旧主・張超(ちょうちょう)への忠節を貫いて袁紹(えんしょう)に処刑された臧洪(ぞうこう)とは、一体どんな人物だったのでしょうか。
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「張邈伝(+張超)」呂布を招いて陳宮らと曹操に背いた八廚の1人
曹操(そうそう)の徐州(じょしゅう)遠征中に、兗州(えんしゅう)に呂布(りょふ)を招(まね)いて陳宮(ちんきゅう)らと反乱を起こしたことで知られる張邈(ちょうばく)とは、どんな人物だったのでしょうか。
【三国志年表詳細】195年の主な出来事と三国志群雄勢力図
195年【漢:興平(こうへい)2年】に起こった主な出来事をまとめ、それをもとに群雄勢力図を作成しました。人員配置は前年から変更が記されていない官職と、新たに確認できた官職のみ記載しています。
曹操の雍丘県包囲と臧洪の反乱。張超と臧洪の絆
兗州(えんしゅう)をほぼ手中に収(おさ)めた曹操(そうそう)が最後に残った雍丘県(ようきゅうけん)を包囲すると、これを救援しようとする臧洪(ぞうこう)と、それを許さない袁紹(えんしょう)の間に亀裂が生じました。 雍丘県(・・・
孫堅が劉表に敗れた「襄陽の戦い」と朱儁の挙兵
袁術(えんじゅつ)と公孫瓚(こうそんさん)が手を組んで袁紹(えんしょう)と争うようになると、袁術(えんじゅつ)を敵視していた劉表(りゅうひょう)は共通の敵を持つ袁紹(えんしょう)と手を組みました。 袁術(えんじゅつ)は後・・・
反董卓連合が劉虞を天子に推戴する。袁紹と袁術の間に生まれた亀裂
191年1月、袁紹(えんしょう)と韓馥(かんふく)は、幽州牧(ゆうしゅうぼく)・劉虞(りゅうぐ)に使者を送って天子に即位するように願いました。袁紹(えんしょう)による天子推戴(すいたい)の経緯とその影響について考えてみま・・・