後漢ごかん・三国時代の太常たいじょうの職務と太常府たいじょうふの属官・属吏についてまとめています。

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太常(たいじょう)

職務

太常たいじょう九卿きゅうけいの1つに数えられる官職で、礼儀(大射たいしゃ*1養老ようろう*2大喪たいそう*3)と祭祀さいしの統括を担当します。

  • 礼儀や祭祀さいしを取り仕切り、常に天子てんしの補助をする。
  • 月末に陵園りょうえん宗廟そうびょうを巡察する。
  • 試験により博士はくしを選定する。

太常たいじょう光禄勲こうろくくん衛尉えいいの3つのけいは、太尉たいいの管轄になります。

脚注

*1 儀礼の1つ。君主が臣下を招いてもよおした宴。その席上で新家に3度にわたって的を射させた。

*2 儀礼の1つ。人徳・年齢共に高い人物を選び、皇帝がみずからもてなし表彰する。

*3 儀礼の1つ。皇帝・皇太后・太皇太后の葬儀。

基本情報

詳細が不明の箇所は空白にしています。

  後漢ごかん しょく
定員 1人 1人 1人 1人
秩石
品秩
中二千石 三品    
印綬 銀印青綬      

太常の変遷

太常たいじょうは、前漢ぜんかん初期から三国時代まで、次のように改称されています。

時期 名称
前漢ぜんかん初期 奉常ほうじょう
景帝けいてい以降 太常たいじょう
王莽おうもう 秩宗ちつそう
後漢ごかん 太常たいじょう
曹操そうそう魏公ぎこう以降 奉常ほうじょう
太常たいじょう
他の官職についてはこちら

【後漢・三国時代の官職】目次


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太常府

以下は続漢書ぞくかんじょ百官志ひゃっかんしと「ちくま学芸文庫『正史 三国志8』三国官職表」を基に作成しています。【】内は【定員・官秩・品秩】、[]内はそれぞれの王朝での情報になります。

続漢書ぞくかんじょ百官志ひゃっかんし三国官職表さんごくかんしょくひょうで情報が違う場合は、()内に三国官職表さんごくかんしょくひょうの情報を記載します。

太常の属吏

太常丞たいじょうじょう

【1名・比千石・七品】

後漢ごかん=○・=○・しょく=?・=?]


太常たいじょうの次官。儀礼の執行ならびに祭祀さいしの細かい事柄と、官署の事務を担当する。

また、漢舊儀かんきゅうぎには「太常丞たいじょうじょう宗廟そうびょう内の不法行為を行う者を摘発する」とあります。


太常主簿たいじょうしゅぼ

【1名・-・八品】

後漢ごかん=×・=○・しょく=?・=?]


庶事を取り仕切る。

において太常丞たいじょうじょうの事務の役割を分けて設置されたものと思われます。


その他

その他のえんは状況に応じて定員を定めます。


漢官かんかんには、太常たいじょうに所属する員吏いんりは85名とあり、その内訳は以下のようになっています。

  • 四科しか:12名
  • :15名
  • 假佐かさ仮佐かさ):5名
  • 百石ひゃくせき:13名
  • 騎吏きり:15名
  • 学事がくじ:9名
  • 守学事しゅがくじ:16名

太常の属官

太史令たいしれい

【1名・六百石・六品】

後漢ごかん=○・=○・しょく=○・=○]


天地自然の法則と星の運行の観察、こよみの作成を担当する。

  • 新年のこよみを作成する。
  • 祭祀さいし・葬礼・婚礼の、良い日取りや禁忌きんきを報告する。
  • 国に起こった瑞祥ずいしょう(吉兆)や災異さいいを記録する。
属官
太史丞たいしじょう

【1名・三百石・八品】

後漢ごかん=○・=○・しょく=○・=○]


太史令たいしれいの次官。


漢官かんかんには太史待詔たいしたいしょうに所属する員吏いんりは37名とあり、その内訳は以下のようになっています。

  • 治歴ちれき:6名
  • 亀卜きぼく:3名
  • 盧宅ろたく:3名
  • 日時じつじ:4名
  • 易筮えきぜい:3名
  • 点禳てんじょう:2名
  • 籍氏せきし許氏きょし典昌氏てんしょうし:各3名
  • 嘉法かほう請雨せいう解事かいじ:各2名
  • ):1名
明堂丞めいどうじょう

