何太后に宦官一掃を認めさせるため、何進はついに洛陽に諸豪族を呼び寄せることを決定しました。そこへ進み出た曹操は、一体何を言い出すのでしょうか?
スポンサーリンク
地方の豪族を呼び寄せる
前回は洛陽に諸豪族を呼び寄せることを決定したところまででしたよね。
それで陳琳が反対して、曹操が大笑いしながら何かを言おうとしてたんだ!態度デカいなぁ(笑)
そうですね!
では、そこで「曹操が何を言い出したのか」から始めましょう。
ご確認
この記事は『三国志演義』に基づいてお話ししています。正史『三国志』における「何進の死と宦官一掃」については、こちらをご覧ください。
なぜ袁紹の宦官一掃は成功したのか?何進の死と袁紹による宦官の一掃
曹操の反対
大声で笑いながら進み出た曹操は、何進に向かって次のように進言しました。
「宦官どもが国の災いとなっているのは、彼らに権力を与え過ぎたからです。
彼らの罪をただすのであれば、罪ある者を捕らえてたった1人の獄吏に引き渡せば良いだけです。地方の軍勢を呼び寄せる必要などありません。
宦官たちをすべて滅ぼそうとするなら、必ず秘密が漏れて失敗に終わるでしょう」
つまり、曹操も反対ってことですね。
その通りです。
ですが、何進は「お前も二心があるのか!」と怒鳴りつけただけで、考えを改めようとはしませんでした。
曹操が宦官の孫だから、宦官の味方をしているって言いたいのかな?
それもあるかもしれませんね。
何進は反対意見を押さえると、各地に豪族たちを呼び寄せる密使を送ります。そして、西涼刺史の董卓の元にも何進の密書が届きました。
あれっ?
董卓って、黄巾の乱の討伐に失敗して失脚したんじゃなかったでしたっけ?
ではここで少し、これまでの董卓の動向についてお話ししますね。
黄巾の乱の時、盧植の後任として張角の討伐を任された董卓ですが、勝つことができないばかりか負け続け、董卓は罷免されて、代わりに皇甫嵩が派遣されました。
本来ならば敗戦の罪に問われるところですが、十常侍に賄賂を贈って罪を逃れた董卓は、その後も有力者に取り入って、この時は西涼(涼州)の刺史となって、20万の大軍を率いていました。
うまいことやりやがったな董卓…。
関連記事
【007】黄巾賊討伐1:劉備・関羽・張飛の義勇軍と若き日の英雄たちの活躍
董卓の出陣
ではお話しを戻しましょう。
何進の密書が届くと、ひそかに野望を抱いていた董卓は、チャンス到来とばかりにほくそ笑みました。
董卓は娘婿の牛輔に本拠地を守らせると、配下の李傕、郭汜、張済、樊稠らと共に、自ら軍勢を率いて洛陽に向かって出発します。
そして、参謀の李儒の進言に従って送った上奏文には、中常侍・張譲をはじめとする宦官たちの罪状と、董卓自ら洛陽に向かい、国家のために彼らを討ち果たす旨が書かれていました。
自分が失敗した時は宦官に助けてもらったくせに、宦官を悪者にしてる…。
でもオレ嫌いじゃないわこういうの。
董卓の上奏文を受け取った何進は、上機嫌でその上奏文を重臣たちに見せました。
それを見た侍御史の鄭泰と盧植が進み出て「董卓は危険人物です。洛陽に入れてはいけません」と忠告しますが、何進は「お前たちは疑り深い。そのようなことでは大事は謀れないぞ」と言って聞き入れなかったので、鄭泰と盧植は官職を捨てて去ってしまいます。
またこの時、鄭泰と盧植の他にも、朝廷の大臣たちの大半がその場を去って行きました。
おいおい!何進大丈夫か?人望ないな(笑)
大臣たちも、ちょっと無責任な気がするけど…。
確かに無責任ですね。
それだけ朝廷での董卓の評判が悪かったということでしょう。
スポンサーリンク
何進の死と宦官一掃の強行
十常侍たちの謀略
何進は人をやって澠池まで董卓を出迎えますが、なぜか董卓はそこから動こうとしませんでした。
董卓の進軍経路
各地から軍勢が集まっていることを知った張譲たちは、「これは何進の計略に違いない」と見て、長楽宮の嘉徳門の内に兵を伏せ、何太后の元に向かいます。
張譲たちは「大将軍(何進)が自分たちを殺すために兵を洛陽に呼び寄せています。どうかお助けください」と命乞いをすると、何太后は何進に謝りに行くように助言しました。
ですが張譲たちは「謝りに行こうものなら皆殺しにされてしまいます」と、何進を参内させて何太后から直接やめさせるように頼み込みます。
そして何太后はついに、張譲たちに言われるがまま、何進を呼び出す詔を下してしまったのでした。
また何太后にとめられちゃうのかな?
