証拠隠滅のために恩人である呂伯奢を殺害した曹操。その冷酷さに幻滅した陳宮は、眠っている曹操に剣を向けたのですが…。
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曹操の旗揚げ
前回は無実の呂伯奢まで殺した曹操を、陳宮が殺そうとしたところで終わったんでしたよね。
さすがにあれはないよ曹操さん…。これじゃあ董卓さんと一緒だよ。
確かにヒドいですね!
今回はその続きをお話ししていきましょう。
ご確認
この記事は『三国志演義』に基づいてお話ししています。正史『三国志』における曹操の挙兵と反董卓連合の結成については、こちらをご覧ください。
陳宮との別れ
曹操の寝顔に剣を突きつけた陳宮ですが、ふと思い直します。
「私はお国のためにこの男に従ってきたはずだ。ここで殺すのは義に外れたことだ…」
そう考え直した陳宮は、一人兗州・東郡に向かって立ち去ります。
そして、目を覚まして陳宮がいないことに気づいた曹操は、すぐに陳宮が自分を見限って立ち去ったことを察し、父親のいる兗州・陳留郡へと先を急ぎました。
回をまたいで引っ張った割にはあっさり助かったね。
お父さんが陳留郡にいるのが分かったのも、呂伯奢さんのお陰なのに…。
曹操の旗揚げ
陳留の孝廉・衛弘
陳留郡に到着した曹操は早速父親を探し出し、董卓討伐の兵を挙げたいと思っていることを相談します。
曹操の父・曹嵩は「資金が足りないといけない」と、財産よりも義を重んじる衛弘という富豪を紹介し、「彼の援助を受けることができたなら必ずやうまくいくだろう」と言いました。
曹操はすぐに宴席を設けて衛弘を招くと、彼に思いの丈をぶつけて援助を頼みます。
曹操の話を聞き終わった衛弘は「私はあなたのような英雄を待っていたのだっ!」と言うと、曹操の申し出を快く承諾しました。
衛弘、太っ腹っ!
曹操さんってヒドいことしてるのに、みんなすぐ信用しちゃうのね。
英雄とは、非情な面も持ち合わせているものなのですよ。
曹操の旗揚げ
さて、衛弘の援助を受けた曹操は、まず天子の詔書を偽造して檄文をつくり、各地の諸侯に送ります。
でも、偽物の詔書で役に立つものなんですか?
みんな董卓を打倒する切っ掛けが欲しいのさ。本物か偽物かなんてどうでも良いんだよ。
そうですね。そして、曹操が義兵の募集を始めたところ、数日のうちに多数の志願者が集まりました。
それだけ董卓さんがみんなに恨まれてたってことですねっ!
その通りです。ここで少し、この時集まった人たちを紹介しておきましょう。
曹操の旗揚げに集まった武将たち
- 陽平郡・衛国の人・楽進
- 山陽郡・鉅鹿県の人・李典
- 沛国・譙県の人・夏侯惇
- 夏侯惇の従兄弟・夏侯淵
- 曹仁
- 曹洪
楽進と李典を除くと、あとはみんな曹操の親族ということになりますね。
あれっ?
夏侯惇さんと夏侯淵さんも親戚ですか?
はい。曹操の父・曹嵩は元々夏侯氏で、宦官の曹騰の養子になったことで、曹姓になったんです。
なるほど。
また、曹仁と曹洪はそれぞれ1,000人の兵を率いて来ましたので、衛弘は武器や鎧などの必要な物を揃えて、曹操は兵に訓練を施しました。
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十八路諸侯の集結
「十八路諸侯」葛飾戴斗画『絵本通俗三国志』より
十八路諸侯の集結
一方、曹操の檄文を受け取った諸侯たちは、続々と洛陽に向けて進軍を開始します。
なんかワクワクするねっ!