【1名・二百石・-】

後漢ごかん=○・=×・しょく=×・=×]


明堂めいどうを守衛します。

明堂めいどうとは、王者が国家の典礼に関する重要な行事を行う建物のこと。後漢ごかんでは、洛陽城らくようじょう南壁の開陽門かいようもんの外に建設されていました。


漢官かんかんには明堂丞めいどうじょうに所属する員吏いんりは42名とあり、その内訳は以下のようになっています。

  • 百石ひゃくせき:2名
  • 斗食としょく:2名
  • :23名
  • 有秩ゆうちつ:9名
  • 学事がくじ:2名
  • 守学事しゅがくじ:4名

またこの他に、

  • さい:242名
  • 屠者としゃ:73名
  • 衛士えいし:15名

が所属しています。

霊台丞れいだいじょう

【1名・二百石・八品】

後漢ごかん=○・=太史霊台丞たいしれいだいじょうしょく=?・=?]


霊台れいだいを守衛します。

霊台れいだいとは、天文と気象を観測するための物見台のことで、太陽・月・星・気を観測します。後漢ごかんでは、洛陽城らくようじょう南壁の開陽門かいようもんの外に建設されていました。


漢官かんかんには霊台待詔れいだいたいしょうに所属する員吏いんりは41名とあり、その内訳は以下のようになっています。

  • 候星こうせい:14名
  • 候日こうじつ:2名
  • 候風こうふう:3名
  • 候気こうき:12名
  • 候晷景こうきけい:3名
  • 候鍾律こうしょうりつ:7名
  • 舎人しゃじん:1名

博士祭酒はくしさいしゅ

【1名・六百石・五品】

後漢ごかん=○・=太学博士祭酒たいがくはくしさいしゅしょく=?・=博士祭酒はくしさいしゅ


太学たいがく博士はくしの中から選ばれ、国の学問を取り仕切る。

前漢ぜんかんでは博士僕射はくしぼくやと呼称されていました。

属官
博士はくし

【14名(19名)・比六百石・五品】

後漢ごかん=○・=太学博士たいがくはくし(19名)・しょく=博士はくし(不明)・=博士はくし(不明)]


太学たいがくの学生(博士弟子はくしていし)に儒教じゅきょうや官僚として必要な知識を教え、国に疑義(疑問に思われること)があれば意見を求められます。


  • えき博士はくし施氏しし孟氏もうし梁丘氏りょうきゅうし京氏けいし
  • 尚書しょうしょ博士はくしせい韓氏かんし
  • れいれい)の博士はくし大戴氏だいたいし小戴氏しょうたいし
  • 春秋しゅんじゅう博士はくし公羊厳氏こうようげんし顔氏がんし

     

に置かれた博士はくし【定員4名・比六百石・六品】は後漢ごかん博士はくしとは別で、天子てんしの車を先導し、おう以下の諡号しごうを議定します。


太祝令たいしゅくれい

【1名・六百石・七品】

後漢ごかん=○・=○・しょく=?・=?]


祭祀さいしの際に祝詞のりとを読み上げ、神霊を送迎します。

また、漢舊儀かんきゅうぎには「太祝令たいしゅくれい宗廟そうびょう祭祀さいの際に、席と酒の管理をする」とあります。

属官
太祝丞たいしゅくじょう

【1名・三百石・九品】

後漢ごかん=○・=○・しょく=?・=?]


太祝令たいしゅくれいの次官。格下の神を言祝ことほぐ(喜びや祝いの言葉を述べる)ことを担当する。


漢官かんかんには、太祝令たいしゅくれいに所属する員吏いんりが以下のようにしるされています。

  • 百石ひゃくせき:2名
  • 斗食としょく:2名
  • :22名
  • 学事がくじ:2名
  • 守学事しゅがくじ:4名
  • 有秩ゆうちつ:9名
  • 祝人しゅくじん:150名
  • さい:242名

太宰令たいさいれい

【1名・六百石・-】

後漢ごかん=○・=×・しょく=×・=×]


かなえ(脚のついたなべ型の祭器)やまないた、その他膳立ぜんだてに用もちいる道具の作成を統括し、祭祀さいしの際に供え物を盛るための食器を陳列する。

太宰令たいさいれい三国官職表さんごくかんしょくひょうには記載されていません。

属官
太宰丞たいさいじょう

【1名・三百石・-】

後漢ごかん=○・=×・しょく=×・=×]


太宰令たいさいれいの次官。


協律都尉きょうりつとい

【1名・-・六品】

後漢ごかん=×・=○・しょく=×・=×]


音律の調和、楽人の監督をします。


大予楽令だいよがくれい

【1名・六百石・七品】

後漢ごかん=○・=太楽令たいがくれいしょく=?・=?]


