『三国志演義』から正史『三国志』まで、『三国志』に関連する用語を簡単に解説する用語事典の「せ」で始まる用語をまとめています。
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せ
西王母(せいおうぼ)
すべての仙女を支配する古代中国の神話上の女神。西の仙境・崑崙山の主人で玉皇大帝の妻。姓名は楊回。
九霊太妙亀山金母、太霊九光亀台金母、瑶池金母、金母元君、西霊聖母、金母、王母、西姥など多くの呼称があり、王母娘娘とも呼ばれます。
もとは「顔は人間でぼさぼさの頭に玉のかんざしを飾り、豹の尾と虎の牙を持つ」半人半獣の姿で、天災と5つの刑罰を司る存在でしたが、時代が下るにつれ、崑崙山で「食べると不老不死となる蟠桃の園」を管理する美しい女神へと変化していきました。
関連用語
盛化門(せいかもん)
洛陽(雒陽)城内の門の1つ。
蔡邕は、この門において詔を拝受していました。
旌旗(せいき)
はた。のぼり。軍旗。
青瑣門(せいさもん)
洛陽城(雒陽城)・南宮の嘉徳殿の門の名称。
正史『三国志』(せいしさんごくし)
蜀漢と西晋に仕えた陳寿(233年〜297年)が編纂した三国時代の歴史書。『魏書』30巻、『蜀書』15巻、『呉書』20巻で構成されています。
また日本では、歴史書の『三国志』と明代に成立した歴史小説の『三国志演義』との混同を避けるため、正史『三国志』と呼ばれています。
関連用語
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制書(せいしょ)
漢代において天子が下す文書の書式の1つで、恩赦や贖罪の命令を下す場合などに用いられました。
西晋(せいしん)
晋王・司馬炎(後の西晋の武帝)が曹魏の元帝(曹奐)から禅譲を受けて建国した中華の古代王朝の1つ。首都は洛陽。
その後、孫呉を滅ぼして天下を統一した晋は、官制の改革、泰始律令の制定、占田・課田制の実施などを行いましたが、「八王の乱」による混乱で大きく衰退し、匈奴の劉淵による前趙(漢)の建国を招きました。
その後、劉淵の子・劉聡が洛陽を攻めて懐帝(司馬熾)を拉致(永嘉の乱)。これに抵抗して長安で即位した愍帝(司馬鄴)も降伏し、西晋は滅亡しました。
関連用語
世祖廟令(せいそびょうれい)
定員:1名・秩六百石(-)
[後漢=○・魏=×・蜀=×・呉=×]
太常に属し、後漢の世祖(光武帝)の廟(お墓)を守衛し、巡察と清掃を担当する官職。
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青龍偃月刀(せいりゅうえんげつとう)
『三国志演義』で関羽が使っていたことで有名な、青龍の装飾が施された偃月刀。
偃月刀は長柄に幅が広い片刃の刀身を取り付けた大刀の代名詞とも言える長兵器で、大刀の中でも最重量で華やかな装飾が施されており、実戦よりも主に演舞や訓練で用いられました。
大刀の起源は前漢まで遡りますが、青龍偃月刀が出現するのは宋代(960年〜1279年)に入ってからで、当然、正史『三国志』には関羽が青龍偃月刀を使っていたという記録はありません。
ちなみに、北宋の『武経総要』には大刀のバリエーションとして、
- 屈刀
- 掩月刀(偃月刀)
- 眉尖刀(薙刀)
- 鳳嘴刀
- 筆刀
の5つが紹介されています。
石渠(せききょ)
前漢・長安城内の未央宮の北側に設けられた建物のこと。石渠閣。
蕭何によって建造され、秦の滅亡時に獲得した典籍が収蔵されました。また、前漢第11代皇帝・成帝期には秘蔵書を収蔵しています。
石渠閣会議(せききょかくかいぎ)
前漢第9代皇帝・宣帝期に開かれた、儒者を集めて五経の異同について議論させた会議のこと。
この会議では特に『春秋穀梁伝』が顕彰(功績などを一般に知らせ表彰すること)され、議論の結果は戴聖『石渠礼論』にまとめられました。
赤幘(せきさく)
武吏(武官)が身につけた赤い頭巾。
武威を示すもので、秦代に武将が赤い鉢巻きを身につけていたことに由来します。
鮮卑(せんぴ)
東胡の後裔と言われる北アジアの遊牧民族。
後漢建国当初は匈奴に率いられ、後漢の支配地域を度々侵略しましたが、匈奴が衰退すると後漢に帰服し、その後は漢人との交易を許可された代償として後漢に侵入を試みる北匈奴や烏桓と戦いました。
前漢(ぜんかん)
中華の古代王朝の1つ。
漢王・劉邦が秦末期の楚漢戦争で楚の項羽を破って漢を建国しました。首都は長安。
呉楚七国の乱を経て支配体制を強化し、匈奴や南越国の征伐などにより版図を拡大させるが、第7代皇帝・武帝が崩御すると外戚や宦官の専横を招き、王莽に帝位を簒奪されました。
この王莽に帝位を簒奪されるまでの漢を、現在では前漢と言い分けています。
関連用語
先主(せんしゅ)
1.
先代の主君のこと。
2.
蜀漢の初代皇帝・昭烈帝(劉備)のこと。
『蜀書』(正史『三国志』)において先主と言えば、劉備のことを指します。
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