曹操(そうそう)軍の来襲に、青州(せいしゅう)・北海国(ほっかいこく)の孔融(こうゆう)に援軍を求めた陶謙(とうけん)ですが、北海国(ほっかいこく)でも反乱が起こり、陶謙(とうけん)を救援する余裕はなくなってしまいました。

孔融(こうゆう)の救援に駆けつけて敵を敗走させた劉備(りゅうび)は、今度は陶謙(とうけん)の救援を約束しましたが…。

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公孫瓚に兵と趙雲を借りる

公孫瓚に兵と趙雲を借りる

画像出典:ChinaStyle.jp


タカオタカオ

前回は劉備(りゅうび)の援軍によって、青州(せいしゅう)の反乱が鎮圧されたところまででしたよね。

マリコマリコ

うん。劉備(りゅうび)さんも陶謙(とうけん)さんの援軍に来てくれることになったし、糜竺(びじく)さんも安心ですねっ!

王先生王先生

そうですね。劉備(りゅうび)はまず、公孫瓚(こうそんさん)の元に兵を借りに行きました。

ご確認

この記事は『三国志演義(さんごくしえんぎ)』に基づいてお話ししています。正史(せいし)『三国志(さんごくし)』における「兗州(えんしゅう)の反乱」については、こちらをご覧ください。

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前回までのおさらい


王先生王先生

では少し、前回までのおさらいをしておきましょう。

曹操(そうそう)の徐州(じょしゅう)侵攻

兗州(えんしゅう)に地盤を得た曹操(そうそう)は、戦乱を避けて徐州(じょしゅう)にいた父・曹嵩(そうすう)を兗州(えんしゅう)に迎えるため、応劭(おうしょう)を派遣します。

そのことを知った徐州太守(じょしゅうたいしゅ)・陶謙(とうけん)は曹嵩(そうすう)を丁重にもてなし、都尉(とい)・張闓(ちょうがい)を護衛につけて送り出しました。

ですがその途中、待遇に不満を持っていた張闓(ちょうがい)が曹嵩(そうすう)を殺害し、財物を奪って逃亡してしまったのです。

これに激怒した曹操(そうそう)はこれを陶謙(とうけん)の責任とし、3万の軍で徐州(じょしゅう)に侵攻を開始。民衆を虐殺しながら進軍して、陶謙(とうけん)が籠(こ)もる徐州城(じょしゅうじょう)を包囲します。

孔融(こうゆう)に援軍を要請する

城に籠(こ)もった陶謙(とうけん)は、援軍を求めるため孔融(こうゆう)の元に糜竺(びじく)を派遣しますが、孔融(こうゆう)が治める青州(せいしゅう)・北海郡(ほっかいぐん)(北海国(ほっかいこく))では、ちょうど黄巾賊の残党・管亥(かんがい)が反乱を起こし、陶謙(とうけん)に援軍を出すどころではなくなってしまいました。

そこで孔融(こうゆう)は、救援に来た豪傑・太史慈(たいしじ)を平原国(へいげんこく)の劉備(りゅうび)に派遣して援軍を求めます。

劉備(りゅうび)・関羽(かんう)・張飛(ちょうひ)・太史慈(たいしじ)の活躍で管亥(かんがい)を敗走させた孔融(こうゆう)は、劉備(りゅうび)に糜竺(びじく)を紹介し、共に陶謙(とうけん)の救援に向かうことを説得したのでした。



王先生王先生

ここまではよろしいですか?

