『三国志演義』から正史『三国志』まで、『三国志』に関連する用語を簡単に解説する用語事典の「か行」で始まる用語をまとめています。
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か行
夏(か)
中華の古代王朝。
始祖である禹は13年かけて大洪水を治め、三皇五帝の五帝の1人・舜に帝位を譲られました。
即位した舜は夏后と称し、死後はその子孫が帝位を継ぐ中華で最初の世襲王朝となりました。
外戚(がいせき)
皇后や皇太后の親族のこと。皇后や皇太后の親族は、多くの場合特別に引き立てられて高位に就きました。
後漢第4代皇帝・和帝以降幼少の天子が即位するようになると、外戚は絶大な権力を握り、成人した天子さえも脅かす存在になります。
これに対し、成人した和帝が宦官の協力を得て外戚の排斥に成功したことから、以降宦官の政治への影響力が増すことになりました。
関連用語
劾奏(がいそう)
上奏文をたてまつり、罪ある者を弾劾すること。
開陽門(かいようもん)
後漢・洛陽城(雒陽城)の外周の門の1つで、南側の城壁に4つある城門のうち、一番東側にある城門のこと。
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洛陽(雒陽)の城門の配置図はこちら。
加官(かかん)
単独では任命されず、本官(メインの官職)に付加される官職。
郭門(かくもん)
邑を取り囲む城壁に設けられた門のこと。
鶡冠(かつかん)
1対のやまどりの尾羽根を左右にまっすぐに立てた冠のこと。
武冠・繁冠・大冠とも言います。
五官中郎将・左中郎将・右中郎将・虎賁中郎将・羽林中郎将・羽林左監・羽林右監などの任官者が身につけました。
河南尹(かなんいん)
1.
司隷の郡の1つ。後漢の首都・洛陽があります。
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2. 定員:1名・秩中二千石(三品)
洛陽とその周辺を治める河南尹の太守のこと。
家令(かれい)
皇后・公主[天子(皇帝)の娘]・太子(皇子)などの宮殿に置かれ、事務・会計や使用人を取り仕切ります。
官秩は、
- 太子家令:千石
- 公主家令:六百石
となります。
漢(かん)
中華の古代王朝の1つ。
漢王・劉邦が秦末期の楚漢戦争で楚の項羽を破って建国しました。首都は長安。
第7代皇帝・武帝が崩御すると外戚や宦官の専横を招いて王莽に簒奪を許しますが、劉秀(光武帝)によって中興されます。首都は洛陽(雒陽)。
現在では、王莽に簒奪されるまでの漢を前漢、光武帝によって中興された後の漢を後漢と言い分けますが、当時の国号は共に漢と称しました。
関連用語
轘(かん)
刑罰(処刑方法)の1つ。
罪人の四肢に4台の馬車を繋いで一気に発進させ、身体を引き裂く処刑方法。
車裂きの刑、轘裂、車轘とも呼ばれます。
漢官(かんかん)
漢代の官職の「官秩・人数などを記した書物。撰者不明。全5巻。
「漢官六種」の1つとされていましたが、散逸してしまいました。
宦官(かんがん)
後宮での奴隷労働の担い手として去勢された、異民族の捕虜や重罪人の男性こと。
後漢第4代皇帝・和帝による外戚・竇憲の排斥に協力したことから宦官の政治参加が始まり、第11代皇帝・桓帝の時代には国政に絶大な影響力を持つようになります。
このような宦官の権限拡大は、賄賂の横行などで朝廷を腐敗させる原因となりました。
宦者、中官、黄門、奄人などと呼ぶこともあります。
関連用語
漢官儀(かんかんぎ)
漢代の官職の「名称・沿革・職掌・所属関係」などを記した書物。応劭の撰。全10巻。
「漢官六種」の1つとされていましたが、散逸してしまいました。
漢官典職儀式選用(かんかんてんしょくぎしきせんよう)
漢代の官職と儀式典礼について記録した書物。蔡質(蔡邕の叔父)の撰。
隋代には全2巻、唐代・宋代には全1巻となり、散佚してしまいました。
『漢職儀』、『漢官典儀』、『漢官典職』、『漢官典職儀』と呼ばれることもあります。
諫議大夫(かんぎたいふ)
定員:なし・秩六百石(七品)
[後漢=○・魏=○・蜀=○・呉=○]
光禄勲に属する天子の補佐官。一定の職責を持たず、天子の質問への回答や郡国への使者など、状況に応じて任務を与えられます。
関連用語
漢舊儀 / 漢旧儀(かんきゅうぎ)
前漢の官制・典礼を記録した書物。衛宏の撰。全4巻。
「漢官六種」の1つとされていましたが、散逸してしまいました。
漢書(かんじょ)
前漢の高祖から王莽に至る前漢の歴史を扱う歴史書(正史)。
後漢の班固の著。
本紀と列伝の一部には父の班彪が『史記』の続編として書きついでいた「後伝」を用い、表と「天文志」は妹の班昭と弟子の馬続によって執筆されました。
『漢書』は、
- 断代史の形式(1つの王朝についてのみ記録する形式)を創始したこと
- 史伝の文体を確立したこと
- 刑法志・五行志・地理志・芸文志を設けたこと
など、後世の正史に及ぼした影響は大きいと言われています。
関連用語
関内(かんだい)
函谷関以西の地域のこと。関中とも言います。
銜璧(かんぺき)
璧を口に銜えて降伏すること。
古代中華の降伏儀礼では、敗戦国の君主が璧を口に銜えて後ろ手に縛り、柩を背負う従者を同伴して戦勝国の君主の前に進み出て降伏を申し入れました。
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