後漢ごかん末期の徐州じょしゅうが管轄する郡(領郡)と、それぞれの郡が管轄する県(領城)の詳細地図です。

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徐州刺史部の領郡

徐州(じょしゅう)の場所

徐州(じょしゅう)の場所

徐州じょしゅうの場所

徐州(じょしゅう)の領郡地図

徐州(じょしゅう)の領郡

徐州じょしゅうの領郡

戸数 / 人口

466,054戸 / 2,791,680人

領郡

東海郡とうかいぐん琅邪国ろうやこく彭城国ほうじょうこく広陵郡こうりょうぐん下邳国かひこくの5郡。

州治所

東海郡とうかいぐん郯県たんけん


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徐州各郡の領県

東海郡(とうかいぐん)

東海郡(とうかいぐん)の場所

東海郡とうかいぐんの場所


東海郡とうかいぐん高帝こうてい劉邦りゅうほう)が置いたのが始まりで、洛陽らくよう雒陽らくよう)の東1,400里に位置します。

東海郡とうかいぐんの領城地図

東海郡(とうかいぐん)の領城

東海郡とうかいぐんの領城

戸数 / 人口

148,784戸 / 706,416人

領城

郯県たんけん蘭陵県らんりょうけん戚県せきけん胊県きょうけん

襄賁県じょうひけん昌慮県しょうりょけん承県しょうけん陰平県いんぺいけん

利城県りじょうけん合郷県ごうきょうけん合城県ごうじょうけん)、祝其県しゅきけん厚丘県こうきゅうけん

贛楡県かんゆけんの13城。

郡治所

郯県たんけん

特記事項

  • 郯県たんけんはもとは国でした。
  • 蘭陵県らんりょうけんには次室亭じしつていがあります。
  • 胊県きょうけんには伊盧郷いろきょうがあり、鉄を産出します。
  • 昌慮県しょうりょけんには藍郷らんきょうがあります。
  • 祝其県しゅくきけんには羽山うざんがあります。春秋時代には祝其県しゅくきけん夾谷きょうこくの地と言いました。
  • 贛楡県かんゆけんはもとは琅邪国ろうやこくに属していましたが、建初けんしょ5年(80年)に東海郡とうかいぐんに復しました。

琅邪国(ろうやこく)

琅邪国(ろうやこく)の場所

琅邪国ろうやこくの場所


琅邪国ろうやこくしんが置いたのが始まりで、建武けんぶ年間(25年〜55年)に城陽国じょうようこくを廃して統合されました。洛陽らくよう雒陽らくよう)から800里に位置します。

琅邪国ろうやこくの領城地図

琅邪国(ろうやこく)の領城

琅邪国ろうやこくの領城

戸数 / 人口

20,804戸 / 570,967人

領城

開陽県かいようけん東武県とうぶけん琅邪県ろうやけん東莞県とうかんけん

海曲県かいきょくけん諸県しょけん莒県きょけん東安県とうあんけん

陽都県ようとけん臨沂県りんぎけん即丘侯国そくきゅうこうこく繒侯国そうこうこく

姑幕県こばくけんの13城。

郡治所

開陽県かいようけん

特記事項

  • 開陽県かいようけんはもとは東海郡とうかいぐんに属していましたが、建初けんしょ5年(80年)に琅邪国ろうやこくに属していました。
  • 東莞県とうかんけんには鄆亭うんてい邳郷ひきょう公来山こうきざんがあります。もとは浮来ふらいと呼ばれました。
  • 莒県きょけんには崢嶸谷そうこうこくがあり、鉄を産出します。もとは国で城陽国じょうようこくに属していました。
  • 東安県とうあんけんはもとは城陽国じょうようこくに属していました。
  • 陽都県ようとけんには牟台ぼうたいがあります。もとは城陽国じょうようこくに属していました。
  • 臨沂県りんぎけんには叢亭そうていがあります。もとは城陽国じょうようこくに属していました。
  • 即丘侯国そくきゅうこうこくはもとは東海郡とうかいぐんに属していました。春秋時代には祝丘しゅくきゅうと言いました。
  • 繒侯国しょうこうこくには概亭がいていがあります。もとは東海郡とうかいぐんに属していました。

彭城国(ほうじょうこく)

彭城国(ほうじょうこく)の場所

彭城国ほうじょうこくの場所


彭城国ほうじょうこく高帝こうてい劉邦りゅうほう)が置いてとしたのが始まりで、章帝しょうてい彭城国ほうじょうこくと改名しました。洛陽らくよう雒陽らくよう)の東1,220里に位置します。

