朝廷から任命された盧植・皇甫嵩・朱儁に加え、曹操・劉備らの活躍によって、黄巾賊は徐々に追いつめられていきます。
黄巾の乱が終息に向かう中、もう一人の英雄が登場します。
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黄巾賊の崩壊
前回は、無礼な董卓に張飛が怒ったところまででしたよね。
せっかく助けてあげたのに、怒って当然ですよね。
そうですね。今回は、劉備たち義勇軍の活躍の後編です。
ご確認
この記事は『三国志演義』に基づいてお話ししています。正史『三国志』における黄巾の乱については、こちらをご覧ください。
劉備、朱儁を頼る
劉備は董卓がいる幕舎に殴り込もうとする張飛を必死で止めると、張飛の怒りを鎮めるために朱儁のもとに向かうことにしました。
あれ?涿郡に帰るんじゃなかったの?
ひと暴れさせて張飛の怒りを発散させたかったんじゃない?
鉅鹿郡と潁川郡の場所
劉備たち義勇軍が朱儁のもとを訪れると、朱儁は歓迎して義勇軍を先鋒に配置します。
張飛大暴れですね!
そうなんです。
張宝が副将の高昇を差し向けると、張飛が躍り出てひと突きに打ち倒してしまいました。
高昇の方が災難だな。これは(笑)
張宝の妖術
これに勢いを得た義勇軍が一気に攻撃を仕掛けようとしますが、これを見た張宝は髪を振り乱して邪法を使い始めます。
でたな妖術っ!
妖術を使われたら、いくら関羽や張飛でもかなわないんじゃない?
張宝が呪文を唱えると、嵐が起こって一筋の黒い気が湧き起こり、その気の中から無数の人馬が現れて、劉備たち義勇軍に襲いかかります。
さすがの義勇軍もこれにはかなわず、一旦引き上げて作戦を練ることにしました。
そして、朱儁から邪法を破る方法を教わると、義勇軍は再び張宝軍に挑みます。
まず、劉備は関羽と張飛に1,000の兵を与えて左右の崖の上に隠すと張宝軍に攻めかかりました。
そして、張宝が邪法を使って人馬を呼び出すと、劉備は軍を反転して関羽と張飛が待つ崖の下へと誘導します。
青州で使った戦法と同じだね。
関羽と張飛が用意した豚や羊の血を張宝軍にぶちまけると、邪法によって生み出された人馬は消え去ってしまいました。
これを朱儁さんが教えてくれたのね!
邪法が敗れると、関羽と張飛が左右から攻めかかったため、張宝は退いて近くの陽城県に立てこもりました。ちなみに陽城県は、潁川郡の中の県です。
妖術さえ封じてしまえば、関羽と張飛の敵じゃないね!
朱儁は陽城県を包囲すると、皇甫嵩の様子を探らせました。
脚注
町の中にある日本の城と違って、中国では町(県)全体を城壁で囲んでいるため、県全体が城の役目をしていました。
張角3兄弟の死
報告によると、董卓が張角に連敗したため、朝廷は董卓を罷免して皇甫嵩に張角の討伐を命じていました。
また、皇甫嵩が到着したときにはすでに張角は病死していたので、曹操と合流して曲陽郡で張梁を討ち、張角の墓をあばいて晒したとのことでした。
あとは張宝だけかっ!
そうですね。報告を聞き終わると、朱儁は張宝が籠もる陽城県に総攻撃をしかけます。
また妖術使ってくるのかな?
籠城戦で妖術使われたらやっかいだな。
でもその心配はいりませんでした。賊将・厳政が張宝を殺して降伏してきたのです。
おお〜っ!
朱儁は降伏を受け入れて、朝廷に戦勝を奏上しました。
やった!黄巾の乱の鎮圧成功っ!
なんかあっけなかったね。
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黄巾の乱の終結
宛城の戦い
まだ終わった訳ではありませんよ!
