黄巾の乱が平定されると、黄巾賊討伐に功績のあった者に恩賞が与えられました。
そして、義勇軍を結成して討伐に加わった劉備にも、初めて官職が与えられることになります。
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黄巾の乱平定の恩賞
前回は、やっと黄巾の乱が平定されたとこまででしたよね。
宛城の黄巾賊はしぶとかったですねっ!
ご確認
この記事は『三国志演義』に基づいてお話ししています。正史『三国志』における黄巾の乱後の動向については、こちらをご覧ください。
では、まずは黄巾の乱の平定に貢献した人たちへの恩賞を確認しておきましょう。
皇甫嵩
中郎将に任命されて黄巾の乱討伐の指揮をとった皇甫嵩は、その功績によって車騎将軍に加え、冀州牧に任命されました。
朱儁
皇甫嵩と同じく中郎将に任命されて黄巾の乱討伐の指揮をとった朱儁は、車騎将軍に加え、河南尹に任命されました。
曹操
頓丘県の県令を務めていた曹操は、騎都尉に任命されて黄巾の乱討伐に加わり、その功績によって済南郡の相に任命されました。
孫堅
下邳県の丞を務めていた孫堅は、黄巾の乱討伐の功績によって別部司馬に任命されました。
皇甫嵩と朱儁が任命された車騎将軍は、大将軍・驃騎将軍に次ぐ武官のNo.3の地位になります。大出世ですね。
冀州牧は州の長官、河南尹は郡の長官だから、皇甫嵩さんの方が評価されたんですね。
そうですね。ですが、首都・洛陽のある河南尹は特別ですので、秩石(俸禄)だけでみれば、河南尹の方が高かったりします。
う〜ん、難しい。
ちなみに曹操は県の長官から郡の長官へ、孫堅は県令の副官から独立部隊長へと出世したことになります。
なるほど。
待ってっ!罪人にされちゃった盧植さんはどうなったの?
安心して下さい。
皇甫嵩が盧植の功績と罪がないことを奏上したので、許されて元の職に戻されました。
良かったぁ、あの時張飛さんが暴れなくて良かった(笑)
あれ?
そういえば劉備の名前がないな。
実は劉備の功績も朱儁によって奏上されていましたが、いくら待っても何の音沙汰もなかったんです。
マジか…。
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劉備への恩賞
劉備、安熹県の県尉になる
せっかく義勇軍を率いて戦ったのに、これではさすがの劉備も面白くありません。
こういうことするから、反乱を起こす人が後を絶たないんだよ。
まったくその通りですね。
連絡を待つ劉備たちが洛陽の街を歩いていると、郎中の張鈞の馬車に出会います。
劉備は張鈞に面会を願い出ると、黄巾の乱での恩賞を待っていることを伝えました。これを聞いた張鈞はすぐに参内して、
「黄巾賊の討伐に参加した者の中に、功績に報われていない者がおります。これは、十常侍が官職を私物化していることが原因です。
十常侍の首を打ち、功績のある者にしっかりと褒美を与えれば、反乱はなくなるでしょう」
と、霊帝に奏上します。
ですが、これを聞いた十常侍たちが「張鈞は帝を欺こうとしています」と霊帝に耳打ちしたため、これを信じた霊帝は張鈞の官職を解いて追放してしまいました。
劉備のことだけ言えばいいのに、余計なこと言うからっ!
それだけ十常侍に対する不満が溜まってたんだよ。
ですが、このままにしておくのも良くないと考えた十常侍たちは、劉備に適当な官職を与えて、後で難癖をつけて罷免することにしたんです。
まったく宦官はあくどいなぁ。
これによって冀州・中山国・安熹県の県尉に任命された劉備は、さっそく任地に赴任しました。
安熹県周辺地図
故郷の涿郡とも近いね。
えっと、たしか県の長官は県令ですよね。県尉ってどんなお仕事でしたっけ?
県尉は、例えるなら県の警察署長にあたります。
朝廷による地方官の見直し
県尉になった劉備は公明正大に職務を遂行したので、安熹県の民は劉備を信頼し、治安が保たれていました。
さすが劉備さんねっ!
