朝廷の実権を握った李傕(りかく)・郭汜(かくし)は馬騰(ばとう)と韓遂(かんすい)の反乱を退けましたが、今度は青州(せいしゅう)の黄巾賊の残党が兗州(えんしゅう)に侵攻を開始します。
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「鮑信伝」早すぎる死を惜しまれた曹操の盟友
『三国志演義(さんごくしえんぎ)』では「汜水関(しすいかん)攻めの際に抜け駆けをして華雄(かゆう)に敗北を喫(きっ)した無能な将」として描かれている鮑信(ほうしん)とは、一体どんな人物だったのでしょうか。
青州黄巾の兗州侵攻。兗州牧となった曹操と青州兵
初平(しょへい)3年(192年)4月に起こった青州(せいしゅう)黄巾(こうきん)の兗州(えんしゅう)侵攻と、兗州牧(えんしゅうぼく)となった曹操(そうそう)が取り込んだ青州兵(せいしゅうへい)についてまとめています。
【三国志年表詳細】191年の主な出来事と三国志群雄勢力図
191年【漢:初平(しょへい)2年】に起こった主な出来事をまとめ、それをもとに群雄勢力図を作成しました。人員配置は前年から変更が記されていない官職と、新たに確認できた官職のみ記載しています。
曹操が黒山賊を討って東郡太守となる。黒山賊と於夫羅の反乱
袁紹(えんしょう)が冀州(きしゅう)を手に入れると、曹操(そうそう)も拠(よ)って立つ地盤を手に入れたいと思うようになりました。 そんな時、兗州(えんしゅう)・東郡(とうぐん)に黒山賊が侵攻を開始します。
【021】虎牢関の戦い:三英雄(劉備・関羽・張飛)が呂布と戦い敗走させる
関羽(かんう)の活躍で華雄(かゆう)を討ち取った十八路諸侯(じゅうはちろしょこう)は、ついに董卓(とうたく)が守る虎牢関(ころうかん)に駒を進めます。ですが、そこには猛将・呂布(りょふ)が待ち受けていました。