祭祀さいしの際に音楽の演奏を取り仕切り、大饗だいきょうにおいては楽器を陳列します。


漢官かんかんには、大予楽令だいよがくれいに所属する員吏いんりが以下のようにしるされています。

  • 百石ひゃくせき:2名
  • 斗食としょく:2名
  • :7名
  • 学事がくじ:10名
  • 守学事しゅがくじ:4名
  • 楽人八佾舞がくじんはちいつぶ:380名

漢大楽律かんだいがくりつには、

卑賤ひせんな者の子、宗廟そうびょうり行うちゅう飲酎いんちゅう)でうことができない。官秩が二千石から六百石までのに任用された者の子、ならびに爵位しゃくい関内侯かんだいこうから五大夫ごたいふまでの者の子で、嫡子ちゃくしのうち身長5尺以上かつ、12歳から30歳までの者のうち、顔つきがなごやかで健康な者が舞人ぶじんに採用された」

とあります。

関連記事

秦・漢代の爵位「二十等爵」と軍隊における爵位

属官
大予楽丞だいよがくじょう

【1名・三百石・九品】

後漢ごかん=○・=太楽丞たいがくじょうしょく=?・=?]


大予楽令だいよがくれいの次官。


高廟令こうびょうれい

【1名・六百石・-】

後漢ごかん=○・=×・しょく=×・=×]


前漢ぜんかん高祖こうそ劉邦りゅうほう)のびょう(お墓)を守衛し、巡察と清掃を担当する。

漢官かんかんには、高廟令こうびょうれいに所属する員吏いんりは4名、衛士えいしは15名とあります。


世祖廟令せいそびょうれい

【1名・六百石・-】

後漢ごかん=○・=×・しょく=×・=×]


後漢ごかん世祖せいそ光武帝こうぶてい)のびょう(お墓)を守衛し、巡察と清掃を担当する。

漢官かんかんには、世祖廟令せいそびょうれいに所属する員吏いんりは6名、衛士えいしは20名とあります。


太廟令たいびょうれい

【1名・六百石・七品】

後漢ごかん=×・=○・しょく=志高廟令しこうびょうれい(1)、昭烈帝廟令しょうれつていびょうれい(1)・=○]

太廟令の属官
  • 斎郎さいろう【不明・-・八品】
  • 行夜督郎こうやとくろう【不明・-・九品】

陵園令りょうえんれい

【1名・六百石・七品】

後漢ごかん=○・=園邑令えんゆうれいしょく=園邑令えんゆうれい=園邑令えんゆうれい


先帝せんてい陵園りょうえん(歴代皇帝のお墓)ごとに1名ずつ置かれ、陵園りょうえんを守衛し、巡察と清掃を担当する。

属官
陵園丞りょうえんじょう

【1名・三百石・九品】

後漢ごかん=○・=園邑丞えんゆうじょうしょく=園邑丞えんゆうじょう=園邑丞えんゆうじょう


陵園令りょうえんれいの次官。

校長こうちょう

【1名・二百石・-】

軍事と盗賊の取り締まりを担当する。


食官令しょくかんれい食監しょくかん

【1名・六百石・七品】

後漢ごかん=○・=×・しょく=×・=×]

毎月15日と月末に祭祀さいしを行う。

属官
  • 監丞かんじょう食監丞しょくかんじょう)【1名・三百石・-】
  • 中黄門ちゅうこうもん【8名・-・-】
  • 従官じゅうかん【2名・-・-】

属官一覧表

詳細が不明の箇所は空白にしていますが、他の史料で情報を見つけ次第随時追記します。

官職名下の数字は定員です。

官職名 秩石 備考
品秩
太常丞たいじょうじょう
(1)
比千石
  • 儀礼・祭祀さいしの小事をつかさどり、諸曹を取り仕切る。
  • しょく=不明。
七品
太常主簿たいじょうしゅぼ
(1)
 
