青州(せいしゅう)の黄巾賊を吸収した曹操(そうそう)が兗州(えんしゅう)に地盤を築いた後のこと。徐州(じょしゅう)では後に悲劇を引き起こす大事件が起こってしまいます。

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曹嵩の死

曹嵩の死

画像出典:ChinaStyle.jp


マリコマリコ

前回は、曹操(そうそう)が兗州(えんしゅう)に侵攻した青州(せいしゅう)の黄巾賊を討伐したところまででしたよね。

タカオタカオ

うん。その後荀彧(じゅんいく)とか典韋てんい)とか、優秀な人材がたくさん集まったんだよね。

王先生王先生

そうですね。曹操(そうそう)は「青州兵(せいしゅうへい)」も手に入れました。

ご確認

この記事は『三国志演義(さんごくしえんぎ)』に基づいてお話ししています。正史(せいし)『三国志(さんごくし)』における曹操(そうそう)の徐州(じょしゅう)侵攻については、こちらをご覧ください。

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陶謙が曹嵩をもてなす


王先生王先生

では、今回のお話を始めましょう。


配下に謀臣・勇将がそろい、確固たる地盤を築いた曹操(そうそう)は、戦乱を避けて徐州(じょしゅう)・琅邪郡(ろうやぐん)(琅邪国(ろうやこく))に非難していた父・曹嵩(そうすう)を兗州(えんしゅう)に迎え入れることにし、泰山太守(たいざんたいしゅ)・応劭(おうしょう)を派遣します。

すると曹嵩(そうすう)は、直(ただ)ちに曹操(そうそう)の弟・曹徳(そうとく)をはじめ、一家40人余りに従者100人余りを従えて、車100両余りにロバ・ラバなど多くの馬をそろえ、兗州(えんしゅう)へと出発しました。


曹嵩(そうすう)が徐州(じょしゅう)(郯県(たんけん)?)を通った時のこと、温厚な徐州太守(じょしゅうたいしゅ)・陶謙(とうけん)は、曹操(そうそう)と誼(よしみ)を結びたいと思っていたので、曹嵩(そうすう)を州の境まで出迎えて、2日間 もてなします。

そして陶謙(とうけん)は、わざわざ城外まで見送りに出て、都尉(とい)・張闓(ちょうがい)に命じて500の兵を率(ひき)いて護衛させました。



タカオタカオ

すごい行列だな。

マリコマリコ

陶謙(とうけん)さん良い人ですね。

王先生王先生

ちなみに実際には徐州太守(じょしゅうたいしゅ)という官職はなく、陶謙(とうけん)は徐州牧(じょしゅうぼく)でした。

タカオタカオ

『三国志演義(さんごくしえんぎ)』は、地名とか官職とか適当なところがあるから、深く考えない方が良いね。

曹嵩が殺害される


王先生王先生

そして曹嵩(そうすう)の一行はついに兗州(えんしゅう)に入ります。


曹嵩(そうすう)の一行が華県(かけん)と費県(ひけん)の間に差し掛かった時、突然の大雨に降られた一行は、とある古寺に一夜の宿を借ります。

この時、外の廊下で寝ることになった張闓(ちょうがい)は、小頭(こがしら)(部下)を人気のない所に呼んで言いました。


「元々我らは黄巾の残党で しかたなく陶謙(とうけん)に従って来たが、これまで何一つ良いことはなかった。

今夜みんなで斬り込んで曹嵩(そうすう)の一家を皆殺しにし、財物を奪ってどこかで山賊にでもなろうと思うが、どうだ?」


この夜は風雨が激しく、曹嵩(そうすう)たちは寝つけずに起きていたのですが、突然四方から鬨(とき)の声があがりました。

何事かと剣を抜いて外に出た曹徳(そうとく)は本堂で突き殺され、曹徳(そうとく)の悲鳴を聞いた曹嵩(そうすう)は、妾(めかけ)と一緒に土塀を乗り越えて逃げようとします。

ですが、妾(めかけ)が太っていたために塀に上がることができず、結局2人して厠(かわや)(トイレ)に逃げ込み、そこで殺されてしまいました。


曹操(そうそう)が派遣した応劭(おうしょう)は、危うく命を助かって袁紹(えんしょう)の元に身を寄せ、張闓(ちょうがい)らは曹嵩(そうすう)の財物を奪うと寺に火をかけて、500人の手下と共に淮南(わいなん)に逃亡しました。



マリコマリコ

ひどい…。

タカオタカオ

陶謙(とうけん)は護衛につける人選を誤(あやま)ったな。

マリコマリコ

でも曹嵩(そうすう)さん、奥さんを置いて逃げなかったなんて素敵!

タカオタカオ

応劭(おうしょう)は何してたんだよ(笑)

王先生王先生

応劭(おうしょう)は、曹操(そうそう)に罪を問われるのを恐れて袁紹(えんしょう)の元に身を寄せたということですね。


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曹操の徐州侵攻

曹操の徐州侵攻

画像出典:ChinaStyle.jp

徐州侵攻


王先生王先生

生き残った応劭(おうしょう)の部下から、このことが曹操(そうそう)に伝えられます。


生き残った応劭(おうしょう)の部下から報告を受けた曹操(そうそう)は、声を上げて泣き崩れました。

そして、しばらくして助け起こされた曹操(そうそう)は、


「陶謙(とうけん)の奴めっ!

