呂布りょふらが兗州えんしゅうで反乱を起こしたことにより、徐州じょしゅう侵攻を断念して引き返した曹操そうそうですが、兗州えんしゅうの奪還に手間取っていました。その頃徐州じょしゅうでは…。

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陶謙の病

陶謙の病

画像出典:ChinaStyle.jp


タカオタカオ

前回は、曹操そうそういなごの大量発生のせいで曹操そうそう呂布りょふが停戦したところまででしたよね。

マリコマリコ

結局、曹操そうそうさんは兗州えんしゅうを取り返せなかったんですね…。

王先生王先生

はい。今回は舞台が変わって徐州じょしゅうのお話しになります。

ご確認

この記事は三国志演義さんごくしえんぎに基づいてお話ししています。正史せいし三国志さんごくしにおける「陶謙とうけんの死」については、こちらをご覧ください。

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前回までのおさらい


王先生王先生

では少し、これまでの徐州じょしゅうの状況をおさらいしておきましょう。

曹操そうそう徐州じょしゅう侵攻

曹操そうそう兗州えんしゅうに地盤をきずくと、戦乱をけて徐州じょしゅうにいた曹操そうそうの父・曹嵩そうすうは、兗州えんしゅう曹操そうそうの元に向かうことにしました。

曹操そうそうよしみを結びたいと思っていた陶謙とうけんはこれを知ると、曹嵩そうすうまねいてもてなし、都尉とい張闓ちょうがいに命じて500の兵をひきいて兗州えんしゅうまで護衛させることにします。

ですが、曹嵩そうすうの財物に目がくらんだ張闓ちょうがい曹嵩そうすうとその家族を殺害し、財物を奪って逃亡してしまったため、激怒した曹操そうそうは3万の軍勢で徐州じょしゅうに侵攻を開始しまた。

曹操そうそうは怒りにまかせて徐州じょしゅうの民衆を虐殺しながら進軍します。

これに恐れをなした陶謙とうけんは、みずからの命を差し出して徐州じょしゅうの民を救おうとまで考えますが、糜竺びじくの進言を受け入れて、北海太守ほっかいたいしゅ孔融こうゆうに援軍を求めることにしました。

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【037】曹操の父・曹嵩の死と曹操の徐州侵攻

劉備りゅうびの援軍

ですが、孔融こうゆうが治める青州せいしゅう北海郡ほっかいぐん北海国ほっかいこく)の方でも黄巾残党の管亥かんがいに包囲され、徐州じょしゅうへの援軍どころではありませんでした。

この時、孔融こうゆうへの恩返しのために ただ1人救援に現れた太史慈たいしじは、管亥かんがいの包囲を突破して平原相へいげんしょう劉備りゅうびに援軍を求めたため、見事管亥かんがいを撃ち破ることができました。

その後、孔融こうゆう糜竺びじく劉備りゅうびを紹介し、劉備りゅうび徐州じょしゅうへの援軍に向かうことになります。

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曹操そうそう軍の撤退

援軍に現れた劉備りゅうびの人品、世の常ならず、言語もさわやかなのを見てとった陶謙とうけんは、劉備りゅうびゆずろうとしますが、劉備りゅうびはこの申し出を丁重に断りました。

劉備りゅうびはまず、曹操そうそう和睦わぼくを勧めて「もし曹操そうそうが従わなかったなら、その時合戦に及んでも遅くはない」と、曹操そうそうに使者を送ります。


ちょうどこの時、曹操そうそうの本拠地の兗州えんしゅうでは、張邈ちょうばく陳宮ちんきゅう呂布りょふを仲間に引き入れて反乱を起こしていました。

曹操そうそうは、劉備りゅうびからの和睦わぼくの要請を「これさいわい」と、和睦わぼくを受け入れて兗州えんしゅうに撤退します。


曹操そうそう軍が去ると陶謙とうけんは、再び劉備りゅうび徐州じょしゅうゆずろうとしますが、劉備りゅうびはまた承知しなかったため、陶謙とうけんは妥協して小沛しょうはい豫州よしゅう予州よしゅう)・沛国はいこく沛県はいけん]にとどまることを勧め、劉備りゅうびもこれを承知しました。

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【039】兗州の反乱に曹操は兵を退き、劉備が小沛に駐屯する



王先生王先生

ここまではよろしいですか?

タカオタカオ

うんうん、思い出したっ!

マリコマリコ

徐州じょしゅうを狙っていた曹操そうそうさんも兗州えんしゅうで苦戦しているし、徐州じょしゅうは平和になったってことかな。

タカオタカオ

それにしても陶謙とうけんは、2回も徐州じょしゅうゆずろうとしてたのか。

マリコマリコ

平和になったなら、劉備りゅうびさんにゆずる必要もなくなったのかな?

王先生王先生

ところが、そういうわけにもいかなくなりました。

陶謙の病


王先生王先生

では、今回のお話を始めましょう。


徐州太守じょしゅうたいしゅ陶謙とうけんは63歳の高齢で、ふとしたやまいがだんだん重くなり、糜竺びじく陳登ちんとうまねいて今後の徐州じょしゅうについて相談します。

糜竺びじくは言いました。


曹操そうそうの兵が引きげたのは、呂布りょふ兗州えんしゅうおそったからでございます。

今のところは不作のためにいくさをやめておりますが、来年の春にはまた攻め寄せて来るはずです。

我が君は2度も劉玄徳りゅうげんとく玄徳げんとく劉備りゅうびあざな)にくらいゆずろうとなされましたが、あの時はまだおすこやかでございましたゆえ、玄徳げんとくも受けようとはいたしませんでしたが、今はもはやご重病。

今お与えになれば、玄徳げんとくも辞退はいたしますまい」


糜竺びじくの言葉に喜んだ陶謙とうけんは、小沛しょうはいに使いを出して、「軍事の相談をしたい」と言って劉備りゅうびを呼び寄せました。



マリコマリコ

徐州じょしゅうはまだ、平和になったわけではなかったんですね。

タカオタカオ

そうだね。今回陶謙とうけんは病気で引退するから、その後継者としてゆずりたいってことか。

マリコマリコ

前はまだ陶謙とうけんさんが元気だったけど、病気で引退するなら劉備りゅうびさんも受けやすいかも。

王先生王先生

そうですねっ!


