後漢末期の幽州が管轄する郡(領郡)と、それぞれの郡が管轄する県(領城)の詳細地図です。
三国時代[魏の景元3年(262年)]の幽州の地図はこちら
【三国志地図】「幽州(ゆうしゅう)」の郡県詳細地図(三国時代)
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目次
幽州刺史部の領郡
幽州(ゆうしゅう)の場所
幽州の場所
幽州(ゆうしゅう)の領郡地図
幽州の領郡
戸数 / 人口
396,263戸 / 1,962,888人
領郡
涿郡、広陽郡、代郡、上谷郡、漁陽郡、右北平郡、遼西郡、遼東郡、玄菟郡、楽浪郡、遼東属国の11郡。
州治所
広陽郡・薊県
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幽州各郡の領県
涿郡(たくぐん)
涿郡の場所
涿郡は高帝(劉邦)が置いたのが始まりで、洛陽(雒陽)の北東1,800里に位置します。
涿郡の領城地図
涿郡の領城
戸数 / 人口
102,218戸 / 633,754人
領城
涿県、逎侯国、故安県、范陽侯国、
良郷県、北新城県、方城県の7城。
郡治所
涿県
特記事項
- 故安県には易水と雹水が流れ出ています。
- 北新城県には汾水門があります。
- 方城県には臨郷と督亢亭があります。もとは広陽郡に属していました。
広陽郡(こうようぐん)
広陽郡の場所
広陽郡は高帝(劉邦)が置いた燕国が始まりで、昭帝が改名して郡としました。世祖(光武帝)の時に廃され上谷郡に合併されましたが、永元8年(96年)に郡に復帰しました。
広陽郡の領城地図
広陽郡の領城
戸数 / 人口
44,550戸 / 280,600人
領城
薊県、広陽県、昌平県、軍都県、
安次県の5城。
郡治所
薊県
特記事項
- 薊県はもとは燕国でした。
- 昌平県はもとは上谷郡に属していました。
- 軍都県はもとは上谷郡に属していました。
- 安次県はもとは勃海郡に属していました。
代郡(だいぐん)
代郡の場所
代郡は秦が置いたのが始まりで、洛陽(雒陽)の北東2,500里に位置します。
代郡の領城地図
代郡の領城
戸数 / 人口
20,123戸 / 126,188人
領城
高柳県、桑乾県、道人県、当城県、
馬城県、班氏県、狋氏県、北平邑県、
東安陽県、平舒県、代県の11城。
郡治所
高柳県
特記事項
- 北平邑県は永元8年(96年)に復帰しました。
上谷郡(じょうこくぐん)
上谷郡の場所
上谷郡は秦が置いたのが始まりで、洛陽(雒陽)の北東3,200里に位置します。
上谷郡の領城地図
上谷郡の領城
戸数 / 人口
10,352戸 / 51,204人
領城
沮陽県、潘県、甯県(寧県)、広甯県(広寧県)、
居庸県、雊瞀県、涿鹿県、下落県の8城。
郡治所
沮陽県
特記事項
- 潘県は永元11年(99年)に復帰しました。
漁陽郡(ぎょようぐん)
漁陽郡の場所
漁陽郡は秦が置いたのが始まりで、洛陽(雒陽)の北東2,000里に位置します。
漁陽郡の領城地図
漁陽郡の領城
戸数 / 人口
68,456戸 / 435,740人
領城
漁陽県、狐奴県、潞県、雍奴県、
泉州県、平谷県、安楽県、傂奚県、
獷平県の9城。
郡治所
漁陽県
特記事項
- 漁陽県は鉄を産出します。
- 泉州県は鉄を産出します。
右北平郡(ゆうほくへいぐん)
右北平郡の場所
右北平郡は秦が置いたのが始まりで、洛陽(雒陽)の北東2,300里に位置します。
右北平郡の領城地図
右北平郡の領城
戸数 / 人口
9,170戸 / 53,475人
領城
土垠県、徐無県、俊靡県、無終県の4城。
郡治所
土垠県
特記事項
なし。
遼西郡(りょうせいぐん)
遼西郡の場所
遼西郡は秦が置いたのが始まりで、洛陽(雒陽)の北東3,300里に位置します。
遼西郡の領城地図
遼西郡の領城
戸数 / 人口
14,150戸 / 81,714人
領城
陽楽県、海陽県、令支県、肥如県、
臨渝県の5城。
郡治所
陽楽県
特記事項
- 陽楽県の西には柳城があります。
- 令支県には孤竹城があります。
遼東郡(りょうとうぐん)
遼東郡の場所
遼東郡は秦が置いたのが始まりで、洛陽(雒陽)の北東3,600里に位置します。
遼東郡の領城地図
遼東郡の領城
戸数 / 人口
64,158戸 / 81,714人
領城
襄平県、新昌県、無慮県、望平県、
候城県(遼臥県?)、安市県、平郭県、西安平県、
汶県、番汗県、沓氏県の11城。
郡治所
襄平県
特記事項
- 平郭県は鉄を産出します。
玄菟郡(げんとぐん)
玄菟郡の場所
玄菟郡は武帝が置いたのが始まりで、洛陽(雒陽)の北東4,000里に位置します。
玄菟郡の領城地図
玄菟郡の領城
戸数 / 人口
1,594戸 / 43,163人
領城
高句驪県、西蓋馬県(西蓋鳥県)、上殷台県、高顕県、
候城県、遼陽県の6城。
郡治所
高句驪県
特記事項
- 高句驪県には遼山があり、遼水が流れ出ています。
- 高顕県はもとは遼東郡に属していました。
- 候城県はもとは遼東郡に属していました。
- 遼陽県はもとは遼東郡に属していました。
※ 上殷台県の位置は調査中です。
楽浪郡(らくろうぐん)
楽浪郡の場所
楽浪郡は武帝が置いたのが始まりで、洛陽(雒陽)の北東5,000里に位置します。
楽浪郡の領城地図
楽浪郡の領城
戸数 / 人口
61,492戸 / 257,050人
領城
朝鮮県、(言冉)邯県、浿水県、含資県、
占蟬県、遂城県、増地県、帯方県、
駟望県、海冥県、列口県、長岑県、
屯有県、昭明県、鏤方県、提奚県、
渾弥県、楽都県の18城。
郡治所
朝鮮県
特記事項
なし。
遼東属国(りょうとうぞっこく)
遼東属国の場所
遼東属国はもとの邯郷で西部都尉の管轄でしたが、安帝の時に属国都尉が治めるようになりました。洛陽(雒陽)の北東3,260里に位置します。
遼東属国の領城地図
遼東属国の領城
戸数 / 人口
記載なし / 記載なし
領城
昌遼県、賓徒県、徒河県、無慮県(扶黎県)、
険瀆県、房県の6城。
郡治所
昌遼県
特記事項
-
- 昌遼県はもとの天遼で、もとは遼西郡に属していました。
- 賓徒県はもとは遼西郡に属していました。
- 徒河県はもとは遼西郡に属していました。
- 無慮県(扶黎県)には醫無慮山(医無慮山)があります。
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