マリコマリコ

はい。陶謙(とうけん)さんを助けに行くために、劉備(りゅうび)さんは公孫瓚(こうそんさん)さんに兵を借りに行ったんですよね。

タカオタカオ

でも、太史慈(たいしじ)は揚州(ようしゅう)の劉繇(りゅうよう)のところに行っちゃったんだよね。

王先生王先生

そうですね。今回は劉備(りゅうび)が公孫瓚(こうそんさん)のところへ行ったところから始まります。

劉備、徐州に向かう


王先生王先生

幽州(ゆうしゅう)に着いた劉備(りゅうび)は、公孫瓚(こうそんさん)に徐州(じょしゅう)救援の経緯を詳しく話しました。


ですが公孫瓚(こうそんさん)は、


「曹操(そうそう)は、別にお前にとって仇敵(きゅうてき)という訳でもないのに、他人のために力を貸して何になるというのだ?」


と、あまり乗り気ではありません。

それでも劉備(りゅうび)は、


「一度約束した上は、違(たが)えることなどなどできませぬっ!」


と言うので、公孫瓚(こうそんさん)は劉備(りゅうび)に騎兵歩兵2千人を貸し与えることにしました。


また劉備(りゅうび)は、公孫瓚(こうそんさん)から趙子龍(ちょうしりょう)(子龍(しりょう)は趙雲(ちょううん)の字(あざな))も借り受け、関羽(かんう)・張飛(ちょうひ)と3千人を先手(さきて)とし、趙雲(ちょううん)は2千人の兵を率(ひき)いて後押(あとお)さえとして徐州(じょしゅう)に向かいます。



マリコマリコ

趙雲(ちょううん)さんっ!

タカオタカオ

騎兵歩兵2千人なんて、公孫瓚(こうそんさん)もシケてんなぁ(笑)

マリコマリコ

趙雲(ちょううん)さんが加わっただけでも、百人力だよっ!

王先生王先生

そうですねっ!


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曹操に和睦の使者を送る

曹操に和睦の使者を送る

画像出典:ChinaStyle.jp

劉備、徐州城に入る


王先生王先生

さて、陳登(ちんとう)が援軍要請に向かった青州(せいしゅう)の田楷(でんかい)も二つ返事で援軍を出します。


ですが、先に到着した孔融(こうゆう)と田楷(でんかい)は曹操(そうそう)の軍隊の勇猛さに恐れをなし、はるか山際(やまぎわ)に陣を取って動こうとしませんでした。

そこへ劉備(りゅうび)が到着して孔融(こうゆう)に面会すると、孔融(こうゆう)は劉備(りゅうび)に言いました。


「曹操(そうそう)は多勢の上に謀略に長(た)けているから、軽々しく動くことはできない」


それでも劉備(りゅうび)は、「城中が兵糧不足で長くは持ちこたえられない」と、自(みずか)ら曹操(そうそう)軍の包囲を突破して徐州城(じょしゅうじょう)に入り、陶謙(とうけん)と会って作戦を練(ね)りたいと申し出ます。

孔融(こうゆう)は喜んで、左翼には孔融(こうゆう)、右翼には田楷(でんかい)、中央には関羽(かんう)・趙雲(ちょううん)が4千の兵で陣を敷いて援護をすると、劉備(りゅうび)は張飛(ちょうひ)と共に千の人馬を率(ひき)いて曹操(そうそう)の陣に斬り込んで徐州城(じょしゅうじょう)を目指しました。


すると(曹操(そうそう)軍の)于禁(うきん)は、


「どこから来た気違い野郎っ!どこへ失(う)せおるっ!」


と張飛(ちょうひ)に打ちかかりますが、数合も打ち合わないうちに敗走し、劉備(りゅうび)は徐州(じょしゅう)城下にたどり着くことができました。

城下の軍の中に「平原(へいげん)の劉玄徳(りゅうげんとく)(玄徳(げんとく)は劉備(りゅうび)の字(あざな))」と書かれた軍旗を見つけた陶謙(とうけん)は、急いで城門を開かせます。



タカオタカオ

孔融(こうゆう)も田楷(でんかい)も何しに来たんだよ、まったく〜っ!

