初平(しょへい)3年(192年)4月に起こった青州(せいしゅう)黄巾(こうきん)の兗州(えんしゅう)侵攻と、兗州牧(えんしゅうぼく)となった曹操(そうそう)が取り込んだ青州兵(せいしゅうへい)についてまとめています。
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【袁紹 vs 公孫瓚】界橋の戦い。白馬義従を破った麹義の底力
河北(かほく)において絶大な影響力を持つ公孫瓚(こうそんさん)が再度冀州(きしゅう)に侵攻すると、袁紹(えんしょう)は自(みずか)ら兵を率(ひき)いて出陣し、両雄は清河国(せいがこく)と鉅鹿郡(きょろくぐん)の境界である・・・
孫堅が劉表に敗れた「襄陽の戦い」と朱儁の挙兵
袁術(えんじゅつ)と公孫瓚(こうそんさん)が手を組んで袁紹(えんしょう)と争うようになると、袁術(えんじゅつ)を敵視していた劉表(りゅうひょう)は共通の敵を持つ袁紹(えんしょう)と手を組みました。 袁術(えんじゅつ)は後・・・
なぜ袁紹と袁術は仲違いしたのか?袁紹と袁術の対立の原因とは?
191年冬、ついに袁紹(えんしょう)が袁術(えんじゅつ)に従っていた孫堅(そんけん)が治める豫州(よしゅう)に侵出し、同じ袁氏(えんし)一族の間で戦いが起こりました。ではなぜ袁紹(えんしょう)と袁術(えんじゅつ)は争うこ・・・