後漢(ごかん)末期の徐州(じょしゅう)が管轄する郡(領郡)と、それぞれの郡が管轄する県(領城)の詳細地図です。


三国時代[魏(ぎ)の景元(けいげん)3年(262年)]の徐州(じょしゅう)の地図はこちら

【三国志地図】「徐州(じょしゅう)」の郡県詳細地図(三国時代)


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徐州刺史部の領郡

徐州(じょしゅう)の場所

徐州(じょしゅう)の場所

徐州(じょしゅう)の場所

徐州(じょしゅう)の領郡地図

徐州(じょしゅう)の領郡

徐州(じょしゅう)の領郡

戸数 / 人口

466,054戸 / 2,791,680人

領郡

東海郡(とうかいぐん)、琅邪国(ろうやこく)、彭城国(ほうじょうこく)、広陵郡(こうりょうぐん)、下邳国(かひこく)の5郡。

州治所

東海郡(とうかいぐん)・郯県(たんけん)


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徐州各郡の領県

東海郡(とうかいぐん)

東海郡(とうかいぐん)の場所

東海郡(とうかいぐん)の場所


東海郡(とうかいぐん)は高帝(こうてい)(劉邦(りゅうほう))が置いたのが始まりで、洛陽(らくよう)(雒陽(らくよう))の東1,400里に位置します。

東海郡(とうかいぐん)の領城地図

東海郡(とうかいぐん)の領城

東海郡(とうかいぐん)の領城

戸数 / 人口

148,784戸 / 706,416人

領城

郯県(たんけん)、蘭陵県(らんりょうけん)、戚県(せきけん)、胊県(きょうけん)、

襄賁県(じょうひけん)、昌慮県(しょうりょけん)、承県(しょうけん)、陰平県(いんぺいけん)、

利城県(りじょうけん)、合郷県(ごうきょうけん)(合城県(ごうじょうけん))、祝其県(しゅきけん)、厚丘県(こうきゅうけん)、

贛楡県(かんゆけん)の13城。

郡治所

郯県(たんけん)

特記事項

  • 郯県(たんけん)はもとは国でした。
  • 蘭陵県(らんりょうけん)には次室亭(じしつてい)があります。
  • 胊県(きょうけん)には伊盧郷(いろきょう)があり、鉄を産出します。
  • 昌慮県(しょうりょけん)には藍郷(らんきょう)があります。
  • 祝其県(しゅくきけん)には羽山(うざん)があります。春秋時代には祝其県(しゅくきけん)は夾谷(きょうこく)の地と言いました。
  • 贛楡県(かんゆけん)はもとは琅邪国(ろうやこく)に属していましたが、建初(けんしょ)5年(80年)に東海郡(とうかいぐん)に復しました。

琅邪国(ろうやこく)

琅邪国(ろうやこく)の場所

琅邪国(ろうやこく)の場所


琅邪国(ろうやこく)は秦(しん)が置いたのが始まりで、建武(けんぶ)年間(25年〜55年)に城陽国(じょうようこく)を廃して統合されました。洛陽(らくよう)(雒陽(らくよう))から800里に位置します。

琅邪国(ろうやこく)の領城地図

琅邪国(ろうやこく)の領城

琅邪国(ろうやこく)の領城

戸数 / 人口

20,804戸 / 570,967人

領城

開陽県(かいようけん)、東武県(とうぶけん)、琅邪県(ろうやけん)、東莞県(とうかんけん)、

海曲県(かいきょくけん)、諸県(しょけん)、莒県(きょけん)、東安県(とうあんけん)、

陽都県(ようとけん)、臨沂県(りんぎけん)、即丘侯国(そくきゅうこうこく)、繒侯国(そうこうこく)、

姑幕県(こばくけん)の13城。

郡治所

開陽県(かいようけん)

特記事項

  • 開陽県(かいようけん)はもとは東海郡(とうかいぐん)に属していましたが、建初(けんしょ)5年(80年)に琅邪国(ろうやこく)に属していました。
  • 東莞県(とうかんけん)には鄆亭(うんてい)、邳郷(ひきょう)、公来山(こうきざん)があります。もとは浮来(ふらい)と呼ばれました。
  • 莒県(きょけん)には崢嶸谷(そうこうこく)があり、鉄を産出します。もとは国で城陽国(じょうようこく)に属していました。
  • 東安県(とうあんけん)はもとは城陽国(じょうようこく)に属していました。
  • 陽都県(ようとけん)には牟台(ぼうたい)があります。もとは城陽国(じょうようこく)に属していました。
  • 臨沂県(りんぎけん)には叢亭(そうてい)があります。もとは城陽国(じょうようこく)に属していました。
  • 即丘侯国(そくきゅうこうこく)はもとは東海郡(とうかいぐん)に属していました。春秋時代には祝丘(しゅくきゅう)と言いました。
  • 繒侯国(しょうこうこく)には概亭(がいてい)があります。もとは東海郡(とうかいぐん)に属していました。

彭城国(ほうじょうこく)

彭城国(ほうじょうこく)の場所

彭城国(ほうじょうこく)の場所


彭城国(ほうじょうこく)は高帝(こうてい)(劉邦(りゅうほう))が置いて楚(そ)としたのが始まりで、章帝(しょうてい)が彭城国(ほうじょうこく)と改名しました。洛陽(らくよう)(雒陽(らくよう))の東1,220里に位置します。

