黄巾賊の討伐で活躍した功績によって安熹県の県尉に任命された劉備ですが、張飛が督郵をムチ打ったことによって逃亡者になってしまいました。
そして、お話の舞台は黄巾の乱の後も続く各地の反乱と、朝廷の対応に移ります。
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十常侍たちの暗躍
前回は、張飛が督郵をムチ打ったせいで劉備たちが逃亡者になってしまったとこまででしたよね。
でも、張飛ってなんか憎めないんだよなぁ…。
そうですね。実は、黄巾の乱が平定された後も各地で反乱が相次いでいました。小説や漫画、映画やドラマではカットされてしまいがちですが、しっかり確認しておきましょう。
ご確認
この記事は『三国志演義』に基づいてお話ししています。正史『三国志』における黄巾の乱後の反乱についてはこちらをご覧ください。
黄巾の乱の影に隠れて目立たない涼州の反乱「辺章・韓遂の乱」とは
やっぱり無鉄砲!?戦いに明け暮れた孫堅の青年期(凶星の乱)
功臣たちの失脚
さて、黄巾賊討伐に功績のあった者で官職を罷免されたのは、劉備だけではありませんでした。
黄巾の乱という大きな反乱が起こったにも関わらず、十常侍たちは権力の座に居続けました。
そして、相変わらず官職にある者に賄賂を求め、自分たちに従わない者には罪を着せて失脚させていったのです。
そして、黄巾の乱平定の最大の功労者である皇甫嵩と朱儁も、十常侍たちに賄賂を贈らなかったことを理由に官職を奪われてしまいました。
え〜っ!皇甫嵩さんと朱儁さんも!?
皇甫嵩と朱儁ですら失脚させられるんだから、劉備なんてひとたまりもないね!
そうなんですよ。
さらに、十常侍の趙忠は車騎将軍に、張譲をはじめとする13人の宦官たちは列侯に封ぜられました。
車騎将軍って、皇甫嵩さんと朱儁さんが任命されたやつですよね。奪っちゃったんだ…。
列侯ってなんですか?
列侯
列侯とは漢代における爵位の1つで、20ある爵位(二十等爵)の最高位に当たり、列侯に封ぜられると、封土(土地)が与えられ、その土地の租税を自分のものにすることができました。
なるほど。
でも、十常侍たちはなんで出世できたの?
「黄巾の乱を平定できたのは自分たちの功績だ」ということにしたんでしょうね。
十常侍の中には黄巾賊に内通してた人もいたのに…。
やってらんね〜なっ!
相次ぐ反乱の勃発
黄巾の乱が平定されても、政治が正されていなければ民衆の不満は収まりませんよね。朝廷がこんな有様なので、黄巾の乱の後も反乱が続発していたんです。
この頃、荊州の長沙郡では凶星が将軍を自称して反乱を起こし、幽州の漁陽郡では、張挙が天子を、張純が大将軍を自称して反乱を起こしていました。
長沙郡と漁陽郡の場所
あっちもこっちも反乱ですね。大変だ…。
どうせまた皇甫嵩と朱儁を復帰させて討伐させるんでしょ?
ところが、十常侍たちはこれらの反乱を霊帝に報告しないでもみ消してしまったんですよ。
反乱はほったらかしってこと?
平和だと思わせておいた方が操りやすいってことか。
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討伐軍の派遣と劉備の復帰
堕落した霊帝と討伐軍の派遣
もちろん、朝廷にはこれらの反乱に危機感を感じる人もいました。
うわぁ〜っ!イヤな予感する…。
霊帝が宮中の庭園で十常侍たちと宴会をしていると、諫議大夫の劉陶がやって来て、霊帝の前で大声で泣き出します。
霊帝が泣いている理由をたずねると、劉陶は、
「国家の存続に危険が迫っているというのに、陛下は呑気に宦官どもと酒を召しておられるとは…」
と泣きくずれました。
「国家はずっと安泰ではないか。何が危険だというのだ?」
と霊帝がさらに問うと、劉陶は語気を強めて、
「盗賊は四方より起こって、州郡を略奪しております。これはすべて十常侍たちが陛下を欺いて、民を苦しめているからです」
と答えました。
これを聞いた十常侍たちは、涙を流して霊帝に許しを請います。
霊帝は劉陶に向かって、
「お前の家にも側仕えの者はいるだろう。朕だけには許さぬと言うのかっ!」
と怒鳴りつけると、刑吏を呼んで劉陶を処刑しようとしました。
劉陶は刑吏に抱えられながら、
「ああ…、私は死を恐れぬが、漢室の天下400余年、今ここに極まろうとはっ!」
と天に向かって叫ぶと、刑吏に引き出されていきました。
何で分からないの?霊帝さんっ!