ではここで、董卓討伐のために起ち上がった諸侯をご紹介します。
十八路諸侯
- 第一鎮 後将軍・南陽太守・袁術
- 第二鎮 冀州刺史・韓馥
- 第三鎮 豫州刺史・孔伷
- 第四鎮 兗州刺史・劉岱
- 第五鎮 河内太守・王匡
- 第六鎮 陳留太守・張邈
- 第七鎮 東郡太守・橋瑁
- 第八鎮 山陽太守・袁遺
- 第九鎮 済北相・鮑信
- 第十鎮 北海太守・孔融
- 第十一鎮 広陵太守・張超
- 第十二鎮 徐州刺史・陶謙
- 第十三鎮 西涼太守・馬騰
- 第十四鎮 北平太守・公孫瓚
- 第十五鎮 上党太守・張楊
- 第十六鎮 鳥程侯・長沙太守・孫堅
- 第十七鎮 祁郷侯・勃海太守・袁紹
そしてこれに曹操を加えた18人の諸侯を、『三国志演義』では十八路諸侯と呼んでいます。
へぇ、中国ドラマ『三国志 Three Kingdoms』では、十八鎮諸侯って言ってたねっ!
そうですね。現在では、十八鎮諸侯という呼び方の方が有名かもしれません。
でも、ドラマの中では全員の名前を言ってくれてないから、モヤモヤしてたんだ(笑)
う〜ん、一度に全員の名前を覚えられないよぅ…。
まぁ、無理に全員覚える必要はありませんよ(笑)
あれっ、劉備さんは?劉備さんは参加してないのっ!?
よく気づきましたねっ!では少し時間を遡って、劉備たちの動きに注目してみましょう。
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劉備、公孫瓚の軍に加わる
曹操の檄文に応じた北平太守・公孫瓚の軍が平原県に差し掛かった時、数騎の者が出迎えました。劉備たちです。
確か劉備さんは、公孫瓚さんの推薦を受けて平原県の県令になっていたんですよねっ!
その通りです。劉備は公孫瓚の軍を休ませる用意をして、ここで待っていたんです。
公孫瓚は、劉備の後ろに控える関羽と張飛に気づくと「この2人は何者か?」と尋ねました。
劉備が2人を紹介すると、
「このような英雄をこんなところに埋もれさせておくのはもったいないっ!」
と言い、公孫瓚は「我々と一緒に逆賊董卓を討とうではないか」と、劉備を誘いました。
劉備は「ぜひ一緒に参りたいものです」とこの申し出を承諾し、劉備・関羽・張飛の3人は公孫瓚の軍に加わることになりました。
張飛さんは前に董卓さんを殺そうとしたことがありましたよね。
そうですね。張飛は「だからあの時奴を殺しておけば良かったんだっ!」と張り切っていましたよ(笑)
劉備ははじめから公孫瓚の軍に加わるために待ってたんだろうね。
そうですねっ!これで役者がそろいました。
袁紹、十八路諸侯の盟主になる
では、お話を戻しましょう。
各地から18人の諸侯が集まると、曹操は宴会を開いて諸侯をもてなします。するとその席上、河内太守の王匡が十八路諸侯の盟主を決めることを提案しました。
すると曹操は、
「袁本初どのは4代続いて名宰相を輩出した名門の家柄であるから、盟主になられるにふさわしい」
と、袁紹を盟主に推薦します。
袁紹は何度も辞退しましたが、諸侯は皆、袁紹が盟主になることを望んだので、袁紹が盟主となることが決まりました。
そして袁紹は董卓を討つ誓いを立てると、袁術に兵糧を管理させることとし、最初の攻撃目標を汜水関に決めました。
どうせはじめからやる気満々のくせにいやらしい(笑)
まあ、当時のお約束というものですね。
ところで、みんなどこに集まってたんですか?
良い質問ですね。実は『三国志演義』には、この時どこに集まったのかは書かれていないんです。
そういえば聞いたことないな。
曹操が宴会を開いているので陳留郡に集まっていたのか、最初の攻撃目標である汜水関の近くに集まっていたのかのどちらかでしょう。
はっきり分からないんですね(笑)
そうなんです(笑)
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袁紹はなぜ盟主になれたのか?名門袁氏の影響力と反董卓連合の正体
父親がいる陳留郡にたどり着いた曹操は、富豪・衛弘の援助を受けて挙兵しました。
また、曹操が檄文をつくって諸侯に董卓討伐の兵を起こすように働きかけると、各地から18の諸侯が集結。この中には、黄巾の乱の討伐で活躍した劉備・関羽・張飛の3人の姿もありました。
そして、十八路諸侯の盟主となった袁紹は、最初の攻撃目標を汜水関に定めたのでした。
次回は、ついに十八路諸侯と董卓軍との戦いが始まります。
次回
【019】華雄 vs 孫堅:汜水関の戦い。十八路諸侯の不和と孫堅の敗北