江東の平定を目指す孫策は、帰順した太史慈の活躍により豫章郡(予章郡)を平定すると、次の目標を呉郡の厳白虎に定めますが…。
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目次
厳白虎の討伐
画像出典:ChinaStyle.jp
前回は、孫策が豫章郡(予章郡)を平定したところまででしたよね。
降参した太史慈さんが、豫章郡(予章郡)の人たちをまとめてくれたんですよね。
これは太史慈を信頼した孫策の判断が良かったねっ!
そうですね。そして孫策は、次の目標を呉郡の厳白虎に定めました。
ご確認
この記事は『三国志演義』に基づいてお話ししています。正史『三国志』における「孫策の厳白虎討伐」については、こちらをご覧ください。
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東呉の徳王・厳白虎
それではまず、この頃の呉郡の状況ついてお話しておきましょう。
この頃の揚州・呉郡には厳白虎という者が自ら「東呉の徳王」と号し、呉郡を根城に部下に烏程県と嘉興県を守らせていました。
孫策の軍が攻め寄せて来ると聞いた厳白虎は、弟の厳輿に「城から出て楓橋で迎え撃つ」ように命じ、厳輿は馬に乗り刀を横たえて橋の上で待ち構えます。
この報告を受けた孫策はすぐさま自ら向かおうとしたので、張紘が諫めて言いました。
「そもそも総大将は、軽々しく小さな敵にお立ち向かいになるべきではありません。将軍(孫策)、どうかご自重なされませ」
すると孫策は張紘に詫びて、
「先生(張紘)の言葉は真に金玉よりも尊い。ただ私が矢玉を恐れていては、将兵も口先だけの命令を聞きはすまいと思ったまでのことです」
と言い、韓当に出撃させます。
ですが、韓当が橋の上まで来た時にはすでに蔣欽と陳武が小船に乗って、河岸から橋の方に攻め寄せ、川岸の敵軍に乱れ矢を浴びせかけていました。
そして、岸に飛び上がった蔣欽と陳武が手当たり次第に敵をなぎ倒し始めると、その勢いに驚いた厳輿は慌てて退却し、また韓当が軍を率いて一気に閶門まで押し寄せたので、賊軍はみな城内に引き籠もってしまいます。
そこで孫策は、水陸両面から手分けして進撃し、呉郡の城をすっかり取り囲みました。
孫策さんが自分で戦うのを我慢したねっ!
ちょっとは大人になったのかも(笑)
それにしても、孫策軍は強いなぁ。
ちなみに閶門は呉郡(呉県)の西門で、楓橋はこの城門の外にある橋のことです。
厳白虎の逃亡
さて、孫策軍が城を包囲して3日が経ちましたが、城内から出撃して来る気配がありません。
そこで孫策は、軍を退いて閶門の外から降伏を勧めたところ、城壁の上から賊が1人姿を現して悪態をつきました。
すると太史慈が進み出て、「あいつの左手に射当ててみせよう」と言うが早いか、見事賊の左手を射通して、横木の上に縫いつけてしまいます。
これを見た厳白虎は恐れ驚いて、次の日、弟の厳輿を和睦の使者として孫策に面会を求めました。
厳輿を迎え入れて宴会を開いた孫策は、その席上、
「お前の兄(厳白虎)は、これからどうしようというのだ?」
と尋ねます。これに厳輿が、
「将軍(孫策)と江東の土地を山分けにしたいと考えております」
と答えると、これを聞いた孫策は、
「小ネズミめが、俺と同列のつもりでいるのかっ!」
と大いに腹を立て、「厳輿の首を打てっ!」と命じました。
驚いた厳輿は立ち上がって剣を抜きますが、孫策に抜き打ちに斬りつけられ、バッタリとその場に倒れ込みました。
その後、孫策が厳輿の首を城に送りつけると、厳白虎は城を棄てて逃げ出してしまいました。
使者を殺しちゃうなんて、これはちょっとひどくない?
