黄巾賊の討伐で活躍した功績によって安熹県(あんきけん)の県尉(けんい)に任命された劉備(りゅうび)ですが、張飛(ちょうひ)が督郵(とくゆう)をムチ打ったことによって逃亡者になってしまいました。
そして、お話の舞台は黄巾の乱の後も続く各地の反乱と、朝廷の対応に移ります。

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十常侍たちの暗躍

十常侍たちの暗躍


タカオタカオ

前回は、張飛(ちょうひ)が督郵(とくゆう)をムチ打ったせいで劉備(りゅうび)たちが逃亡者になってしまったとこまででしたよね。

マリコマリコ

でも、張飛(ちょうひ)ってなんか憎めないんだよなぁ…。

王先生王先生

そうですね。実は、黄巾の乱が平定された後も各地で反乱が相次いでいました。小説や漫画、映画やドラマではカットされてしまいがちですが、しっかり確認しておきましょう。

ご確認

この記事は『三国志演義』に基づいてお話ししています。正史『三国志』における黄巾の乱後の反乱についてはこちらをご覧ください。

黄巾の乱の影に隠れて目立たない涼州の反乱「辺章・韓遂の乱」とは

やっぱり無鉄砲!?戦いに明け暮れた孫堅の青年期(凶星(おうせい)の乱)

幽州の反乱「張純の乱」とは。公孫瓚の台頭と劉虞との確執

益州の反乱「馬相の乱」、入蜀した劉焉の野望と五斗米道

功臣たちの失脚


王先生王先生

さて、黄巾賊討伐に功績のあった者で官職を罷免(ひめん)されたのは、劉備(りゅうび)だけではありませんでした。

黄巾の乱という大きな反乱が起こったにも関わらず、十常侍(じゅうじょうじ)たちは権力の座に居続けました。

そして、相変わらず官職にある者に賄賂を求め、自分たちに従わない者には罪を着せて失脚させていったのです。



王先生王先生

そして、黄巾の乱平定の最大の功労者である皇甫嵩(こうほすう)と朱儁(しゅしゅんも、十常侍(じゅうじょうじ)たちに賄賂を贈らなかったことを理由に官職を奪われてしまいました。

マリコマリコ

え〜っ!皇甫嵩(こうほすう)さんと朱儁(しゅしゅんさんも!?

タカオタカオ

皇甫嵩(こうほすう)と朱儁(しゅしゅんですら失脚させられるんだから、劉備(りゅうび)なんてひとたまりもないね!

王先生王先生

そうなんですよ。
さらに、十常侍(じゅうじょうじ)の趙忠(ちょうちゅう)は車騎将軍(しゃきしょうぐん)に、張譲(ちょうじょう)をはじめとする13人の宦官(かんがん)たちは列侯(れっこう)に封ぜられました。

マリコマリコ

車騎将軍(しゃきしょうぐん)って、皇甫嵩(こうほすう)さんと朱儁(しゅしゅんさんが任命されたやつですよね。奪っちゃったんだ…。

タカオタカオ

列侯(れっこう)ってなんですか?

列侯(れっこう)

列侯(れっこう)とは漢代における爵位の1つで、20ある爵位(二十等爵)の最高位に当たり、列侯(れっこう)に封ぜられると、封土(ほうど)(土地)が与えられ、その土地の租税を自分のものにすることができました。



タカオタカオ

なるほど。
でも、十常侍(じゅうじょうじ)たちはなんで出世できたの?

王先生王先生

「黄巾の乱を平定できたのは自分たちの功績だ」ということにしたんでしょうね。

マリコマリコ

十常侍(じゅうじょうじ)の中には黄巾賊に内通してた人もいたのに…。

タカオタカオ

やってらんね〜なっ!

相次ぐ反乱の勃発


王先生王先生

黄巾の乱が平定されても、政治が正されていなければ民衆の不満は収まりませんよね。朝廷がこんな有様なので、黄巾の乱の後も反乱が続発していたんです。

この頃、荊州(けいしゅう)の長沙郡(ちょうさぐん)では凶星(おうせい)が将軍を自称して反乱を起こし、幽州(ゆうしゅう)の漁陽郡(ぎょようぐん)では、張挙(ちょうきょ)が天子を、張純(ちょうじゅん)が大将軍を自称して反乱を起こしていました。


漁陽郡と長沙郡の場所

長沙郡(ちょうさぐん)と漁陽郡(ぎょようぐん)の場所



マリコマリコ

あっちもこっちも反乱ですね。大変だ…。

タカオタカオ

どうせまた皇甫嵩(こうほすう)と朱儁(しゅしゅんを復帰させて討伐させるんでしょ?