いや、張譲が兵を伏せてるからね。この兵で何進を殺すつもりなのさ。
何進の死
そうですね。
ですが、もちろん何進の部下にもそれに気づいている人はいました。
詔が届くと、何進はすぐさま参内しようとします。
これを見た主簿の陳琳や袁紹、曹操らは、十常侍たちの陰謀を警戒して、何進に参内を見合わせるように進言しました。
ですが何進は「十常侍など恐れるに足らずっ!」と、参内をやめようとしません。
結局、万が一の時に何進を守れるように、袁紹の弟の袁術に精兵500を率いさせ、袁紹と曹操が何進の左右を護衛して参内することになりました。
何進さんって頑固だね。
こういう上司を持つと大変だよ。
何進たちが長楽宮の前まで来ると、新たな詔が届いて、「今回は特別に大将軍(何進)だけに向けた宣旨であるから、他の者は門の外で待つように」とのことです。
これにより、袁紹と曹操、袁術に率いられた精兵は門の外で待つことになり、何進は1人で何太后の待つ嘉徳殿へと向かうことになりました。
これじゃ私でも怪しいと思うよ。
そうですよね〜。
ですが、何進は気にすることなく意気揚々と中に入っていってしまいました。
そして、何進が嘉徳殿の門まで来ると、中常侍の張譲と段珪が現れて道を塞ぎ、何事かと驚く何進に言い放ちます。
「何進よ、お前はなぜ罪のない董太后を毒殺したのか。また、お前はもともと我々のお陰で出世できたのに、恩を忘れて害しようとはどういうことだっ!」
言い終わると、伏せられていた兵たちが一斉に打って出て、何進を斬り殺してしまいました。
まぁ、そうなるわな。
みんな止めてたのにね…。
袁紹による宦官一掃
門の外で待たされていた袁紹は、何進がなかなか戻らないので心配になってきます。
もう、いくら待っても帰ってこないよっ!
待ちきれなくなった袁紹が門の外から声をかけると、なんと返事の代わりに何進の首が投げ返されました。
これを見た袁紹は声を荒げて号令をかけると、何進の部下の呉匡は青瑣門に火をかけ、袁紹、袁術、曹操は、宦官を皆殺しにしようと宮中に突入します。
これによって、十常侍の趙忠、程曠、夏惲、郭勝の4人は斬られ、張讓、段珪、曹節、侯覧は、何太后と少帝、陳留王の3人を連れ出して逃げ出しました。
とうとう始まっちゃいましたね。
何太后と少帝、陳留王の3人が、十常侍の手の内にあるのが厄介だな。
そうですね。
この時張讓たちの前に盧植が立ちはだかったので、何太后だけは助けることができました。
盧植さんっ!
官職を捨てて何進のもとを去った盧植ですが、乱に備えてまだ洛陽に留まっていたんです。
さすが盧植さんねっ!
そういえばこの時、何苗はどうしてたのかな?
ちゃっかり宦官を殺す側に回ってたりして(笑)
良い質問ですねっ!
何進と対立していた何苗は「兄殺し」として兵たちに囲まれて殺されてしまいました。
この時袁紹たちに殺された宦官の数は2,000人にのぼったと言われており、中にはヒゲを生やしていなかったために宦官と間違われて殺された人もいたと言われています。
また、何進の死をきっかけに悲願であった宦官の一掃を成し遂げた袁紹たちですが、少帝と陳留王は、張讓たちに連れ出され、洛陽を脱出してしまいました。
次回はいよいよ董卓が洛陽にやってきますよ。
次回
【013】連れ去られた少帝と陳留王のゆくえと董卓による朝廷支配