マリコマリコ

やっぱり曹操(そうそう)さんが相手だと、軽々しく動けないよ…。

王先生王先生

下手に戦って敗走するより、そこに居続けるだけでも牽制(けんせい)になりますからね(笑)

陶謙が徐州を譲ろうとする


王先生王先生

劉備(りゅうび)を招(まね)き入れた陶謙(とうけん)は、酒宴を開いて劉備(りゅうび)・張飛(ちょうひ)と兵たちを労(ねぎら)います。


その席上、劉備(りゅうび)の人品、世の常ならず、言語も爽(さわ)やかなのを見てとった陶謙(とうけん)は、糜竺(びじく)に命じて徐州(じょしゅう)の長官の印(いん)を持ってこさせ、劉備(りゅうび)に譲(ゆず)ろうとしました。

つまりこれは、徐州(じょしゅう)の長官の地位を劉備(りゅうび)に譲(ゆず)ろうということです。

突然のことに驚いている劉備(りゅうび)に、陶謙(とうけん)は言います。


「ただいま天下は乱れに乱れ、帝王は惰弱(だじゃく)、奸臣(かんしん)が権力を弄(もてあそ)んでおる。

貴殿こそは漢室の御一門であるからには、力の限り国家を護持(ごじ)されるべき御方(おんかた)と存ずる。

愚老(ぐろう)(陶謙(とうけん))などは齢(よわい)60を越え、徳も能力もない者ゆえ、この徐州(じょしゅう)をお譲(ゆず)りしたい。どうかお断りなされるな。

儂(わし)が自(みずか)ら表文(ささげぶみ)を書いて、朝廷にこの由(よし)を上奏いたそう」


これを聞いた劉備(りゅうび)は、席を離れて地にひれ伏して、


「私は漢室の末裔(まつえい)ではございますが、功も徳もなく、今の平原相(へいげんしょう)(青州(せいしゅう)・平原国(へいげんこく)の太守(たいしゅ))でさえ、身に余るものと考えております。

この度(たび)は大義のためにお助けに参りましたが、そのようなお言葉は、私がこの国を奪う野心を抱(いだ)いているとお疑いでございましょうか。

万が一にもそのような野心を持ちましたならば、天の咎(とが)めを被(こうむ)りましょう」


と丁重にこれを断りましたが、それでも陶謙(とうけん)は劉備(りゅうび)の説得を続けようとしています。

これを見た糜竺(びじく)が、


「今は敵兵が城下を囲んでいます。まずは敵を退(しりぞ)かせる工夫が第一でございましょう。

平和になったその上で、お譲(ゆず)りになるのがよろしいでしょう」


と言ってこの話を終わらせると、劉備(りゅうび)は、


「私が曹操(そうそう)に書面を送って和睦(わぼく)を勧めましょう。もし彼が従わなかったなら、その時合戦に及んでも遅くはありますまい」


と言って、しばらく兵に待機を命じて曹操(そうそう)に使者を送りました。



タカオタカオ

くれるっていうなら、貰(もら)っちゃえば良いのに(笑)

マリコマリコ

それが劉備(りゅうび)さんの良いところなんだよ。

タカオタカオ

でも、今にも曹操(そうそう)に落とされそうな徐州(じょしゅう)を貰(もら)ってもしょうがないか(笑)

王先生王先生

なんにせよ、まずは徐州(じょしゅう)を守ることが先ですね。

劉備からの使者


王先生王先生

さて、曹操(そうそう)が軍議をしているところへ、劉備(りゅうび)の使者がやって来ます。


劉備(りゅうび)の書面には、次のようにありました。


「以前、関外でご尊顔を拝してから、お訪(たず)ねする機会もなく時が過ぎてしまいました。

先頃、御尊父(ごそんぷ)・曹侯(そうこう)(曹嵩(そうすう))の禍(わざわい)は、ひとえに張闓(ちょうがい)の罪であり、決して陶恭祖(とうきょうそ)(恭祖(きょうそ)は陶謙(とうけん)の字(あざな))の罪ではありません。

ただ今、外には黄巾の残党、内には董卓(とうたく)の旧兵が乱をなしております。

願わくは尊公(そんこう)(曹操(そうそう))、朝廷の危急を救うことを先とし、私事(わたくしごと)の仇(あだ)を報(むく)いることを後として徐州(じょしゅう)から軍を引き揚(あ)げ、国難を救うことを優先してください。