確かに…。厳輿は孫策の性格を考えて答えるべきだったね。
孫策さんははじめから殺すつもりだったのかな?
どうでしょうねぇ?本領安堵だけを望んでいれば、和睦は成立したかもしれませんね。
「江東を山分け」なんて、厳輿は調子に乗りすぎたね。
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孫策の呉郡平定
画像出典:ChinaStyle.jp
凌操と凌統
さて、孫策は逃亡した厳白虎を追撃します。
孫策は軍を分けて厳白虎を追い、黄蓋が嘉興県を、太史慈が烏程県を攻め落とします。
厳白虎はなんとか余杭県まで逃げて来ましたが、その途中で略奪や暴行を働いたので、この土地の凌操という者が率いる土民に撃ち破られ、今度は会稽郡を目指して落ち延びて行きました。
そして、厳白虎を撃ち破った凌操が子の凌統と共に孫策を出迎えると、凌操の人品人並みならぬのを見て取った孫策は、この親子を従軍させ将校に加えます。
その後孫策がさらに敵を追って銭塘県を渡ったところ、厳白虎はまた賊兵を呼び集めて西津の渡し場で待ち構えていたので、これを程普が散々に撃ち破り、夜通し敵を追撃しました。
厳白虎の追撃戦関連地図
お〜、また配下が増えたねっ!
厳白虎さんも、もう降伏しちゃったら良いのに…。
今さら降伏しても殺されるよ、きっと(笑)
そうですねぇ。孫策はすでに厳輿を斬ってますし。
虞翻の諫言
さて、厳白虎が逃げ込んだ会稽郡の様子を見てみましょう。
厳白虎が逃げ込んだと聞いた会稽太守の王朗は、兵を率いて彼を助けようとします。
ですがこの時、
「それはいけませぬ。孫策は仁義の戦、厳白虎は暴虐の野武士でございます。ここは、厳白虎を縛って孫策に引き渡すのがよろしいでしょう」
と、王朗を諫めた者がありました。会稽郡・余姚県の人・姓は虞、名は翻、字は仲翔という者です。
ですが王朗は彼の言葉に聞く耳を持たず叱りつけたので、虞翻はため息をついて退出しました。
厳白虎さんって賊でしょ。なんで王朗さんは助けようとしてるの?
次は自分だからでしょ。厳白虎を差し出しても孫策は侵攻をやめないよね?
う〜ん、やめない…かな。
王朗が生き残るには、孫策に戦って勝つか降伏するかの2択なのさ。
そうですね。独立を保とうと思うなら、味方は多い方が良いですから。
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孫策の江東平定
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王朗を撃ち破る
さて王朗は、厳白虎と共に山陰県の平野に陣を取ります。
両軍が隊列を整え終わると、孫策は馬を乗り出して王朗に向かって言いました。
「儂は仁義の戦を起こし、浙江に平和をもたらそうとしてやって来たのだ。お前はどうして賊軍の肩を持つのだ?」
すると王朗は、
「貴様は貪欲な奴だ。呉郡を手に入れた上、儂の領分まで強奪しようとするとは。今日は厳氏(厳白虎)のために仇討ちをするぞっ!」
と言い返します。
孫策が大いに腹を立てて戦いを交えようとした時、早くも太史慈が打って出ると、王朗は馬を蹴立てて刀を振り回しつつ迎え撃ちました。
打ち合うこと数合、王朗の大将・周昕が助けに入ると、孫策の陣からは黄蓋が駆けて出て周昕の相手をします。
そしてしばらく打ち合っていると、突然王朗の陣の後方が混乱し始め、1手の軍勢が攻めかかって来ました。秘かに背後に回っていた周瑜と程普の軍勢です。
王朗は驚き慌てて迎え撃ちますが、前後から攻め立てられて「とても敵わない」と、厳白虎・周昕と共に血路を開いて城内に逃げ込むと、釣り橋を上げ城門を固く閉ざしてしまいました。
孫策さん敵なしだねっ!
