建安(けんあん)13年(208年)の曹操(そうそう)の南征に対する益州牧(けいしゅうぼく)・劉璋(りゅうしょう)の反応と、曹操(そうそう)と劉璋(りゅうしょう)の使者・張松(ちょうしょう)の確執についてまとめています。
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劉備の江南4郡(武陵郡・長沙郡・桂陽郡・零陵郡)平定
赤壁(せきへき)の戦いで曹操(そうそう)を敗走させた建安(けんあん)13年(208年)冬、劉備(りゅうび)が荊州(けいしゅう)の江南(こうなん)4郡(武陵郡(ぶりょうぐん)・長沙郡(ちょうさぐん)・桂陽郡(けいようぐん)・・・
【江陵の戦い】曹仁 vs 周瑜・劉備。赤壁の戦い後の江陵県の攻防
建安(けんあん)13年(208年)冬10月、赤壁(せきへき)で敗走した曹操(そうそう)を追った周瑜(しゅうゆ)・劉備(りゅうび)が、曹仁(そうじん)が守る江陵県(こうりょうけん)を奪取した「江陵(こうりょう)の戦い」につ・・・
【赤壁の戦い②】劉備軍と孫権軍(周瑜・程普・魯粛)の合流
建安(けんあん)13年(208年)、曹操(そうそう)との決戦を決意した孫権(そんけん)が派遣した周瑜(しゅうゆ)ら水軍3万と、劉備(りゅうび)軍2千が合流した時の様子についてまとめています。