後漢末期の揚州が管轄する郡(領郡)と、それぞれの郡が管轄する県(領城)の詳細地図です。
三国時代[魏の景元3年・呉の永安5年(262年)]の揚州の地図はこちら
【三国志地図】「揚州(ようしゅう)」の郡県詳細地図(三国時代)
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目次
揚州刺史部の領郡
揚州(ようしゅう)の場所
揚州の位置
揚州(ようしゅう)の領郡地図
揚州の領郡
戸数 / 人口
1,021,096戸 / 4,338,538人
領郡
九江郡、丹楊郡(丹陽郡)、廬江郡、会稽郡、呉郡、豫章郡(予章郡)の6郡。
州治所
九江郡・歴陽侯国 → 同・寿春県 → 同・合肥侯国
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揚州(ようしゅう)各郡の領県
九江郡(きゅうこうぐん)
九江郡の場所
九江郡は秦が置いたのが始まりで、洛陽(雒陽)の東1,500里に位置します。
九江郡の領城地図
九江郡の領城
戸数 / 人口
89,436戸 / 432,426人
領城
陰陵県、寿春県、浚遒県、成徳県、
西曲陽県、合肥侯国、歴陽侯国、当塗県、
全椒県、鍾離侯国、阜陵県、下蔡県、
平阿県、義成県の14城。
郡治所
陰陵県
特記事項
- 当塗県には馬丘聚があります。徐鳳はここで反旗を翻しました。
- 下蔡県はもとは沛国に属していました。
- 平阿県には塗山があります。もとは沛国に属していました。
- 義成県はもとは沛国に属していました。
丹楊郡 / 丹陽郡(たんようぐん)
丹楊郡(丹陽郡)の場所
丹楊郡(丹陽郡)は秦が置いた鄣郡が始まりで、武帝が改名しました。洛陽(雒陽)の東2,160里に位置します。
丹陽郡の領城地図
丹楊郡(丹陽郡)の領城
戸数 / 人口
136,518戸 / 630,545人
領城
宛陵県、溧陽県、丹陽県、故鄣県、
於潜県、涇県、歙県、黝県、
陵陽県、蕪湖県、秣陵県、湖熟侯国、
句容県、江乗県、春穀県、石城県の16城。
郡治所
宛陵県
特記事項
- 蕪湖県
( ) の西には中江( ) があります。 - 秣陵県
( ) の南には牛渚( ) があります。
廬江郡(ろこうぐん)
廬江郡
廬江郡
廬江郡( ) の領城地図
廬江郡
戸数 / 人口
101,392戸 / 424,683人
領城
舒県
臨湖侯国
居巣侯国
陽泉侯国
郡治所
舒県
特記事項
- 舒県
( ) には桐郷( ) があります。 - 尋陽県
( ) の南には九江( ) があり、東に向かって合流して大江( ) となります。 - 晥県
( ) は鉄を産出します。 - 安豊県
( ) には大別山( ) があります。
会稽郡(かいけいぐん)
会稽郡
会稽郡
会稽郡( ) の領城地図
会稽郡
会稽郡
戸数 / 人口
123,090戸 / 481,196人
領城
山陰県
余曁県
余姚県
永寧県
郡治所
山陰県
特記事項
- 山陰県
( ) の南には会稽山( ) があり、山頂には禹( ) の塚( ) があります。浙江( ) があります。 - 章安県
( ) はもとの冶( ) で、閩越( ) 族の土地です。光武帝( ) が改名しました。 - 永寧県
( ) は、永和( ) 3年(138年)に章安県( ) の東甌郷( ) が県とされました。
呉郡(ごぐん)
呉郡
呉郡
呉郡( ) の領城地図
呉郡
戸数 / 人口
164,164戸 / 700,782人
領城
呉県
毗陵県
銭唐県
無錫侯国
郡治所
呉県
特記事項
- 呉県
( ) の西には震澤( ) (後( ) の具蹬澤( ) )があります。もとは国でした。 - 毗陵県
( ) の北には北江( ) があります。季札( ) が住んでいたところです。
豫章郡 / 予章郡(よしょうぐん)
豫章郡
豫章郡
豫章郡( ) (予章郡( ) )の領城地図
豫章郡
戸数 / 人口
406,496戸 / 1,668,906人
領城
南昌県
廬陵県
南城県
鄡陽県
海昬侯国
建昌県
郡治所
南昌県
特記事項
- 贛県
( ) には豫章水( ) (予章水( ) )があります。 - 南野県
( ) には台領山( ) があります。 - 鄱陽県
( ) には鄱水( ) と黄金采( ) があります。 - 歴陵県
( ) には傅惋山( ) があります。 - 彭澤県
( ) の西には彭蠡澤( ) があります。 - 平都侯国
( ) はもとの安平( ) です。 - 臨汝県
( ) は永元( ) 8年(96年)に置かれました。 - 建昌県
( ) は永元( ) 16年(104年)に海昬県( ) を分割して置かれました。
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