初平2年(191年)、青州黄巾は冀州・勃海郡に侵攻して公孫瓚に撃ち破られましたが、捕虜となった一部の兵を除いて公孫瓚に降伏することはなく、青州に撤退して勢力を保ちました。
ではなぜ青州黄巾は、百余万人の民とともに曹操に降伏したのでしょうか?
スポンサーリンク
目次
『蒼天航路』における曹操と青州兵
画像出典:原作・原案 李學仁、作画 王欣太『蒼天航路』第7巻 / 講談社
講談社の週刊漫画雑誌『モーニング』で連載されていた漫画『蒼天航路』では、青州黄巾の降伏のことが非常に印象的に描かれています。
「中黄太乙!かつて張角が唱えたのは、目の前の食を奪い続けてただ生き延びるための道ではなく、あの大地を埋めつくす黄色い民が太平の世を求めることにあったッ!
そしてその中黄太乙の道は、天に照らす曹操孟徳の道と相接している。黄巾の長老たちよ、青州黄巾党のすべてを、この曹操孟徳の民とするぞ!!」
攻め寄せる青州黄巾党にこう宣言した曹操は、城門を開き、単騎で進み出て言いました。
「130余万もの民の心は教義によって安定していても、拠るべき領土がなければ身が休まることはあるまい。民はただ飢えた重荷の民となり、素晴らしい兵士たちも略奪のみに生きるようになっていこう。黄巾の長老たちよ!おまえたちの同胞の行く末は、民を守る政なくしてその存続はありえない!」
すると、青州黄巾党の長老たちは曹操に問います。
「いかなることがあろうとも、わが同胞が切り裂かれたり教義を奪われることはないか!?」
「契約する!」
「教義と殺戮以外何も知らぬわが兵士!その扱いを誤れば、貴公といえども命取りになるのは承知か!?」
「承認する!!」
この曹操の言葉を聞いた10人の黄巾の長老たちは自ら命を絶ち、青州黄巾党の兵士30万と、男女百余万の民は曹操に降伏します。
そして曹操の死後、城を去って行く青州黄巾党に対して、
「これは殿との契約だそうだ」
という台詞が添えられていました。
このように『蒼天航路』では、青州黄巾党との間に次のような契約が交わされていることになっています。
- 民が安心して暮らせる太平の世を実現する
- 「青州兵」を再編・解体しない
- 青州黄巾党の教義を奪わない
- 曹操の死によって主従関係を解消する
では、正史『三国志』をはじめとする歴史書には、曹操と青州兵の関係はどのように記されているのでしょうか?
スポンサーリンク
正史『三国志』における曹操と青州兵
実は、正史『三国志』などの歴史書の青州兵に関する記述はあまり多くありません。
関連記事
『魏書』武帝紀
興平元年(194年)、張邈と陳宮が呂布を迎え入れて兗州で反逆した時のこと。
徐州の陶謙を攻めていた曹操はすぐさま取って返し、兗州・東郡・濮陽県に駐屯した呂布に攻撃を仕掛けました。
呂布は兵をくり出して戦い、まず騎兵によって青州兵に攻め込んだ。青州兵はくずれ、太祖(曹操)の陣は混乱した。
『魏書』于禁伝
建安2年(197年)、降伏した張繡が反乱を起こし、敗北した曹操が荊州・南陽郡・舞陰邑に撤退した時のこと。
太祖(曹操)のいる所に行き着かぬうちに、道中で傷を受け裸で逃げる十余人の兵士に出会った。于禁がその理由を訊ねると「青州兵に略奪を受けました」と言った。
それより以前、黄巾賊が降伏し青州兵と呼ばれた。太祖(曹操)は彼らを寛大に扱ったため、それにつけこんで平気で略奪を行ったのである。
于禁は腹を立て、部下たちに命令した。
「青州兵は同じ曹公の部下でありながらまた悪事を働くのかっ!」
そこで彼らを討伐し、彼らの罪を責めたてた。青州兵は慌てふためいて太祖(曹操)のもとに逃げて訴え出た。
この時于禁は、青州兵が自分を訴えているにも拘わらず守りを固めて敵の追撃に備え、陣営を敷き終わってから曹操に謁見して詳しく実情を説明しました。
曹操は大いに喜んで、于禁の前後にわたる戦功を取り上げて益寿亭侯に封じましたが、同時に青州兵を罰したという記録もありません。
関連記事
『魏書』賈逵伝の注『魏略』
建安25年(220年)、曹操が洛陽で崩御した時のこと。
当時、太子(曹丕)は冀州・魏郡・鄴県におり、鄢陵侯(曹彰)はまだ到着していなかった。
また、兵士や人民は労役にたいそう苦しんだ上に疫病が流行ったため、軍中は騒然となったので、官僚たちは天下に変事が起こることを心配して喪を発表しないように願った。
(曹操の葬儀を取り仕切っていた)賈逵は、建言して秘密にすべきでないと主張し、そこで死去の旨を発表して内外の人々に皆参内して告別させ、告別が済むと各人平静にして動き回ってはならぬと命じた。
ところが青州兵は勝手に太鼓を鳴らして引き揚げて行った。人々はそれを禁止し、従わなければ彼らを討伐すべきだと考えた。
賈逵は、
「現在、魏王の遺体は柩にあり、後継の王はまだ立てられていない。この機会に彼らをいたわるのがよろしい」
と主張した。そこで長文の布令文を作って、通り道のどこでも官米を支給するようにと布告した。
また、『資治通鑑』と『魏書』臧覇伝の注に引かれている『魏略』にも、これと同様の記述があります。
これらをまとめると次のようになります。
- 初期の頃、青州兵は曹操軍の主力をつとめていた
- 曹操は青州兵を寛大に扱った
- 曹操が崩御するまで青州兵は再編成されず、1つの部隊として存在していた
- 曹操が崩御すると青州兵は去って行った
以上のことから、曹操と青州兵の間にどのような契約がなされていたのかを考えてみます。
スポンサーリンク
曹操と青州兵の関係
青州黄巾を降伏させた時の曹操には、彼らを無条件降伏させるような圧倒的な軍事力はありませんでした。曹操軍に敗北した黄巾賊が青州に撤退せず、百余万人の民とともに降伏した背景には、曹操との間に何らかの契約があったことは間違いないでしょう。
ですが、『魏書』武帝紀には「意表を突く伏兵を設けて敵を捕らえると、その度に降伏の路を示した」とあるだけで、どのような契約が交わされていたのかは記されていません。
では、なぜ青州黄巾は曹操に降伏したのでしょうか?