  • 庶事を取り仕切る。
  • しょく=不明。
  • のみ。
八品
博士はくし
(4)
比六百石
  • 曹丕そうひが設置。
  • 天子てんしの車を先導し、王公以下の諡号しごうを決める。
  • しょく=無。
  • のみ。後漢ごかん博士はくしとは別。
六品
協律都尉きょうりつとい
(1)
 
  • 曹操そうそうが設置。
  • 音律の調和、楽人の監督をつかさどる。
  • しょく=無。
  • のみ。
六品
太史令たいしれい
(1)
六百石
  • 時節・天文星暦をつかさどり、新年のこよみを作成する。
  • 吉凶の日を知らせ、瑞兆ずいちょう・災異を記録する。
  • しょく=同名。
六品
属官 太史丞たいしじょう
1
二百石
  • 太史令たいしれいの次官。
  • しょく=不明。=同名。
八品
属官 明堂丞めいどうじょう
1
二百石
  • 明堂めいどうを守衛する。
  • 後漢ごかんのみ。
属官 霊台丞れいだいじょう
1
二百石
  • 霊台れいだいを守衛する。
  • 後漢ごかんのみ。
八品
属官 太史霊台丞たいしれいだいじょう
1
二百石
  • 天文の観察、こよみ頒布はんぷつかさどる。
  • しょく=不明。
  • 後漢ごかん=無。
八品
博士祭酒はくしさいしゅ
(1)
六百石
  • 博士はくしより選ばれ、国士学を取り仕切る。
  • =太学博士祭酒たいがくはくしさいしゅしょく=不明。=博士祭酒はくしさいしゅ
五品
属官 博士はくし
19
比六百石
  • 五経を官僚の子弟に教育する。
  • =太学博士たいがくはくし
  • しょく=博士はくし。定員不明。劉備りゅうびしょく平定時。
  • =博士はくし。定員不明。永安えいあん5年(262年)設置。
五品
太廟令たいびょうれい
(1名)
六百石
  • 廟堂びょうどうを守護し、巡察・清掃をつかさどる。
  • しょく=志高廟令しこうびょうれい昭烈帝廟令しょうれつていびょうれい
  • =太廟令たいびょうれい
  • 後漢ごかん=無。
七品
属官 斎郎さいろう
不明
  • 後漢ごかん=無。
八品
属官 行夜督郎こうやとくろう
不明
  • 後漢ごかん=無。
九品
太祝令たいしゅくれい
(1)
六百石
  • 国の祭祀さいしの時祝詞のりとを読み、神を迎送する。
  • しょく=不明。
七品
属官 太祝丞たいしゅくじょう
1
 
  • 小神の時に祝詞のりとを読む。
九品
太楽令たいがくれい
(1)
六百石
  • 国の祭祀さいし及び大宴の時、奏楽をつかさどる。
  • しょく=不明。
五品
属官 太楽丞たいがくじょう
1
 
  • しょく=不明。
九品
陵園令りょうえんれい
(1)
六百石
  • 陵園を守り、巡察・清掃をつかさどる。
  • しょく=園邑令えんゆうれい
五品
属官 陵園丞りょうえんじょう
1
 
