大将軍(だいしょうぐん)・何進(かしん)の仇討ちとばかりに宮中に突入した袁紹(えんしょう)たちは悲願の宦官一掃に成功しましたが、後漢の天子・少帝(しょうてい)と陳留王(ちんりゅうおう)は、十常侍(じゅうじょうじ)・張讓(ちょうじょう)たちに連れ去られた後でした。
果たして少帝(しょうてい)と陳留王(ちんりゅうおう)の運命は…。

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少帝と陳留王の帰還


タカオタカオ

前回は、袁紹(えんしょう)たちが宦官たちを皆殺しにしたところまででしたよね。

マリコマリコ

でも少帝(しょうてい)と陳留王(ちんりゅうおう)が、張讓(ちょうじょう)たちに連れ去られてしまったんですよね。助けなきゃっ!

王先生王先生

そうですね!
今回はまず、十常侍(じゅうじょうじ)・張讓(ちょうじょう)たちに連れ去られた少帝(しょうてい)と陳留王(ちんりゅうおう)のゆくえからお話ししていきましょう。

ご確認

この記事は『三国志演義』に基づいてお話ししています。正史『三国志』における董卓(とうたく)の入洛については、こちらをご覧ください。

諸豪族の入洛。董卓はどのようにして権力を手中に収めたのか

十常侍たちの死


王先生王先生

少帝(しょうてい)と陳留王(ちんりゅうおう)が連れ去られた事に気づいた河南中部掾(かなんちゅうぶえん)の閔貢(びんこう)は、少帝(しょうてい)と陳留王(ちんりゅうおう)を追いかけます。

マリコマリコ

河南中部掾(かなんちゅうぶえん)ってなんですか?

王先生王先生

河南中部掾(かなんちゅうぶえん)とは河南尹(かなんいん)の属官で、各県を巡察する監察官(督郵(とくゆう))の1人です。

督郵(とくゆう)の管轄(かんかつ)は東・西・南・北・中の5部に分かれていて、河南中部掾(かなんちゅうぶえん)は、河南尹(かなんいん)の中部の県を管轄する督郵(とくゆう)ということになりますね。

マリコマリコ

なるほどっ!劉備(りゅうび)さんをクビにしようとした人と同じ官職ですね。

タカオタカオ

本筋には関係ないでしょ。

マリコマリコ

でもなんか気になっちゃって…。


張讓(ちょうじょう)たちを見つけた閔貢(びんこう)が、「逆賊、逃げるなっ!」と大声で叫(さけ)ぶと、「もはやこれまで」と観念した張讓(ちょうじょう)たちは、河に身を投げて自殺してしまいます。

ですが、肝心の少帝(しょうてい)と陳留王(ちんりゅうおう)が見当たらないため、閔貢(びんこう)たちは四方に分かれて天子を探し始めました。



マリコマリコ

少帝(しょうてい)と陳留王(ちんりゅうおう)はどこに行ってしまったの?

王先生王先生

実は、少帝(しょうてい)と陳留王(ちんりゅうおう)もそこにいたのですが、驚いて草むらに身を伏せていたため、閔貢(びんこう)たちは気づくことができなかったんです。

タカオタカオ

あらら…。

マリコマリコ

子供2人で大丈夫かな…?

王先生王先生

安心して下さい。
2人がトボトボと歩いていると、付近の小さな屋敷の主人が2人を見つけて無事保護されました。


屋敷の主人は司徒(しと)を務めたこともある崔烈(さいれつ)の弟・崔毅(さいき)という者で、十常侍(じゅうじょうじ)たちが官職を売り物にして真面目な人物を遠ざけるので、ここに隠棲(いんせい)していたのでした。

その後、ちょうどそこへ2人を探す閔貢(びんこう)が通りかかったので、崔毅(さいき)の痩(や)せた馬に少帝(しょうてい)が乗り、陳留王(ちんりゅうおう)は閔貢(びんこう)の馬に同乗して洛陽(らくよう)に向かうことになりました。

少し行くと、司徒(しと)・王允(おういん)、太尉(たいい)・楊彪(ようひょう)、左軍校尉(さぐんこうい)・淳于瓊(じゅんうけい)、右軍校尉(ゆうぐんこうい)・趙萌(ちょうぼう)、後軍校尉(こうぐんこうい)・鮑信(ほうしん)、中軍校尉(ちゅうぐんこうい)・袁紹(えんしょう)らが数百の兵を率(ひき)いて合流しました。



マリコマリコ

お〜っ!良かった、もう安心ね。

董卓の入洛


王先生王先生

少帝(しょうてい)の一行が洛陽(らくよう)に向けて進んでいると、1隊の人馬が近づいて来るのが見えます。

タカオタカオ

来たな…。


袁紹(えんしょう)が馬を走らせ前に出て「何者か!」と問うと、隊を率(ひき)いる将は「天子はどこにいるっ!」と、ぶっきらぼうに怒鳴(どな)り返しました。その様子に驚いた少帝(しょうてい)はガクガクと震えています。