そんな時、朝廷から勅書が下り、軍功によって地方官になった者で仕事ぶりが良くない者は、罷免されることになったんです。
十常侍の陰謀だな…。
いえ、これ自体は当然のことですよ。戦闘は優秀でも、政治には向かない人もいるはずですからね。
その点、劉備さんはバッチリですねっ!
そのはずなんですけどね。
そして、劉備が赴任している安熹県にも督郵がやってきました。
督郵って、人の名前?役職の名前?
督郵とは郡の太守に属し、所属の県の監督をする官職のことです。正式には五部督郵曹椽と言います。
張飛、督郵を鞭打つ
督郵がやってくると、劉備は城外に出て丁重に迎えました。
督郵、賄賂を要求する
宿舎で劉備と面会した督郵は、劉備に出身を尋ねます。
劉備が、
「私は中山靖王の末孫であり、黄巾賊との戦いで手柄を立てたことによって県尉に取り立てられました」
と答えると、督郵は激怒して、
「勝手に皇族の名を語りおってっ!ありもせぬ手柄を申し立てたのだろう。私はお前のようなヤツを罷免するために派遣されたのだ!」
と一方的に叱りつけ、劉備を退出させました。これには関羽も張飛も怒り心頭です。
督郵が怒っている理由が分からない劉備に部下が言うには「督郵は賄賂を要求しているのです」とのこと。
ですが余分な蓄えなどない劉備には、督郵に賄賂を贈る財力も、贈る意志もありませんでした。
こりゃ、いつものパターンだな。
盧植さんみたいに、濡れ衣を着せられるパターンですね。
2人の読みは大当たりですよ。
張飛、督郵を鞭打つ
督郵は役人を1人捕らえて自分の宿舎に監禁すると「県尉が民を苦しめている」という告発文を書かせようとしました。これを証拠として劉備を罷免に追い込もうというわけです。
ですが、日頃から劉備を慕っている役人はなかなか書こうとしません。
そんな時、やけ酒をあおった張飛が督郵の宿舎の前を通りかかります。そこには人だかりができており、みんな大声で泣いていました。
張飛が理由を聞くと、
「督郵が役人に無理強いして、劉県尉に罪を着せようとしています。私たちが直訴に行くと、門番に阻まれて追い出されてしまったのです」
と、涙ながらに訴えました。
これを聞いた張飛は、門番を振り払って宿舎に躍り込んだかと思うと、督郵を引きずり出して馬をつなぐ柱に縛りつけ、柳の枝で力一杯打ちすえ始めました。
あぁ〜、とうとうやっちゃった!
でもこれはみんな張飛を応援するよ!
『三国志演義』の名場面の1つですね。
劉備、逃亡者となる
騒ぎを聞きつけた劉備と関羽が駆けつけると、督郵は「命だけは助けてくれ」と懇願します。
劉備は「こんなヤツ殴り殺してやる!」と息巻く張飛を叱りつけてやめさせましたが、張飛と同じように腹に据えかねていた関羽も、
「いっそ督郵を討ち果たし、郷里に帰って計画を立て直しましょう」
と、怒りをあらわにします。
劉備は県尉の印綬を督郵の首にかけると、
「民を苦しめるお前のようなヤツは殺してやりたいところだが、命だけは助けてやる」
と言って、関羽・張飛と共に家族を連れて故郷の涿郡に向けて旅立ちました。
ふりだしに戻っちゃったね…。
ふりだしどころではないですよ。
督郵がこのことを太守に報告したので、劉備たちに追っ手が差し向けられてしまいました。
とうとう「おたずね者」になっちゃった…。
これによって劉備たちは故郷に帰れなくなったのですが、代郡(安熹県周辺地図参照)の劉恢という人に匿ってもらえたので、難を逃れることができました。
良かった〜!
劉備が黄巾賊討伐の功によって安熹県の県尉に任命されたことは、『蜀書』先主伝にも記されていますが、注に引かれている『典略』では、督郵をムチ打ったのは張飛ではなく劉備とされています。
『三国志演義』では、劉備と張飛を入れ替えることによって、お互いの個性を際立たせていることが分かります。
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次回は黄巾の乱の後も続いた各地の反乱についてお話しします。