  • しょく=園邑丞えんゆうじょう
九品
他の官職についてはこちら

【後漢・三国時代の官職】目次


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【後漢・三国】太常一覧表

後漢

天子 名前 在位
光武帝こうぶてい 邳彤ひとう 25年
桓栄かんえい 54年〜59年
明帝めいてい 周沢しゅうたく 67年〜75年
明帝めいてい 楼望ろうぼう 75年〜80年
章帝しょうてい
章帝しょうてい 丁鴻ていこう 87年〜92年
和帝わてい
和帝わてい 桓郁かんいく 92年〜93年
張奮ちょうふん 93年〜94年
巣堪そうかん 98年
戴封たいほう 100年
殤帝しょうてい 尹勤いんきん ?〜106年
殤帝しょうてい 魏覇ぎは 106年〜107年
安帝あんてい
安帝あんてい 周章しゅうしょう 107年
劉愷りゅうがい 107年〜112年
李郃りこう ?〜117年
楊震ようしん 120年
朱倀しゅちょう 120年〜121年
馮石ふうせき 124年
安帝あんてい 桓焉かんえん 124年〜126年
順帝じゅんてい
順帝じゅんてい 劉光りゅうこう 126年〜127年
王龔おうきょう 127年〜129年
孔扶こうふ 129年〜133年
桓焉かんえん 133年〜140年
順帝じゅんてい 馬訪ばほう 144年
沖帝ちゅうてい
桓帝かんてい
黄瓊こうけい 149年〜151年
羊溥ようほ 151年〜?
胡広ここう 153年
韓演かんえん 155年
孫朗そんろう 157年
胡広ここう 157年〜158年
楊秉ようへい 159年〜160年
虞放ぐほう 160年
劉矩りゅうく 160〜161年
馮緄ふうこん 162年
楊秉ようへい 162年
劉茂りゅうも 165年
胡広ここう 166年
趙典ちょうてん 166年
霊帝れいてい 許訓きょくん 169年
張奐ちょうかん 169年
来豔らいえん ?年〜171年
宗俱そうく 171年
唐珍とうちん 173年
陳耽ちんたん 174年
劉逸りゅういつ 176年
許戫きょいく 177年
陳耽ちんたん 177年
張顥ちょうこう 178年
来豔らいえん 178年
陳球ちんきゅう 178年
張済ちょうせい 179年
陳耽ちんたん 181年
袁隗えんかい 181年
劉焉りゅうえん 187年〜188年
献帝けんてい 馬日磾ばびつてい 191年
楊彪ようひょう 191年
种拂ちゅうふつ 192年
趙温ちょうおん 193年
楊彪ようひょう 194年
皇甫嵩こうほすう 195年
王偉 おうい 195年
趙岐ちょうき 201年
楊彪ようひょう 202年〜205年
徐璆じょきゅう 207年〜208年
張音ちょうおん ?〜220年

奉常ほうじょう

名前 在位
曹操そうそう 涼茂りょうも 216年〜217年
王修おうしゅう 217年〜218年
王朗おうろう 218年〜219年

太常たいじょう

天子 名前 在位
曹丕そうひ 邢貞けいてい 221年〜?
邢顒けいぎょう ?〜223年
董昭とうしょう 224年
桓階かんかい 黄初こうしょ年間
趙咨ちょうし 黄初こうしょ年間
曹丕そうひ 韓曁かんき 226年〜234年
曹叡そうえい
曹叡そうえい 和洽かこう 235年〜?
曹叡そうえい 常林じょうりん 238年〜240年?
曹芳そうほう
曹芳そうほう 高柔こうじゅう 245年
曹芳そうほう 王肅おうしゅく 249年〜254年
曹髦そうぼう
曹髦そうぼう 夏侯玄かこうげん 254年
任昊じんこう 254年
王祥おうしょう 正元せいげん年間
鄭袤ていぼう 260年?
夏侯和かこうか 260年?
曹髦そうぼう 陳泰ちんたい 260年
曹奐そうかん
曹奐そうかん 諸葛緒しょかつしょ 264年〜265年

蜀漢

王 / 天子 名前 在位
漢中王かんちゅうおう
劉備りゅうび
許靖きょせい 219年〜221年
劉備りゅうび 許靖きょせい 221年〜?
劉禅りゅうぜん  
劉禅りゅうぜん 王謀おうぼう 223年〜?
杜瓊とけい ?〜250年
鐔承たんしょう 250年〜?
張峻ちょうしゅん ?〜263年〜?

天子 名前 在位
孫権そんけん 顧雍こよう 225年
陳化ちんか 225年〜?
潘濬はんしゅん ?〜229年〜?
張弥ちょうび ?〜233年
潘濬はんしゅん 234年〜?
顧譚こたん 243年〜244年
傅常ふじょう 244年〜?
孫権そんけん 滕胤とういん 251年〜258年
孫亮そんりょう
孫亮そんりょう 全尚ぜんしょう 258年
孫休そんきゅう 濮陽興ぼくようこう 258年〜262年
孫皓そんこう 姚信ようしん ?〜267年〜?
周処しゅうしょ ?〜276年〜?
張夔ちょうき ?〜280年
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