すると、陳留王(ちんりゅうおう)が進み出て「お前は何者だ?」と、もう一度尋(たず)ねます。

将が「西涼(せいりょう)の刺史(しし)・董卓(とうたく)だ」と答えると「天子をお守りするために来たのならば、なぜ馬を下りないのだっ!」と、陳留王(ちんりゅうおう)は臆(おく)することなく董卓(とうたく)を一喝しました。

董卓(とうたく)は慌(あわ)てて馬を下りて平伏すると、陳留王(ちんりゅうおう)の見事な対応に感服しました。



マリコマリコ

董卓(とうたく)っ!

タカオタカオ

そう、董卓(とうたく)。

マリコマリコ

董卓(とうたく)って、劉備(りゅうび)さんに助けられたのに無礼な態度をしてた人ですよね。

王先生王先生

そうです。よく覚えていましたね。
少帝(しょうてい)と陳留王(ちんりゅうおう)は、董卓(とうたく)や袁紹(えんしょう)たちに守られて、洛陽(らくよう)に帰ることができました。


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董卓の朝廷支配

失われた「伝国の玉璽」


王先生王先生

少帝(しょうてい)と陳留王(ちんりゅうおう)が洛陽(らくよう)に帰ってみると、伝国の玉璽(ぎょくじ)がなくなっていることに気づきます。

マリコマリコ

伝国の玉璽(ぎょくじ)ってなんですか?

タカオタカオ

伝国の玉璽(ぎょくじ)は、歴代皇帝に受け継がれてきた皇帝専用のハンコだよ。皇帝の証(あか)しだね。

マリコマリコ

え〜っ!皇帝の証(あか)しがなくなったらどうなっちゃうの?

タカオタカオ

まぁ、伝国の玉璽(ぎょくじ)が紛失したからといって、少帝(しょうてい)の正当性がなくなるわけではないけどね。

王先生王先生

そうですね。
ですが、この時「伝国の玉璽(ぎょくじ)」を紛失してしまったことは覚えておいてくださいね。

マリコマリコ

はい!メモしておきます。

董卓による軍権の掌握


王先生王先生

そして、洛陽(らくよう)に入った董卓(とうたく)は軍権の掌握に乗り出します。


董卓(とうたく)は城外に駐屯し、毎日武装した騎兵を入城させて城内を行軍させたので、民衆は皆(みな)董卓(とうたく)を恐れるようになります。

これに危機感を抱いた後軍校尉(こうぐんこうい)・鮑信(ほうしん)は、「董卓(とうたく)は野心を抱(いだ)いているに違いない。今のうちになんとかするべきです」と、中軍校尉(ちゅうぐんこうい)・袁紹(えんしょう)と司徒(しと)の王允(おういん)に訴(うった)えました。

ですが、「朝廷の騒動が鎮(しず)まったばかりだから、軽々しく動くべきではない」と、袁紹(えんしょう)も王允(おういん)も董卓(とうたく)の行いを傍観(ぼうかん)するだけでした。

この言葉に呆(あき)れた鮑信(ほうしん)は、部下の軍勢を引き連れて故郷の秦山郡(たいざんぐん)に帰ってしまいました。



タカオタカオ

袁紹(えんしょう)の悪いところが出たな…。

マリコマリコ

董卓(とうたく)って宦官たちを殺すために呼ばれたんだよね。もう宦官はいないんだから、帰れって言えばいいのに。

タカオタカオ

それであの横暴な董卓(とうたく)が帰ると思う?
董卓(とうたく)はこれを機に朝廷を支配しようという野心を持ってるんだよ?

マリコマリコ

思わない(笑)

王先生王先生

そうですよね。
そうこうしているうちに、董卓(とうたく)は殺された何進(かしん)や何苗(かびょう)の兵を手懐(てなず)けて、洛陽(らくよう)の軍権を掌握してしまいました。

タカオタカオ

言わんこっちゃない!

十常侍(じゅうじょうじ)の張讓(ちょうじょう)たちに連れ去られた少帝(しょうてい)と陳留王(ちんりゅうおう)は、閔貢(びんこう)や袁紹(えんしょう)、そして董卓(とうたく)たちのお陰で洛陽(らくよう)に帰ることができました。

ですが、これで霊帝(れいてい)死後の混乱が治(おさ)まったわけではなく、涼州(りょうしゅう)からやってきた董卓(とうたく)によって、朝廷はますます混乱していくことになります。



王先生王先生

次回は、洛陽(らくよう)の軍権を掌握した董卓(とうたく)が何をしたのかについてお話しします。

次回

【014】董卓の少帝廃位に反対した丁原と呂布の裏切り

三国志演義の解説を順番に読もう!

 三国志演義教室【目次】