王先生王先生

ところが、十常侍(じゅうじょうじ)たちはこれらの反乱を霊帝(れいてい)に報告しないでもみ消してしまったんですよ。

マリコマリコ

反乱はほったらかしってこと?

タカオタカオ

平和だと思わせておいた方が操(あやつ)りやすいってことか。


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討伐軍の派遣と劉備の復帰

討伐軍の派遣と劉備の復帰

堕落した霊帝と討伐軍の派遣


王先生王先生

もちろん、朝廷にはこれらの反乱に危機感を感じる人もいました。

タカオタカオ

うわぁ〜っ!イヤな予感する…。


霊帝(れいてい)が宮中の庭園で十常侍(じゅうじょうじ)たちと宴会をしていると、諫議大夫(かんぎたいふ)の劉陶(りゅうとう)がやって来て、霊帝(れいてい)の前で大声で泣き出します。

霊帝(れいてい)が泣いている理由をたずねると、劉陶(りゅうとう)は、

「国家の存続に危険が迫っているというのに、陛下は呑気(のんき)に宦官(かんがん)どもと酒を召しておられるとは…」

と泣きくずれました。

「国家はずっと安泰ではないか。何が危険だというのだ?」

と霊帝(れいてい)がさらに問うと、劉陶(りゅうとう)は語気を強めて、

「盗賊は四方より起こって、州郡を略奪しております。これはすべて十常侍(じゅうじょうじ)たちが陛下を欺(あざむ)いて、民を苦しめているからです」

と答えました。

これを聞いた十常侍(じゅうじょうじ)たちは、涙を流して霊帝(れいてい)に許しを請(こ)います。

霊帝(れいてい)は劉陶(りゅうとう)に向かって、

「お前の家にも側仕(そばづか)えの者はいるだろう。朕(ちん)だけには許さぬと言うのかっ!」

と怒鳴りつけると、刑吏(けいり)を呼んで劉陶(りゅうとう)を処刑しようとしました。

劉陶(りゅうとう)は刑吏(けいり)に抱(かか)えられながら、

「ああ…、私は死を恐れぬが、漢室の天下400余年、今ここに極(きわ)まろうとはっ!」

と天に向かって叫(さけ)ぶと、刑吏(けいり)に引き出されていきました。



マリコマリコ

何で分からないの?霊帝(れいてい)さんっ!

タカオタカオ

宦官(かんがん)からのフェイクニュースに洗脳されてるんだよ。宦官(かんがん)たちを信じ切ってる。

王先生王先生

ちなみに劉陶(りゅうとう)の官職である諫議大夫(かんぎたいふ)は、いわゆる顧問官で、皇帝の過(あやま)ちを諫(いさ)めるのがお仕事です。

マリコマリコ

側仕(そばづか)えの者がどうとかって言ってるのは何のことですか?

王先生王先生

宦官(かんがん)たちは皇帝の身の回りの世話をするのが本来の仕事ですからね。宦官(かんがん)がいなくなると、自分が不便になると言っているのでしょう。

タカオタカオ

問題はそこじゃないんだよ。
オレなら宦官(かんがん)に与えた特権を剥奪(はくだつ)しろっ!って言うね。


今まさに劉陶(りゅうとう)の処刑が執行されようとするその時、1人の大臣が止めに入りました。司徒(しと)の陳耽(ちんたん)です。

陳耽(ちんたん)は刑の執行をやめさせると急いで霊帝(れいてい)の元へ行き、劉陶(りゅうとう)を処刑する理由を問いただして次のように諫言(かんげん)しました。

「天下の人民は十常侍(じゅうじょうじ)の肉を喰(く)らっても飽き足らぬほど恨(うら)んでいるのに、陛下は父母のごとく敬(うやま)っていらっしゃるのはいかなることでしょうか。

彼らは何の功績もないのに列侯(れっこう)に封ぜられたばかりか、封諝(ほうしょ)などは黄巾賊と結託して内乱を謀ったのですぞ!