王朗なんて、太史慈なら一撃で倒せそうだけどな。
周瑜と程普が敵の背後に回り込むまで、時間を稼いでたのかもしれませんね。
なるほど。結局逃げられたけどね(笑)
孫静の奇策
さて、城に籠もった王朗と厳白虎は、孫策軍の兵糧が切れるのを待つことにして出て来なくなりました。
孫策は数日の間攻め続けましたが、城を攻め落とすことができません。そこで大将を集めて協議したところ、孫策のおじの孫静が次のように提案します。
「王朗は要害をたのみに城を守っているから、すぐに攻め落とすことは難しい。
会稽郡の金銀糧食のほとんどは、ここから数十里離れた査瀆という所に貯蔵されているはずだから、まずここを攻め取るのが良い。
これこそ兵法に『その備えなきを攻め、その不意に出づ』というものじゃ」
これを聞いた孫策は、
「おじ上の妙計、確かに敵を撃ち破ることができるでしょう」
とすぐさま命令を下し、陣中の門ごとに篝火を焚き、旗印を立てて敵の目を欺いておき、その夜のうちに包囲を解いて査瀆に向かうことにします。
すると、そこへ周瑜が進み出てて言いました。
「我が君(孫策)の大軍が動き始めれば、王朗はきっと城内から追撃に出るに相違ありません。奇兵をもってお破りなされませ」
これに孫策は、
「それは用意しておいた。その城は今夜のうちに攻め取るぞっ!」
と言い放ち、人馬ことごとくを率いて出陣しました。
孫静さんの作戦は「敵の食糧貯蔵地を狙う」ってことね。
そうさ。兵糧がなければ籠城もできない。王朗は城を出ずにはいられないってことだね。
周瑜さんは査瀆じゃなくて、いっそ城から出た王朗さんを攻撃しようと言ったんですね。
そうですね。どうやら孫策も最初からそのつもりのようでした。
でも査瀆に向かったと思わせるなら、篝火や旗印を残して行かない方が良いんじゃない?
そこは騙し合いさ。完全に撤退してしまうと、逆に「追撃を誘っている」と警戒されてしまうからね。
すべて撤収した場合に、真に受けて出撃する場合もありますから、そこは賭けですね。
厳白虎と王朗の逃亡
さて、孫策軍が引き揚げたと聞いた王朗は、櫓に登って確認します。
王朗が孫策の陣を見下ろすと、城外には篝火が連なり旗印も整然と立ち並んでいます。
王朗が不審に思っていると、周昕が言いました。
「孫策は逃げて行ったのでございます。これはただ、我らの目を欺こうとの計略ですので、早く出撃なされませ」
また厳白虎が、
「孫策がここを立ち退いたのは、査瀆を取ろうというのではないか?儂の手勢を出して追い討ちさせよう」
と言うと王朗は、
「査瀆は我らの食糧を蓄えている場所だ。なんとしても防がなくてはならない。一足先にお出で下さい。私もすぐ後から応援に参りましょう」
と出撃を決意し、厳白虎と周昕は5千の兵を率いて城外に出撃します。
そして城から20里(約8.6km)余りまで来た時、突然、密林の中から太鼓を打ち鳴らす音が轟いたかと思うと、一斉に松明の灯が2人の軍勢を照らしました。
これに驚いた厳白虎らは、すぐさま馬を返して退こうとしますが、真っ先に姿を現した孫策がその行く手を塞ぎます。
これに大刀を振りかざして立ち向かった周昕は孫策の一槍に突き殺され、厳白虎はなんとか血路を切り開いて余杭県に落ち延びましたが、残された兵はみな孫策に降伏しました。
みごとに作戦が当たりましたねっ!
篝火や旗印を残したことで、査瀆に向かったという情報が真実味を帯びたのさ。
包囲を続けてると見せかけることで、孫策さんが「追撃されたくない」と思っているように見えたのねっ!