彭城国(ほうじょうこく)の領城地図

彭城国(ほうじょうこく)の領城

彭城国(ほうじょうこく)の領城

戸数 / 人口

86,170戸 / 493,027人

領城

彭城県ほうじょうけん、武原県ぶげんけん、傅陽県ふようけん、呂県(りょけん)、

留県(りゅうけん)、梧県(ごけん)、菑丘県(しきゅうけん)、広戚県(こうせきけん)の8城。

郡治所

彭城県ほうじょうけん

特記事項

  • 彭城県ほうじょうけんは鉄を産出します。
  • 傅陽県ふようけんには柤水(さすい)があります。
  • 広戚県(こうせきけん)はもとは沛国(はいこく)に属していました。

広陵郡(こうりょうぐん)

広陵郡(こうりょうぐん)の場所

広陵郡(こうりょうぐん)の場所


広陵郡(こうりょうぐん)は景帝(けいてい)が置いて江都国(こうとこく)としたのが始まりで、武帝(ぶてい)が広陵郡(こうりょうぐん)と改名しました。建武(けんぶ)年間(25年〜55年)に泗水国(しすいこく)を廃して統合されました。洛陽(らくよう)(雒陽(らくよう))の東1,640里に位置します。

広陵郡(こうりょうぐん)の領城地図

広陵郡(こうりょうぐん)の領城

広陵郡(こうりょうぐん)の領城

戸数 / 人口

83,907戸 / 410,190人

領城

広陵県(こうりょうけん)、江都県(こうとけん)、高郵県(こうゆうけん)、平安県(へいあんけん)、

淩県(りょうけん)、東陽県(とうようけん)、射陽県(しゃようけん)、塩瀆県(えんとくけん)、

輿侯国(よこうこく)、堂邑県(どうゆうけん)、海西県(かいせいけん)、(海陵県(かいりょうけん))の11(12)城。

特記事項

  • 広陵県(こうりょうけん)には東陵亭(とうりょうてい)があります。
  • 江都県(こうとけん)には江水祠(こうすいし)があります。
  • 淩県(りょうけん)はもとは泗水国(しすいこく)に属していました。
  • 東陽県(とうようけん)はもとは臨淮郡(りんわいぐん)に属していました。長洲澤(ちょうしゅうたく)があり、呉王(ごおう)・劉濞(りゅうび)の太倉(たいそう)はここにありました。
  • 射陽県(しゃようけん)はもとは臨淮郡(りんわいぐん)に属していました。
  • 塩瀆県(えんとくけん)はもとは臨淮郡(りんわいぐん)に属していました。
  • 輿侯国(よこうこく)はもとは臨淮郡(りんわいぐん)に属していました。
  • 堂邑県(どうゆうけん)は鉄を産出します。もとは臨淮郡(りんわいぐん)に属していました。また、春秋時代には堂(どう)と言いました。
  • 海西県(かいせいけん)はもとは東海郡(とうかいぐん)に属していました。

郡治所

広陵県(こうりょうけん)

下邳国(かひこく)

下邳国(かひこく)の場所

下邳国(かひこく)の場所


下邳国(かひこく)は武帝(ぶてい)が置いて臨淮郡(りんわいぐん)としたのが始まりで、永平(えいへい)15年(72年)に下邳国(かひこく)と改名しました。洛陽(らくよう)(雒陽(らくよう))の東1,400里に位置します。

下邳国(かひこく)の領城地図

下邳国(かひこく)の領城

下邳国(かひこく)の領城

戸数 / 人口

136,389戸 / 611,083人

領城

下邳県(かひけん)、徐県(じょけん)、僮侯国(どうこうこく)、睢陵県(すいりょうけん)、

下相県(かしょうけん)、淮陰県(わいいんけん)、淮浦県(わいほけん)、盱台県(くいけん)(盱眙県(くいけん))、

高山県(こうざんけん)、潘旌県(はんせいけん)、淮陵県(わいりょうけん)、取慮県(しゅりょけん)、

東成県(とうせいけん)、曲陽侯国(きょくようこうこく)、司吾侯国(しごこうこく)、良成県(りょうせいけん)、

夏丘県(かきゅうけん)の13城。

郡治所

下邳県(かひけん)

特記事項

  • 下邳県(かひけん)には葛嶧山(かつえきざん)(もとの嶧陽山(えきようざん))があり、鉄を産出します。もとは東海郡(とうかいぐん)に属していました。
  • 徐県(じょけん)はもとは国で、樓亭(ろうてい)(古(いにしえ)の蔞林(ろうりん))があります。
  • 取慮県(しゅりょけん)には蒲姑陂(ほこひ)があります。
  • 曲陽侯国(きょくようこうこく)はもとは東海郡(とうかいぐん)に属していました。
  • 司吾侯国(しごこうこく)はもとは東海郡(とうかいぐん)に属していました。
  • 良成県(りょうせいけん)は春秋時代には良(りょう)と言い、もとは東海郡(とうかいぐん)に属していました。
  • 夏丘県(かきゅうけん)はもとは沛国(はいこく)に属していました。

※ 潘旌県(はんせいけん)の位置は調査中です。


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