大将軍・何進の仇討ちとばかりに宮中に突入した袁紹たちは悲願の宦官一掃に成功しましたが、後漢の天子・少帝と陳留王は、十常侍・張讓たちに連れ去られた後でした。
果たして少帝と陳留王の運命は…。
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少帝と陳留王の帰還
前回は、袁紹たちが宦官たちを皆殺しにしたところまででしたよね。
でも少帝と陳留王が、張讓たちに連れ去られてしまったんですよね。助けなきゃっ!
そうですね!
今回はまず、十常侍・張讓たちに連れ去られた少帝と陳留王のゆくえからお話ししていきましょう。
ご確認
この記事は『三国志演義』に基づいてお話ししています。正史『三国志』における董卓の入洛については、こちらをご覧ください。
十常侍たちの死
少帝と陳留王が連れ去られた事に気づいた河南中部掾の閔貢は、少帝と陳留王を追いかけます。
河南中部掾ってなんですか?
河南中部掾とは河南尹の属官で、各県を巡察する監察官(督郵)の1人です。
督郵の管轄は東・西・南・北・中の5部に分かれていて、河南中部掾は、河南尹の中部の県を管轄する督郵ということになりますね。
なるほどっ!劉備さんをクビにしようとした人と同じ官職ですね。
本筋には関係ないでしょ。
でもなんか気になっちゃって…。
張讓たちを見つけた閔貢が、「逆賊、逃げるなっ!」と大声で叫ぶと、「もはやこれまで」と観念した張讓たちは、河に身を投げて自殺してしまいます。
ですが、肝心の少帝と陳留王が見当たらないため、閔貢たちは四方に分かれて天子を探し始めました。
少帝と陳留王はどこに行ってしまったの?
実は、少帝と陳留王もそこにいたのですが、驚いて草むらに身を伏せていたため、閔貢たちは気づくことができなかったんです。
あらら…。
子供2人で大丈夫かな…?
安心して下さい。
2人がトボトボと歩いていると、付近の小さな屋敷の主人が2人を見つけて無事保護されました。
屋敷の主人は司徒を務めたこともある崔烈の弟・崔毅という者で、十常侍たちが官職を売り物にして真面目な人物を遠ざけるので、ここに隠棲していたのでした。
その後、ちょうどそこへ2人を探す閔貢が通りかかったので、崔毅の痩せた馬に少帝が乗り、陳留王は閔貢の馬に同乗して洛陽に向かうことになりました。
少し行くと、司徒・王允、太尉・楊彪、左軍校尉・淳于瓊、右軍校尉・趙萌、後軍校尉・鮑信、中軍校尉・袁紹らが数百の兵を率いて合流しました。
お〜っ!良かった、もう安心ね。
董卓の入洛
少帝の一行が洛陽に向けて進んでいると、1隊の人馬が近づいて来るのが見えます。
来たな…。
袁紹が馬を走らせ前に出て「何者か!」と問うと、隊を率いる将は「天子はどこにいるっ!」と、ぶっきらぼうに怒鳴り返しました。その様子に驚いた少帝はガクガクと震えています。
すると、陳留王が進み出て「お前は何者だ?」と、もう一度尋ねます。
将が「西涼の刺史・董卓だ」と答えると「天子をお守りするために来たのならば、なぜ馬を下りないのだっ!」と、陳留王は臆することなく董卓を一喝しました。
董卓は慌てて馬を下りて平伏すると、陳留王の見事な対応に感服しました。
董卓っ!
そう、董卓。
董卓って、劉備さんに助けられたのに無礼な態度をしてた人ですよね。
そうです。よく覚えていましたね。
少帝と陳留王は、董卓や袁紹たちに守られて、洛陽に帰ることができました。
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董卓の朝廷支配
失われた「伝国の玉璽」
少帝と陳留王が洛陽に帰ってみると、伝国の玉璽がなくなっていることに気づきます。
伝国の玉璽ってなんですか?
伝国の玉璽は、歴代皇帝に受け継がれてきた皇帝専用のハンコだよ。皇帝の証しだね。
え〜っ!皇帝の証しがなくなったらどうなっちゃうの?
まぁ、伝国の玉璽が紛失したからといって、少帝の正当性がなくなるわけではないけどね。
そうですね。
ですが、この時「伝国の玉璽」を紛失してしまったことは覚えておいてくださいね。
はい!メモしておきます。
董卓による軍権の掌握
そして、洛陽に入った董卓は軍権の掌握に乗り出します。
董卓は城外に駐屯し、毎日武装した騎兵を入城させて城内を行軍させたので、民衆は皆董卓を恐れるようになります。
これに危機感を抱いた後軍校尉・鮑信は、「董卓は野心を抱いているに違いない。今のうちになんとかするべきです」と、中軍校尉・袁紹と司徒の王允に訴えました。
ですが、「朝廷の騒動が鎮まったばかりだから、軽々しく動くべきではない」と、袁紹も王允も董卓の行いを傍観するだけでした。
この言葉に呆れた鮑信は、部下の軍勢を引き連れて故郷の秦山郡に帰ってしまいました。
袁紹の悪いところが出たな…。
董卓って宦官たちを殺すために呼ばれたんだよね。もう宦官はいないんだから、帰れって言えばいいのに。
それであの横暴な董卓が帰ると思う?
董卓はこれを機に朝廷を支配しようという野心を持ってるんだよ?
思わない(笑)
そうですよね。
そうこうしているうちに、董卓は殺された何進や何苗の兵を手懐けて、洛陽の軍権を掌握してしまいました。
言わんこっちゃない!
十常侍の張讓たちに連れ去られた少帝と陳留王は、閔貢や袁紹、そして董卓たちのお陰で洛陽に帰ることができました。
ですが、これで霊帝死後の混乱が治まったわけではなく、涼州からやってきた董卓によって、朝廷はますます混乱していくことになります。
次回は、洛陽の軍権を掌握した董卓が何をしたのかについてお話しします。