これは徐州(じょしゅう)の幸いのみにあらず、天下の幸いにございます。」


これを読んだ曹操(そうそう)は、


「身の程を知らぬ劉備(りゅうび)めっ!よくも忠告などほざきおったな。そればかりか、冷やかし文句まで入れておるっ!」


と激怒して、「使者を斬り捨て、全力を挙(あ)げて城を攻めろ」と命じました。

すると郭嘉(かくか)が、


「劉備(りゅうび)は はるばる救援に来たので、礼儀を先にして合戦を後にしたのでございます。

我が君も、物柔らかな返事を送って彼を油断させ、その隙(すき)に兵を進めて攻撃すれば、たやすく落城させることができましょう」


と諫(いさ)めたので、曹操(そうそう)は思い直し、使者を労(ねぎら)って返事を書くのを待たせておきました。



マリコマリコ

劉備(りゅうび)さんと曹操(そうそう)さんは、 十八路諸侯(じゅうはちろしょこう)が解散して以来ですね。

王先生王先生

そうですね。

タカオタカオ

曹操(そうそう)にしてみれば「劉備(りゅうび)ごときが何を言うかっ!」って感じなんだろうな。

マリコマリコ

でも郭嘉(かくか)さんが止めてくれたから良かった…。

王先生王先生

怒っていても、ちゃんと配下の意見に耳を傾けるところが曹操(そうそう)の良いところですね。


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兗州の反乱と曹操軍の撤退

兗州の反乱と曹操軍の撤退

画像出典:ChinaStyle.jp

呂布と兗州の反乱


王先生王先生

そこへ、曹操(そうそう)のところに兗州(えんしゅう)から急な知らせが舞い込みます。


早馬が言うには、「呂布(りょふ)が兗州(えんしゅう)を占拠して、東郡(とうぐん)の濮陽県(ぼくようけん)に駐屯した」とのことでした。



マリコマリコ

呂布(りょふ)さんっ!?

タカオタカオ

呂布(りょふ)って董卓(とうたく)を殺した後、何してたんだっけ?

王先生王先生

では、董卓(とうたく)殺害後の呂布(りょふ)についてお話しておきましょう。


袁術(えんじゅつ)を頼る

呂布(りょふ)は李傕(りかく)・郭汜(かくし)らに敗れた後、武関(ぶかん)から荊州(けいしゅう)・南陽郡(なんようぐん)に逃れ、袁術(えんじゅつ)の元に身を寄せようとしましたが、袁術(えんじゅつ)は呂布(りょふ)を警戒して彼の入国を拒(こば)みました。

袁紹(えんしょう)を頼る

そこで呂布(りょふ)は袁紹(えんしょう)の元に行き、袁紹(えんしょう)に協力して冀州(きしゅう)・常山国(じょうざんこく)で張燕(ちょうえん)を撃ち破ります。

ですが呂布(りょふ)はその手柄を鼻にかけ、傲慢(ごうまん)な態度をとるようになったので、とうとう袁紹(えんしょう)も堪(こら)え切れず、彼を亡きものにしようと計(はか)りました。

張楊(ちょうよう)を頼る

袁紹(えんしょう)の元から逃れた呂布(りょふ)は、今度は司隸(しれい)・河内郡(かだいぐん)の太守(たいしゅ)・張楊(ちょうよう)を頼ります。

そしてこの時、長安(ちょうあん)の城中にいた龐舒(ほうじょ)が、匿(かくま)っていた呂布(りょふ)の妻子らを送り届けて来ました。

するとそのことを知った李傕(りかく)・郭汜(かくし)は龐舒(ほうじょ)を斬り殺し、張楊(ちょうよう)に手紙を送って呂布(りょふ)を殺害させようとしたので、呂布(りょふ)は張楊(ちょうよう)の元を去り、兗州(えんしゅう)・陳留郡(ちんりゅうぐん)の太守(たいしゅ)・張邈(ちょうばく)を頼ります。