今あやまちを正されなければ、たちどころに国は滅んでしまいます」

霊帝(れいてい)は適当になだめてお茶を濁(にご)そうとしますが、諫言(かんげん)をやめようとしない陳耽(ちんたん)に腹を立て、劉陶(りゅうとう)と共に牢獄(ろうごく)に入れてしまいました。


十常侍(じゅうじょうじ)たちはその日のうちに獄中(ごくちゅう)で2人を謀殺すると、詔(みことのり)を偽(いつわ)って孫堅(そんけん)を長沙太守(ちょうさたいしゅ)に任命し、凶星(おうせい)の討伐に向かわせます。

すると、50日も経(た)たずに勝利の報告がもたらされ、孫堅(そんけん)は烏程侯(うていこう)に封ぜられました。



タカオタカオ

忠臣がまた2人いなくなったのか…。思った通りだな。

張挙・張純の討伐と劉備の復帰


王先生王先生

さて、もう一方の幽州(ゆうしゅう)の反乱には、劉虞(りゅうぐ)という人が幽州牧(ゆうしゅうぼく)に任命されて張挙(ちょうきょ)・張純(ちょうじゅん)の討伐に向かいました。

マリコマリコ

幽州(ゆうしゅう)と言えば、劉備(りゅうび)さんが隠れているところですよね。

王先生王先生

よく気づきましたね。
劉虞(りゅうぐ)が張挙(ちょうきょ)らの討伐に出発すると、劉恢(りゅうかい)の推薦状を持った劉備(りゅうび)が面会にきました。

タカオタカオ

劉恢(りゅうかい)は、たしか劉備(りゅうび)を匿(かくま)っていた人だよね。結構エラい人だったんだ(笑)


劉虞(りゅうぐ)は劉備(りゅうび)を歓迎すると、都尉(とい)に任命して討伐軍に加えました。

賊軍の本拠地に到着した劉虞(りゅうぐ)は、早速賊軍に戦いを挑みます。

そして、両軍は数日に渡って激戦を繰り広げ、官軍が有利となると、心変わりした張純(ちょうじゅん)の部下が彼を刺し殺し、多くの兵を連れて降伏してきました。

これを見た張挙(ちょうきょ)も「もはやこれまで」と自害してしまったので、幽州(ゆうしゅう)の反乱は鎮圧されました。

また、この功によって劉虞(りゅうぐ)は太尉(たいい)に任命されています。


戦後、劉虞(りゅうぐ)が劉備(りゅうび)の活躍を上奏したため、督郵(とくゆう)をムチ打った罪は正式に許され、下密県(かみつけん)の丞(じょう)に任命されました。

その後、劉備(りゅうび)は高唐県(こうとうけん)の県尉(けんい)に転任し、さらに公孫瓚(こうそんさん)の推挙によって別部司馬(べつぶしば)に任命され、仮の平原県令(へいげんけんれい)を兼務することになりました。



タカオタカオ

意外と早く罪が許されたんだね。劉備(りゅうび)。

王先生王先生

張挙(ちょうきょ)と張純(ちょうじゅん)の乱が平定されたのは189年のことですから、少なくとも4年は経ってますね。

マリコマリコ

物語の中ではあっという間でしたけど、結構経ってますね(笑)

タカオタカオ

その間に、孫堅(そんけん)は長沙太守(ちょうさたいしゅ)になってるからねっ!

マリコマリコ

あれっ?曹操(そうそう)はどうしてるんだろう?

王先生王先生

曹操(そうそう)は次回、登場しますよっ!

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督郵をムチ打ったのは劉備だった!?謎だらけの劉備の青年期


黄巾の乱以降も十常侍(じゅうじょうじ)たちの政治の私物化は続き、各地で反乱が起こります。
たとえ反乱は鎮圧されても、後漢王朝が終焉に向かっていることは、誰の目にも明らかでした。

一方、劉備(りゅうび)は平原県(へいげんけん)に赴任すると、兵馬や兵糧、軍資金などを整えはじめます。ですが、仮の県令(けんれい)程度では、まだまだ群雄として名乗りを挙げるには力不足な状態でした。



王先生王先生

次回は、朝廷で大きな出来事が起こります。
そしていよいよ、後に群雄となる英雄たちの動きが活発になっていきますよ!

次回

【011】霊帝の死。後継者争いによる朝廷の混乱と宦官一掃計画

三国志演義の解説を順番に読もう!

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