亮の従父)が治めていましたが、朝廷が任命した豫章太守・朱皓と争っていました。
豫章郡(予章郡)・彭澤県に軍営を置いた劉繇は、朱皓を助けて豫章郡(予章郡)を新たな拠点とするべく、笮融に朱皓への加勢を命じます。
ですが、諸葛玄を敗走させた笮融が朱皓を謀殺し、自ら豫章郡(予章郡)を支配しようとしたので、劉繇はこれを討ちましたが、まもなく病死してしまいました。朝廷は、新たな豫章太守に華歆を任命します。
また、孫策配下の朱治に敗れた呉郡太守・許貢は、山越の不服従民・厳白虎(厳虎)を頼りました。
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孫策の江東進出。袁術の下を離れた孫策が劉繇を破って呉郡に入る
鮑丘の戦い
初平4年(193年)冬、対立していた幽州牧・劉虞を処刑した公孫瓚は、事実上幽州を領有し、その勢いは益々盛んになっていました。
ですがこの年、元劉虞の従事・鮮于輔らが閻柔を烏桓司馬(烏丸司馬)に推し立てて、幽州の軍勢を率いて公孫瓚への復讐に出ます。
そして、幽州・漁陽郡・潞県の北で漁陽太守・鄒丹を撃ち破った鮮于輔らは、冀州にいる劉虞の子・劉和を迎え、袁紹の将・麴義と共に公孫瓚を攻めて、鮑丘で撃ち破りました。
その後、
- 代郡
- 広陽郡
- 上谷郡
- 右北平郡
の4郡が公孫瓚に離反。公孫瓚は易京の防備を強化して立て籠もり、敢えて動こうとはしませんでした。
公孫瓚に反した諸郡
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興平2年(195年)、中原では献帝が長安を出て司隷・河東郡・安邑県を仮の都と定め、曹操が兗州を平定し、曹操に敗れた呂布は劉備を頼って徐州に落ちのびます。
一方楊州では、孫堅の子・孫策がついに江東の平定に動き出し、幽州では公孫瓚がその権勢を失いました。
他の年を見る場合はこちら
三国志年表
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