生活の保障
青州黄巾が兗州に侵攻した初平3年(192年)4月は、すでに朝廷に力なく、袁紹、袁術、公孫瓚らが独自の勢力を築き、領土の拡大を狙う群雄割拠の時代が始まっていました。
この時やっと兗州牧となった曹操はこの群雄割拠のレースに出遅れた存在であり、また、戦乱の中間地点にある兗州は、戦乱を避けるため多くの民が離散していたことは想像に難くありません。
そのため青州黄巾が送ってきた文書から、彼らが自分に共感していることに気づいた曹操は、侵攻して来た青州黄巾を追い払うのではなく、自分の統治下に置くことを考えました。
つまり、青州黄巾を統治下に置くことで、自分が統治する兗州の民と軍の補強をしようと考えたのです。
一方、青州黄巾・百万の民は、生活に困窮した飢民が拠り所としたものであり、彼らの言う中黄太乙の教えなどは単なる口実に過ぎず、耕す土地が与えられ生活が保障されるのであれば、青州黄巾に曹操への降伏を断る理由はないでしょう。
このことから、曹操が困窮していた青州黄巾に耕す土地を与え、生活の保障をしたであろうことは間違いありません。
青州兵の待遇
青州兵を寛大に扱った理由
これまで少数の私兵しか持てなかった曹操は、青州兵という戦闘経験豊富な多数の兵を手に入れました。
ですがこれは逆に、主力とする青州兵が反乱を起こした場合、途端に窮地に陥ってしまうということでもあります。
曹操が青州兵を寛大に扱ったのは、青州兵に頼らざるを得ない曹操が彼らの反乱を未然に防ぐための不本意な対応であり、このような特別待遇を降伏の条件にしていたのではないと思われます。
青州兵を再編成しなかった理由
まず、青州兵を再編成して各部隊に分散させるより、常に1つの部隊として扱った方が、これまで青州黄巾として戦って来た結束を活かすことができ、大きな戦果を期待することができます。
また、元は青州の黄巾賊として略奪を繰り返してきた青州兵は、前述の『魏書』于禁伝に見られるように、旗色が悪くなれば略奪を働く危険な存在でもありました。
曹操が青州兵を再編成しなかったのは、そんな危険分子を分散して他の部隊に加えるより、1つの部隊にまとめておいた方が扱いやすいと考えた結果だと思われます。
青州兵が仕えるのは一代限り?
曹操が亡くなると、青州兵は城を去って行きました。ではこれも「仕えるのは曹操一代限り」という曹操との契約なのでしょうか?
人々が「従わなければ彼らを討伐すべきだ」と言ったことや、「現在、魏王の遺体は柩にあり、後継の王はまだ立てられていない。この機会に彼らをいたわるのがよろしい」という賈逵の言葉から、青州兵が去ったことは不測の事態だったことが窺えます。
もしこの時、青州兵に討伐軍を派遣したならば、静かに去ろうとしていた青州兵の動きは、反乱という形で世に顕在化されてしまいます。
曹操が亡くなり、後継者も立てられていないこの状況で反乱が起きたことが知れ渡れば、各地の反乱分子が一斉に反乱を起こし、曹操が築いた魏王国の瓦解につながりかねません。
つまり、青州兵が去ったことは隠したい事実であり、賈逵はその後青州兵が行く先々で略奪を働いて事を荒立てぬよう、青州兵の通り道で官米を支給するようにと布告したのです。
つまりこれも、「仕えるのは曹操一代限り」という曹操との契約ではなく、魏王国を円滑に継承させるためのやむを得ない選択であったと言えるでしょう。
その証拠に、青州兵と同時期に去った臧覇の配下も咎められることはありませんでしたが、後に曹丕はそのことを理由に臧覇から兵を取り上げています。
漫画『蒼天航路』では、曹操と青州黄巾党との間に、
- 民が安心して暮らせる太平の世を実現する
- 「青州兵」を再編・解体しない
- 青州黄巾党の教義を奪わない
- 曹操の死によって主従関係を解消する
という4つの契約が交わされていたことになっていますが、正史『三国志』その他の歴史書を確認してみると、実際に結ばれた契約は「青州黄巾の生活の保障」ただ1つだったように思えます。
ですが、漫画『蒼天航路』は黄巾党を非常に丁寧に描いており、曹操と青州黄巾党の間にこれら4つの契約がなされていたとするのは、黄巾党の存在感と曹操の偉大さを印象づける非常に効果的な演出であると思います。