さらに今回の場合、もし王朗が出てこなければ、そのまま本当に査瀆を取ってしまえば良いわけですからね。
会稽郡の平定
さて、厳白虎らの敗北を聞いた王朗は、城を棄てて海岸の方に逃れました。
その後孫策は再び大軍を返すと勢いに乗じて城を攻め落とし、民衆を落ち着かせます。
会稽の城を落とした次の日、厳白虎の首を持って孫策の下に帰順してきた者がありました。
身の丈8尺(約184.8cm)、四角い顔に大きな口、会稽郡・余姚県の人で、姓は董、名は襲、字は元代という者です。孫策は喜んで、董襲を別部司馬(独立部隊長)に任命します。
そして会稽郡を平定した孫策は、おじの孫静に会稽郡を守らせて、朱治を呉郡太守としました。
あらら、厳白虎(笑)
これで終わりなの?王朗さんは?
少しネタバレになってしまいますが、王朗は海路で逃れて、次は曹操配下として登場します。
抵抗はやめて、本当に逃げてしまったんですね。
名医・華佗
さて、会稽郡を平定した孫策は、江東に引き返します。
この頃、孫策の弟・孫権と周泰は、宣城郡[揚州・丹楊郡(丹陽郡)・宣城県?]を守っていましたが、山賊たちが蜂起して四方から押し寄せてきました。
夜更けに不意を突かれたため防備の暇もなく、周泰は孫権を抱き上げて馬に乗せて脱出しようとしますが、そこへ数十人の賊が刀を振りかざして斬り込んで来ます。
周泰は鎧も着けず徒歩のままで刀を取って渡り合い、血路を切り開いてなんとか孫権を救い出しましたが、身体に12ヶ所の槍傷を受け、その傷跡が腫れだして命も危うい状態となってしまいました。
この時、董襲から、
「以前私は海賊との戦で数ヶ所の矢傷を受けましたが、会稽郡の役人・虞翻が勧めてくれた医者のお陰で半年で治ったことがございます」
と教えられた孫策は、張昭に命じて董襲に同行して虞翻を招き、懇ろにもてなして功曹に任命して「医者を探していること」を伝えると、虞翻は、
「それは豫州(予州)・沛国・譙郡(譙県)の人で、姓は華、名は佗、字は元化と申す者でございまして、まことに当世の名医でございますから、私が連れて参りましょう」
と言い、華佗を連れてきました。
その顔は童のようで髪の毛は蔓のよう、この世の人とは思えない姿だったので、孫策は上客として恭しく迎え、重体となった周泰の診察を頼みます。
そして、周泰を診た華佗は「これは何も難しいことではない」と言って薬を与えると、1ヶ月で完治しました。
孫策は大変喜んで華佗に手厚い謝礼を贈り、それから兵を進めて山賊を討伐しました。
その後孫策は、将兵を派遣して各地の要害を守るように配置すると、表文をもって朝廷に報告する一方で曹操に取り入らせ、また一方で袁術に書面を送って預けておいた玉璽の返却を求めました。
虞翻さんは孫策さんに降伏したんですね。周泰さん、助かって良かったっ!
へぇ〜、華佗はここで初登場なんだ。
有名な人なの?こんな名医がいるなんて、孫策さんはかなり有利だねっ!
すぐにどっか行っちゃうけどねっ!(笑)
そうなのっ!?
しかし、今さら「玉璽を返せ」って言っても、袁術は返さないだろうね。
実は、この後少しだけ袁術について触れて『三国志演義』の第15回が終わるのですが、袁術については次回にお話します。
了解ですっ!
玉璽を担保に袁術から兵を借り、江東の平定に乗り出した孫策は、呉郡の厳白虎、会稽郡の王朗を討って江東の平定を成し遂げました。
ちなみに正史『三国志』では、厳白虎は余杭県の許昭の元に身を寄せ、王朗は孫策に降伏した後、曹操に招聘されて、孫策の了承を得て朝廷に入っています。
次回は、袁術についてのお話になります。