王允(おういん)と貂蝉(ちょうせん)による「連環の計」が『三国志演義』の創作であることは有名ですが、では、正史『三国志』では、董卓(とうたく)はどのような最期を迎えたのでしょうか。
「正史」の記事一覧(24 / 29ページ目)
【袁紹 vs 公孫瓚】界橋の戦い。白馬義従を破った麹義の底力
河北(かほく)において絶大な影響力を持つ公孫瓚(こうそんさん)が再度冀州(きしゅう)に侵攻すると、袁紹(えんしょう)は自(みずか)ら兵を率(ひき)いて出陣し、両雄は清河国(せいがこく)と鉅鹿郡(きょろくぐん)の境界である・・・
孫堅が劉表に敗れた「襄陽の戦い」と朱儁の挙兵
袁術(えんじゅつ)と公孫瓚(こうそんさん)が手を組んで袁紹(えんしょう)と争うようになると、袁術(えんじゅつ)を敵視していた劉表(りゅうひょう)は共通の敵を持つ袁紹(えんしょう)と手を組みました。 袁術(えんじゅつ)は後・・・
なぜ袁紹と袁術は仲違いしたのか?袁紹と袁術の対立の原因とは?
191年冬、ついに袁紹(えんしょう)が袁術(えんじゅつ)に従っていた孫堅(そんけん)が治める豫州(よしゅう)に侵出し、同じ袁氏(えんし)一族の間で戦いが起こりました。ではなぜ袁紹(えんしょう)と袁術(えんじゅつ)は争うこ・・・
反董卓連合の崩壊。袁紹が孫堅を攻め、公孫瓚は河北に覇を唱える
袁術(えんじゅつ)が献帝(けんてい)の保護に動き出すと、袁紹(えんしょう)は袁術(えんじゅつ)派の孫堅(そんけん)が治める豫州(よしゅう)に侵攻を開始。袁氏(えんし)同士の確執はついに軍事衝突へと発展し、反董卓(とうたく・・・
曹操が黒山賊を討って東郡太守となる。黒山賊と於夫羅の反乱
袁紹(えんしょう)が冀州(きしゅう)を手に入れると、曹操(そうそう)も拠(よ)って立つ地盤を手に入れたいと思うようになりました。 そんな時、兗州(えんしゅう)・東郡(とうぐん)に黒山賊が侵攻を開始します。
韓馥が袁紹に冀州をゆずる。公孫瓚と袁紹に怯え続けた韓馥の末路
孫堅(そんけん)に敗れた董卓(とうたく)が長安(ちょうあん)に入った頃、反董卓(とうたく)連合の袁紹(えんしょう)と韓馥(かんふく)の関係に変化が現れました。 確たる地盤を持たない袁紹(えんしょう)が、韓馥(かんふく)の・・・