張邈(ちょうばく)を頼る

呂布(りょふ)が張邈(ちょうばく)を頼ったこの時は、ちょうど曹操(そうそう)が徐州(じょしゅう)に遠征に出た後のことでした。

張邈(ちょうばく)の弟・張超(ちょうちょう)に紹介された陳宮(ちんきゅう)が、張邈(ちょうばく)に進言します。


「ただ今、天下は瓦解して豪傑が群がり起こっております。

殿は千里に余る広大な土地がお有りになりながら、他人(曹操(そうそう))の言いなりになっておられるのは恥ずかしいことではございませぬか。

現在、曹操(そうそう)は東征に出ているので、兗州(えんしゅう)はがら空きとなっております。

ところで、呂布(りょふ)こそは当代の勇士。殿が彼と共に兗州(えんしゅう)を攻略なされれば、天下に覇を唱(とな)える手始めとなりましょう」


張邈(ちょうばく)はこれに喜んで同意し、早速呂布(りょふ)に命じて兗州(えんしゅう)を襲撃させ、濮陽県(ぼくようけん)を占拠したのでした。

この時、

  • 済陰郡(せいいんぐん)・鄄城県(けんじょうけん)
  • 東郡(とうぐん)・范県(はんけん)
  • 東郡(とうぐん)・東阿県(とうあけん)

の3県だけは、荀彧(じゅんいく)と程昱(ていいく)が死守しましたが、その他の城はみな撃破されてしまいます。


鄄城県・范県・東阿県

鄄城県(けんじょうけん)・范県(はんけん)・東阿県(とうあけん)


その後、たびたび曹仁(そうじん)が戦いを交(まじ)えましたが勝利を得ることができず、曹操(そうそう)に急を告げてきたのです。



タカオタカオ

笑えるほど嫌われてるな呂布(りょふ)(笑)

マリコマリコ

陳宮(ちんきゅう)さん、止めたのに聞いて貰えなかったから、反乱を起こしちゃったんですね…。

王先生王先生

そうですね。曹操(そうそう)にとっては絶体絶命のピンチです。

曹操軍が撤退する


王先生王先生

では、知らせを受けた曹操(そうそう)の方にお話を戻します。


「兗州(えんしゅう)を失っては帰るべき家がなくなってしまう。何とかせねばなるまい…」


「呂布(りょふ)が兗州(えんしゅう)を占拠した」という知らせを聞いて大いに驚いている曹操(そうそう)に、郭嘉(かくか)が言いました。


「我が君、これこそ良い機会でございます。

劉備(りゅうび)の顔を立ててやって軍を引き、兗州(えんしゅう)を取り返すのがよろしいでしょう」


曹操(そうそう)はうなずいて、直(ただ)ちに劉備(りゅうび)への返事をしたため、陣を払って引き揚(あ)げました。



マリコマリコ

劉備(りゅうび)さんからの使者を殺してなくて良かったですねっ!

タカオタカオ

そうだね。しかも陶謙(とうけん)の追撃を受けずに退却できるからね。

王先生王先生

その通りですねっ!

再度劉備に徐州を譲る


王先生王先生

さて、次は曹操(そうそう)軍が撤退した後の徐州城(じょしゅうじょう)のお話です。


曹操(そうそう)軍が撤退すると陶謙(とうけん)は大宴会を開き、城外の孔融(こうゆう)・田楷(でんかい)・関羽(かんう)・趙雲(ちょううん)らもみな招待します。

そして宴会が終わると、陶謙(とうけん)は劉備(りゅうび)を上座に座らせて、みなに向かって恭(うやうや)しく挨拶(あいさつ)をして言いました。


「愚老(ぐろう)(陶謙(とうけん))はこのように老いぼれ、また2人の息子は不才にて、とても国家の重責に耐えられないと思われる。

劉備(りゅうび)どのは皇室の御一門であり、徳高く才広く、徐州(じょしゅう)を領するに相応(ふさわ)しいお方です。

この愚老(ぐろう)(陶謙(とうけん))は職を辞(じ)し、ゆるゆると余生を過ごしたいと願うばかりです」


これを聞いた劉備(りゅうび)は、


「私が孔文挙(こうぶんきょ)(文挙(ぶんきょ)は孔融(こうゆう)の字(あざな))どのの仰(おお)せで徐州(じょしゅう)の救援に参ったのは、ひとえに『義』のためにございます。

