建安(けんあん)13年(208年)、曹操(そうそう)の南征を受けた孫権(そんけん)が「曹操(そうそう)との決戦」を決断するまでの経緯をまとめています。
「正史」の記事一覧(10 / 28ページ目)
劉表の後継者争い。曹操の荊州侵攻と劉琮の降伏
荊州牧(けいしゅうぼく)・劉表(りゅうひょう)の後継者争いと建安(けんあん)13年(208年)7月の曹操(そうそう)の荊州(けいしゅう)侵攻、劉表(りゅうひょう)の死とその後を継いだ劉琮(りゅうそう)が曹操(そうそう)に・・・
曹操が馬騰を朝廷に招聘し、荊州征討の後顧の憂いを断つ
興平(こうへい)元年(194年)から建安(けんあん)13年(208年)までの馬騰(ばとう)・韓遂(かんすい)の動きと、曹操(そうそう)が荊州(けいしゅう)を征討する際に気がかりとなる、後方の馬騰(ばとう)への対処について・・・
曹操の丞相就任。丞相府の人事と司馬懿の初出仕
建安(けんあん)13年(208年)夏6月、後漢(ごかん)王朝は三公(さんこう)の官を廃止して、再び丞相(じょうしょう)と御史大夫(ぎょしたいふ)を設置しました。曹操(そうそう)の丞相(じょうしょう)就任と、丞相府(じょう・・・