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劉備が徐州を預かる

劉備が徐州を預かる

画像出典:ChinaStyle.jp

陶謙の死


王先生王先生

陶謙とうけんまねかれた劉備りゅうびは、関羽かんう張飛ちょうひと共に、数十騎を引き連れて徐州じょしゅうにやって来ました。


陶謙とうけん劉備りゅうびを寝室にまねき入れると、劉備りゅうびの見舞いの挨拶あいさつが終わるのを待って、こう切り出します。


玄徳げんとく劉備りゅうびあざな)どのをおまねきしたのは他でもない。

愚老ぐろう陶謙とうけん)はすでにやまいが重く、明日も分からぬ状態じゃ。貴殿(劉備りゅうび)には、何卒なにとぞかんの城が人手に渡らぬよう、徐州じょしゅうの官印をお受け取りくだされ。

さすれば、愚老ぐろう陶謙とうけん)も安心して死ねると申すものです」


これに劉備りゅうびが、


「2人のご子息がおられますのに、何ゆえおゆずりになりませぬ?」


と問うと、陶謙とうけんは、


「長男のしょう、次男のおう、いずれも農夫でもするしか他のない不束者ふつつかもの

愚老ぐろう陶謙とうけん)の死にました後も、貴殿(劉備りゅうび)より何卒なにとぞご教訓あって、決して宮仕えはさせぬよう、お願いします。」


と願いましたが、劉備りゅうびはまた、


「私1人でこれほどの城々を預かることができますでしょうか?」


と言うので、


「それでは貴殿(劉備りゅうび)の補佐役となるべき者を推挙いたそう。

青州せいしゅう北海郡ほっかいぐん北海国ほっかいこく)の人・孫乾そんけんあざな公祐こうゆうと申す。この者を従事じゅうじになされよ」


と言い、糜竺びじくに向かって、


玄徳げんとく劉備りゅうびあざな)どのは当世の人物じゃ。お前もよくよくお仕えいたすが良い」


と言いました。

ここまで言われても劉備りゅうびはまだ辞退していましたが、その劉備りゅうびの目の前で、陶謙とうけんは亡くなってしまいました。



タカオタカオ

あ〜、死んじゃった…。

マリコマリコ

なんでそこまで断るの!?

王先生王先生

確かにちょっとかたくな過ぎますね。

劉備が徐州を預かる


王先生王先生

陶謙とうけんが亡くなると、役人たちは大声で号泣して主人へのかなしみをあらわしました。


それが済むとすぐに、役人たちはうやうやしく徐州じょしゅうの官印をささげて劉備りゅうびに渡そうとしますが、それでも劉備りゅうびはまた固く辞退します。


また次の日、徐州じょしゅうの民衆たちは、役所の前にむらがって泣きながら地にひれ伏して、


劉使君りゅうしくん劉備りゅうび)さま、もしこの郡をお引き受けなさらないのならば、私どもは安らかには暮らせません」


と訴えると、関羽かんう張飛ちょうひもくり返し引き受ける事を勧めました。

するとようやく劉備りゅうびは、仮に徐州じょしゅうを預かることを承諾し、孫乾そんけん糜竺びじくを補佐役とし、陳登ちんとうを参謀として、小沛しょうはいの人馬を残らず城内へ引き取り、高札を出して民衆を安堵あんどさせます。


そして劉備りゅうびは大将から兵士たちまで残らず喪服もふくを着けさせ、盛んな葬儀をいとなむと、黄河こうがの河原の墓地に埋葬し、陶謙とうけんが書きのこした表文ささげぶみを朝廷にたてまつりました。



マリコマリコ

陶謙とうけんさんが亡くなる前に引き受けて、安心させてあげて欲しかったな…。

タカオタカオ

辞退し過ぎて、つつみ深いを通り越してイライラしたわ。

マリコマリコ

確かに、気楽に引き受けられるものではないですけど。

王先生王先生

何にせよ劉備りゅうびは、1滴の血も流さずに徐州じょしゅうを手に入れてしまったわけです。


曹操そうそう軍が撤退し、平穏を取り戻したかに見えた徐州じょしゅうですが、63歳と高齢の徐州太守じょしゅうたいしゅ陶謙とうけんが重病となり、明日をも知れぬ状態となってしまいます。

陶謙とうけんは、病床に劉備りゅうびを呼んで、徐州じょしゅうを治めるよう最後の願いを伝えますが、それでも劉備りゅうびは承知しないまま、陶謙とうけんは亡くなってしまいました。

その後徐州じょしゅうの民衆たちに懇願された劉備りゅうびは、ついに仮に徐州じょしゅうを預かることを承諾したのでした。



王先生王先生

次回は、また舞台が変わって曹操そうそうのお話になります。

次回

 【043】曹操が豫州の黄巾賊を討ち、豪傑・許褚を配下に加える

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