徐州(じょしゅう)を我が物としては、天下の人々は私を『不義の輩(やから)』と誹(そし)るでしょう」


とまた、陶謙(とうけん)の申し出を断ります。

すると糜竺(びじく)は、


「今、漢室は衰(おとろ)え、天下が覆(くつがえ)らんとしています。功績を立てるのは、今この時をおいてございません。

徐州(じょしゅう)は富み栄えた土地。戸数百万、劉玄徳(りゅうげんとく)(玄徳(げんとく)は劉備(りゅうび)の字(あざな))どのに領していただきたい。

決してご辞退なさいますな」


と言い、陳登(ちんとう)も、


「陶府君(とうふくん)(陶謙(とうけん))は多病ゆえ政事(まつりごと)をみることも難しい。ご辞退なされぬよう」


と劉備(りゅうび)を説得しますが、劉備(りゅうび)は「このことばかりは何としても仰(おお)せには従いかねまする」と言い、


「袁術(えんじゅつ)どのは4代続いて三公(さんこう)にのぼられた家柄で、天下の人望が集まり、しかも程近い(揚州(ようしゅう)・九江郡(きゅうこうぐん)・)寿春県(じゅしゅんけん)におられます。何ゆえ彼に徐州(じょしゅう)をお譲(ゆず)りにならないのですか?」


と問いました。

すると今度は孔融(こうゆう)が、


「袁公路(えんこうろ)(公路(こうろ)は袁術(えんじゅつ)の字(あざな))は、墓に埋(う)められた骸骨(がいこつ)同然。口の端(は)にのぼせるにも足りぬ者。

今徐州(じょしゅう)を受け取らないで、後で悔(く)やんでも追いつきませぬぞ」


と、劉備(りゅうび)を説得しましたが、劉備(りゅうび)は固く辞退して聞き入れませんでした。



マリコマリコ

陶謙(とうけん)さんはどうしても劉備(りゅうび)さんに徐州(じょしゅう)を譲(ゆず)りたいみたいですね。

タカオタカオ

そうだな、糜竺(びじく)や陳登(ちんとう)も賛成してるみたいだし。

マリコマリコ

あれっ!?袁術(えんじゅつ)さんは南陽郡(なんようぐん)にいたんじゃなかったっけ?

王先生王先生

実は、『三国志演義(さんごくしえんぎ)』では描かれていないのですが、袁術(えんじゅつ)は寿春県(じゅしゅんけん)に拠点を移していたんです。

タカオタカオ

ややこしいなぁ、まったく〜っ!

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【匡亭の戦い】袁術が曹操に大敗し、寿春に拠点を移す

劉備が小沛に駐屯する


王先生王先生

さて、この様子を見ていた関羽(かんう)と張飛(ちょうひ)が、劉備(りゅうび)に意見します。


「もし儂(わし)を見捨てて去られると言うのなら、死んでも目を閉じられませぬ…」

どうしても徐州(じょしゅう)を引き受けようとしない劉備(りゅうび)に、陶謙(とうけん)は涙を流して言いました。

この様子を見ていた関羽(かんう)は、


「兄上、陶謙(とうけん)どのがここまで譲(ゆず)ろうとなさるからには、臨時に徐州(じょしゅう)を領せられるが良いと存じます」


と言い、張飛(ちょうひ)も、


「こっちから無理に貰(もら)おうと言ってるんじゃねぇ、向こうが望んで譲(ゆず)りたいと言ってるんだ、それほど断ることはあるめぇ」


と劉備(りゅうび)に口添(くちぞ)えします。

すると劉備(りゅうび)は、


「お前たちは私を不義に落としたいのかっ!」


と言い、剣を抜いて自害しようとしますが、これは趙雲(ちょううん)が すかさず剣を奪い取ったので、事なきを得ました。

これを見た陶謙(とうけん)はついに諦(あきら)め、


「どうしても従われぬとあらば、ここから程近い里に小沛(しょうはい)という小城がある。玄徳(げんとく)(劉備(りゅうび)の字(あざな))どの、もし儂(わし)をお見捨てなくば、この小沛(しょうはい)に軍を駐屯して徐州(じょしゅう)の保護をお願い致したいが、いかがでござろう?」


