後漢末期の交趾(交阯・交州)が管轄する郡(領郡)と、それぞれの郡が管轄する県(領城)の詳細地図です。
三国時代[呉の永安5年(262年)]の交州の地図はこちら
【三国志地図】「交州(こうしゅう)」の郡県詳細地図(三国時代)
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目次
交趾(交州)刺史部の領郡
交趾(こうし)の場所
交趾(交州)の場所
交趾(こうし)の領郡地図
交趾(交州)の領郡
戸数 / 人口
270,769戸 / 1,114,444余人
領郡
南海郡、蒼梧郡、鬱林郡、合浦郡、交趾郡(交阯郡)、九真郡、日南郡の7郡。
州治所
蒼梧郡・広信県
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交趾各郡の領県
南海郡(なんかいぐん)
南海郡の場所
南海郡は武帝が置いたのが始まりで、洛陽(雒陽)の南7,100里に位置します。
南海郡の領城地図
南海郡の領城
戸数 / 人口
71,477戸 / 250,282人
領城
番禺県、博羅県、中宿県、龍川県、
四会県、掲陽県、増城県の7城。
郡治所
番禺県
特記事項
- 増城県には労領山があります。
蒼梧郡(そうごぐん)
蒼梧郡の場所
蒼梧郡は武帝が置いたのが始まりで、洛陽(雒陽)の南6,410里に位置します。
蒼梧郡の領城地図
蒼梧郡の領城
戸数 / 人口
111,395戸 / 466,975人
領城
広信県、謝沐県、高要県、封陽県、
臨賀県、端谿県、馮乗県、富川県、
荔浦県、猛陵県、鄣平県の11城。
郡治所
広信県
特記事項
なし。
※ 鄣平県の位置は調査中です。
鬱林郡(うつりんぐん)
鬱林郡の場所
鬱林郡は秦が置いた桂林郡が始まりで、武帝が改名しました。洛陽(雒陽)の南6,500里に位置します。
鬱林郡の領城地図
鬱林郡の領城
戸数 / 人口
不明 / 不明
領城
布山県、安広県、阿林県、広鬱県、
中溜県、桂林県、潭中県、臨塵県、
定周県、増食県、領方県の11城。
郡治所
布山県
特記事項
なし。
合浦郡(がっぽぐん)
合浦郡の場所
合浦郡は武帝が置いたのが始まりで、洛陽(雒陽)の南9,191里に位置します。
合浦郡の領城地図
合浦郡の領城
戸数 / 人口
23,121戸 / 86,617人
領城
合浦県、徐聞県、高涼県、臨元県、
朱崖県の5城。
郡治所
合浦県
特記事項
なし。
交趾郡 / 交阯郡(こうしぐん)
交趾郡の場所
交趾郡(交阯郡)は武帝が置いたのが始まりで、もとは安陽王の国でした。洛陽(雒陽)の南11,000里に位置します。
交趾郡の領城地図
交趾郡の領城
戸数 / 人口
不明 / 不明
領城
龍編県、羸□県*1、定安県(安定県)、苟漏県、
麊泠県、曲陽県、北帯県、稽徐県、
西于県、朱□県*2、封谿県、望海県の12城。
郡治所
龍編県
特記事項
- 封谿県は建武19年(43年)に置かれました。
- 望海県は建武19年(43年)に置かれました。
脚注
*1 □=こざとへんに婁。[阝婁]
*2 □=截の隹の部分が鳥
九真郡(きゅうしんぐん)
九真郡の場所
九真郡は武帝が置いたのが始まりで、洛陽(雒陽)の南11,580里に位置します。
九真郡の領城地図
九真郡の領城
戸数 / 人口
46,513戸 / 209,894人
領城
胥浦県、居風県、咸懽県、無功県、
無編県の5城。
郡治所
胥浦県
特記事項
なし。
日南郡(じつなんぐん)
日南郡の場所
日南郡は秦が置いた象郡が始まりで、武帝が改名しました。洛陽(雒陽)の南13,400里に位置します。
日南郡の領城地図
日南郡の領城
戸数 / 人口
18,263戸 / 10,0676人
領城
西巻県、朱吾県、盧容県、象林県、
比景県の5城。
郡治所
西巻県
特記事項
象林県の位置は前漢時代のものになります。カッコつきは西晋時代。
※ 象林県の位置について、Jominianさんから情報をいただきました。
JominianさんTwitter
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