趙弘、韓忠、孫仲の3人が、数万の兵を集めて宛城を根城に暴れ回っていたので、朝廷は朱儁に討伐を命じました。
まだいたのか、往生際が悪いな。
おっ!劉備さんたちも行くんですね!
宛城の場所
朱儁はまず劉備・関羽・張飛に宛城の西南を攻めさせ、朱儁は自ら鉄騎兵2,000を率いて宛城の東南から攻めかかりました。
守備隊を城の西南に集めていた賊軍は、前後から攻撃を受けてあせって兵を東南に移したので、劉備たちは混乱した西南から突入し、賊軍は宛城を放棄して別の小さな城に逃げ込みました。
『三国志演義』では、宛城に籠もっていたはずの賊軍が宛城に逃げ込んだとなっています。『三国志演義』には、地名や官職の誤植が多いので注意が必要です。
確かに「あれっ?」ってなりますよね。
賊軍が籠もる小城を包囲すると、兵糧がつきた尽きた韓忠は降伏を申し出てきましたが、朱儁は許しません。ですが、これに劉備が意見します。
ほうほう、どんな?
劉備
高祖・劉邦は、降伏してきた者を拒まず受け入れたから天下を得ることができたのです。なぜ韓忠の降伏を受け入れないのですか?
そうよ、黄巾賊ももとは漢の民じゃない。許してあげれば良いのに。
朱儁
当時は天下に定まった主君がいなかった。高祖・劉邦は降伏してきた勢力を許し、まとめることによって天下を統一できたのである。
黄巾賊の行いは漢に対する反逆である。勢いのあるときは思いのままに略奪し、勝ち目のないときには降伏すれば許されるのであっては、反逆者を増長させるだけである。
朱儁のほうが正論だね。劉備の負け(笑)
そうですね。
ですが、完全に包囲してしまうとこちらの被害も大きくなるので、逃げ道を残して、逃げてきた賊軍を討つことにしました。
朱儁は城の東と南をあけておき、西と北から一斉に攻めたてると、城を捨てて逃げ出した韓忠を追撃して朱儁自ら韓忠を射殺しました。
ですがそこへ趙弘・孫仲が軍勢を率いてやってくると、朱儁は勢いに押されて軍を引いたので、趙弘・孫仲に宛城を奪われてしまいました。
孫堅の登場
朱儁が軍勢を立て直し、再び宛城に攻めかかろうとしたとき、真東から新手の軍隊が現れました。孫堅です。
お〜っ!孫堅っ!
孫権のお父さんですよね!
そういえば、マリコちゃん孫権好きだったんだっけ?
うんっ!
『レッドクリフ』の孫権、めっちゃカッコ良かった!
ではここで、『三国志演義』に描かれた曹操の特徴と略歴を確認しておきましょう。
孫堅の特長と略歴
姓は孫、名は堅、字は文台。
孫堅の外見は、額が広く顔が大きく、身体は虎のごとく、腰は熊に似ていると記されています。
呉郡・富春県の人で、17歳のときに海賊を討ったのを皮切りに、会稽郡で陽明皇帝を名乗った許昌・許韶親子を討伐して名を挙げていました。
このときは、淮水、汜水の精鋭1,500を率いて応援に駆けつけたのでした。
額が広く顔が大きくって、褒めてるのかな?
う〜ん、微妙…。でも逞しいのは分かった(笑)
朱儁は孫堅の援軍を大変喜んで、孫堅には南門を、劉備には北門を攻めるように命じ、自らは西門を攻めることにしました。
わざと東門をあけておいたんだね!
孫堅の部隊は真っ先に城壁を乗り越えて趙弘を討ち、北門から打って出た孫仲は、劉備の放った矢によって討ち取られました。
大将を失った黄巾賊は総崩れとなって、黄巾賊の最後の拠点である南陽郡(宛城のある郡)は平定されました。
朱儁は洛陽に凱旋し、これによって黄巾の乱は一応の終結を向かえました。
やった〜っ!みなさん、お疲れ様でした!
次回は黄巾の乱で手柄を立てた人たちに与えられた恩賞についてお話しします。