と言い、みなも劉備(りゅうび)に「小沛(しょうはい)に留(とど)まる」ことを勧めたので、劉備(りゅうび)はこれに従って小沛(しょうはい)に行くことになりました。


豫州・沛国・沛県(小沛)

豫州(よしゅう)(予州(よしゅう))・沛国(はいこく)・沛県(はいけん)(小沛(しょうはい))


この話が終わると、趙雲(ちょううん)は劉備(りゅうび)に暇(いとま)を告げ、劉備(りゅうび)は趙雲(ちょううん)の手を取って、涙を流しつつ見送ります。

そして、孔融(こうゆう)・田楷(でんかい)も軍を率(ひき)いて引き揚(あ)げ、小沛(しょうはい)に着いた劉備(りゅうび)は、城壁を修理して住民を労(いたわ)りました。



タカオタカオ

小沛(しょうはい)って、徐州(じょしゅう)じゃないんだねっ!ずっと徐州(じょしゅう)だと思ってた…。

王先生王先生

そうですねっ!実は豫州(よしゅう)(予州(よしゅう))なんです(笑)

マリコマリコ

自害って劉備(りゅうび)さん…。

タカオタカオ

徐州(じょしゅう)を譲(ゆず)られて他人に誹(そし)られるくらいなら、死んだ方がマシってか(笑)

マリコマリコ

それよりっ!趙雲(ちょううん)さん帰っちゃったのぉ〜、なんでっ!?

タカオタカオ

徐州(じょしゅう)救援のために借りてた公孫瓚(こうそんさん)の将だから、目的を達して帰ったんでしょ。

マリコマリコ

でも『レッドクリフ』で劉備(りゅうび)さんの配下だったじゃん…。

王先生王先生

また再会する機会があるってことですよ(笑)


公孫瓚(こうそんさん)から兵と趙雲(ちょううん)を借りて徐州(じょしゅう)に到着した劉備(りゅうび)は、曹操(そうそう)軍の包囲を突破して陶謙(とうけん)が籠(こ)もる徐州城(じょしゅうじょう)に入りました。

そして陶謙(とうけん)と面会した劉備(りゅうび)は、戦う前に まずは和睦(わぼく)の道を探(さぐ)るように進言し、曹操(そうそう)に使者を送ります。


ちょうどその頃、曹操(そうそう)の本拠地・兗州(えんしゅう)で張邈(ちょうばく)・陳宮(ちんきゅう)・呂布(りょふ)らが反乱を起こしていました。

徐州(じょしゅう)よりも兗州(えんしゅう)を奪還したい曹操(そうそう)は、タイミング良くやって来た劉備(りゅうび)の「和睦(わぼく)の勧め」を受け入れて、全軍で兗州(えんしゅう)に引き返します。


一方、曹操(そうそう)の脅威が去った徐州(じょしゅう)では、陶謙(とうけん)が劉備(りゅうび)に徐州(じょしゅう)を譲(ゆず)ろうとしましたが、劉備(りゅうび)は「義に反する」と頑(がん)として聞き入れず、一先(ひとま)ず小沛(しょうはい)に駐屯することになりました。



王先生王先生

次回は、引き返して来た曹操(そうそう)と、兗州(えんしゅう)を占拠した呂布(りょふ)たちの戦いのお話になります。

次回

 【040】濮陽の戦い①|曹操の敗北と典韋の活躍

三国志演義の解説を順番に読もう!

 三国志演義教室【目次】