宦官からのフェイクニュースに洗脳されてるんだよ。宦官たちを信じ切ってる。
ちなみに劉陶の官職である諫議大夫は、いわゆる顧問官で、皇帝の過ちを諫めるのがお仕事です。
側仕えの者がどうとかって言ってるのは何のことですか?
宦官たちは皇帝の身の回りの世話をするのが本来の仕事ですからね。宦官がいなくなると、自分が不便になると言っているのでしょう。
問題はそこじゃないんだよ。
オレなら宦官に与えた特権を剥奪しろっ!って言うね。
今まさに劉陶の処刑が執行されようとするその時、1人の大臣が止めに入りました。司徒の陳耽です。
陳耽は刑の執行をやめさせると急いで霊帝の元へ行き、劉陶を処刑する理由を問いただして次のように諫言しました。
「天下の人民は十常侍の肉を喰らっても飽き足らぬほど恨んでいるのに、陛下は父母のごとく敬っていらっしゃるのはいかなることでしょうか。
彼らは何の功績もないのに列侯に封ぜられたばかりか、封諝などは黄巾賊と結託して内乱を謀ったのですぞ!
今あやまちを正されなければ、たちどころに国は滅んでしまいます」
霊帝は適当になだめてお茶を濁そうとしますが、諫言をやめようとしない陳耽に腹を立て、劉陶と共に牢獄に入れてしまいました。
十常侍たちはその日のうちに獄中で2人を謀殺すると、詔を偽って孫堅を長沙太守に任命し、凶星の討伐に向かわせます。
すると、50日も経たずに勝利の報告がもたらされ、孫堅は烏程侯に封ぜられました。
忠臣がまた2人いなくなったのか…。思った通りだな。
張挙・張純の討伐と劉備の復帰
さて、もう一方の幽州の反乱には、劉虞という人が幽州牧に任命されて張挙・張純の討伐に向かいました。
幽州と言えば、劉備さんが隠れているところですよね。
よく気づきましたね。
劉虞が張挙らの討伐に出発すると、劉恢の推薦状を持った劉備が面会にきました。
劉恢は、たしか劉備を匿っていた人だよね。結構エラい人だったんだ(笑)
劉虞は劉備を歓迎すると、都尉に任命して討伐軍に加えました。
賊軍の本拠地に到着した劉虞は、早速賊軍に戦いを挑みます。
そして、両軍は数日に渡って激戦を繰り広げ、官軍が有利となると、心変わりした張純の部下が彼を刺し殺し、多くの兵を連れて降伏してきました。
これを見た張挙も「もはやこれまで」と自害してしまったので、幽州の反乱は鎮圧されました。
また、この功によって劉虞は太尉に任命されています。
戦後、劉虞が劉備の活躍を上奏したため、督郵をムチ打った罪は正式に許され、下密県の丞に任命されました。
その後、劉備は高唐県の県尉に転任し、さらに公孫瓚の推挙によって別部司馬に任命され、仮の平原県令を兼務することになりました。
意外と早く罪が許されたんだね。劉備。
張挙と張純の乱が平定されたのは189年のことですから、少なくとも4年は経ってますね。
物語の中ではあっという間でしたけど、結構経ってますね(笑)
その間に、孫堅は長沙太守になってるからねっ!
あれっ?曹操はどうしてるんだろう?
曹操は次回、登場しますよっ!
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黄巾の乱以降も十常侍たちの政治の私物化は続き、各地で反乱が起こります。
たとえ反乱は鎮圧されても、後漢王朝が終焉に向かっていることは、誰の目にも明らかでした。
一方、劉備は平原県に赴任すると、兵馬や兵糧、軍資金などを整えはじめます。ですが、仮の県令程度では、まだまだ群雄として名乗りを挙げるには力不足な状態でした。
次回は、朝廷で大きな出来事が起こります。
そしていよいよ、後に群雄となる英雄たちの動きが活発になっていきますよ!
次回
【011】霊帝の死。後継者争いによる朝廷の混乱と宦官一掃計画