彭城国ほうじょうこくの領城地図

彭城国(ほうじょうこく)の領城

彭城国ほうじょうこくの領城

戸数 / 人口

86,170戸 / 493,027人

領城

彭城県ほうじょうけん武原県ぶげんけん傅陽県ふようけん呂県りょけん

留県りゅうけん梧県ごけん菑丘県しきゅうけん広戚県こうせきけんの8城。

郡治所

彭城県ほうじょうけん

特記事項

  • 彭城県ほうじょうけんは鉄を産出します。
  • 傅陽県ふようけんには柤水さすいがあります。
  • 広戚県こうせきけんはもとは沛国はいこくに属していました。

広陵郡(こうりょうぐん)

広陵郡(こうりょうぐん)の場所

広陵郡こうりょうぐんの場所


広陵郡こうりょうぐん景帝けいていが置いて江都国こうとこくとしたのが始まりで、武帝ぶてい広陵郡こうりょうぐんと改名しました。建武けんぶ年間(25年〜55年)に泗水国しすいこくを廃して統合されました。洛陽らくよう雒陽らくよう)の東1,640里に位置します。

広陵郡こうりょうぐんの領城地図

広陵郡(こうりょうぐん)の領城

広陵郡こうりょうぐんの領城

戸数 / 人口

83,907戸 / 410,190人

領城

広陵県こうりょうけん江都県こうとけん高郵県こうゆうけん平安県へいあんけん

淩県りょうけん東陽県とうようけん射陽県しゃようけん塩瀆県えんとくけん

輿侯国よこうこく堂邑県どうゆうけん海西県かいせいけん、(海陵県かいりょうけん)の11(12)城。

特記事項

  • 広陵県こうりょうけんには東陵亭とうりょうていがあります。
  • 江都県こうとけんには江水祠こうすいしがあります。
  • 淩県りょうけんはもとは泗水国しすいこくに属していました。
  • 東陽県とうようけんはもとは臨淮郡りんわいぐんに属していました。長洲澤ちょうしゅうたくがあり、呉王ごおう劉濞りゅうび太倉たいそうはここにありました。
  • 射陽県しゃようけんはもとは臨淮郡りんわいぐんに属していました。
  • 塩瀆県えんとくけんはもとは臨淮郡りんわいぐんに属していました。
  • 輿侯国よこうこくはもとは臨淮郡りんわいぐんに属していました。
  • 堂邑県どうゆうけんは鉄を産出します。もとは臨淮郡りんわいぐんに属していました。また、春秋時代にはどうと言いました。
  • 海西県かいせいけんはもとは東海郡とうかいぐんに属していました。

郡治所

広陵県こうりょうけん

下邳国(かひこく)

下邳国(かひこく)の場所

 


下邳国かひこく武帝ぶていが置いて臨淮郡りんわいぐんとしたのが始まりで、永平えいへい15年(72年)に下邳国かひこくと改名しました。洛陽らくよう雒陽らくよう)の東1,400里に位置します。

下邳国かひこくの領城地図

下邳国(かひこく)の領城

下邳国かひこくの領城

戸数 / 人口

136,389戸 / 611,083人

領城

下邳県かひけん徐県じょけん僮侯国どうこうこく睢陵県すいりょうけん

下相県かしょうけん淮陰県わいいんけん淮浦県わいほけん盱台県くいけん盱眙県くいけん)、

高山県こうざんけん潘旌県はんせいけん淮陵県わいりょうけん取慮県しゅうろけん

東成県とうせいけん曲陽侯国きょくようこうこく司吾侯国しごこうこく良成県りょうせいけん

夏丘県かきゅうけんの13城。

郡治所

下邳県かひけん

特記事項

  • 下邳県かひけんには葛嶧山かつえきざん(もとの嶧陽山えきようざん)があり、鉄を産出します。もとは東海郡とうかいぐんに属していました。
  • 徐県じょけんはもとは国で、樓亭ろうていいにしえ蔞林ろうりん)があります。
  • 取慮県しゅりょけんには蒲姑陂ほこひがあります。
  • 曲陽侯国きょくようこうこくはもとは東海郡とうかいぐんに属していました。
  • 司吾侯国しごこうこくはもとは東海郡とうかいぐんに属していました。
  • 良成県りょうせいけんは春秋時代にはりょうと言い、もとは東海郡とうかいぐんに属していました。
  • 夏丘県かきゅうけんはもとは沛国はいこくに属していました。

潘旌県はんせいけんの位置は調査中です。

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