兵隊の取り締まりができていないから父上を死なせてしまったのだ。この仇(かたき)を取らぬうちは、共に天を戴(いただ)かぬっ!

大軍を起こして徐州(じょしゅう)の者どもを根絶やしにせねば、この恨(うら)みは晴れぬぞっ!」


と言い、荀彧(じゅんいく)と程昱(ていいく)を後に残して、3万の軍で徐州(じょしゅう)に向けて進軍を開始します。



マリコマリコ

ちょっと待ってっ!陶謙(とうけん)さんは悪くないよっ!

タカオタカオ

曹操(そうそう)は陶謙(とうけん)がしっかり兵を監督できなかったからだと言ってるよ。

マリコマリコ

まずは話し合わないとっ!悪いのは張闓(ちょうがい)さんなのに…。

王先生王先生

確かに曹操(そうそう)の怒りは、張闓(ちょうがい)に向けられるべきですね。

辺譲を殺害する


王先生王先生

では、お話を続けますね。


曹操(そうそう)は夏侯惇(かこうとん)・于禁(うきん)・典韋(てんい)を先手の大将に、


「占領した城という城はすべて、城内の民衆を残らず虐殺して父の仇(かたき)を雪(すす)ぐのだっ!」


と言って軍を進めました。


陶謙(とうけん)と交わりが深かった九江太守(きゅうこうたいしゅ)・辺譲(へんじょう)はこれを知り、自(みずか)ら五千の兵を率(ひき)いて応援に来ます。

これを聞いて大いに怒った曹操(そうそう)は、夏侯惇(かこうとん)に命じて辺譲(へんじょう)を待ち伏せし、殺害させました。



タカオタカオ

辺譲(へんじょう)、見せ場ないんかい(笑)

マリコマリコ

曹操(そうそう)さん、本当に民衆に手をかけるつもりなのかな?

王先生王先生

どうでしょうねぇ?

陳宮の諫言

この時陳宮(ちんきゅう)は兗州(えんしゅう)・東郡(とうぐん)の従事(じゅうじ)になっていましたが、やはり陶謙(とうけん)と交わりが深く、曹操(そうそう)が父の仇(かたき)と徐州(じょしゅう)の民衆を皆殺しにしようとしていることを知ると、すぐに駆けつけて曹操(そうそう)に面会を求めます。

陳宮(ちんきゅう)は言いました。


「閣下(かっか)は父君の仇(かたき)を討たんとして大軍をもって徐州(じょしゅう)に向かい、途中の民衆を皆殺しにしようとのお考えと聞き、進言に参りました。

陶謙(とうけん)こそは誠(まこと)に情深き君子で、利益に目が眩(くら)んで義を忘れる輩(やから)ではありません。父君が殺害されたのは まったく張闓(ちょうがい) 1人の仕業(しわざ)で、決して陶謙(とうけん)の罪ではないのです。

そればかりではなく、州県の民衆に何の仇(かたき)があるのでしょうか? 彼らを殺してはなりません。どうかよくお考えください」


ですがこれを聞いた曹操(そうそう)は、


「お主は昔、儂(わし)を見捨てたのではないか。今さらどの面(つら)さげてここへ来た?

陶謙(とうけん)は儂(わし)の一家を殺したのだ。胆(きも)と心臓をえぐり出して、恨(うら)みを晴らそうと誓いを立てた。

お主は陶謙(とうけん)の弁護に来たのであろうが、儂(わし)は何と言われても聞かぬぞっ!」


と取り付く島もありません。

仕方なく陳宮(ちんきゅう)は「陶謙(とうけん)に会わせる顔がない」と、陳留太守(ちんりゅうたいしゅ)・張邈(ちょうばく)の元に行ってしまいました。



マリコマリコ

陳宮(ちんきゅう)さんっ!…忘れてた(笑)

タカオタカオ

なんか陳宮(ちんきゅう)に言われても、逆に意地になるよな。

マリコマリコ

確かに…。過去にケンカ別れした人ですもんね。

王先生王先生

そうですねぇ。

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曹操が徐州の民を虐殺する

曹操が徐州の民を虐殺する

画像出典:ChinaStyle.jp

陶謙の出陣


王先生王先生

さて、曹操(そうそう)軍の来襲を知った陶謙(とうけん)は、配下を集めて対応を話し合います。


曹操(そうそう)軍が通ったあとは、山の木々までも切り払われ、人だけでなく、鶏や犬さえも殺されてしまいました。

その様子を聞いた陶謙(とうけん)は、


「天は、儂(わし)に何の罪があって徐州(じょしゅう)の民にこのような大難を与えなさるのか…」


と、天を仰(あお)いで大声で泣いていましたが、配下の曹豹(そうひょう)が進み出て、


「曹操(そうそう)の軍が寄せて来た上は、手をつかねて死を待つ法はありますまい。それがし、使君(しくん)(陶謙(とうけん))を助けて敵を破りたく存じます」


と言うので、陶謙(とうけん)は自(みずか)ら兵を率(ひき)いて出陣することにします。


遠くに見える曹操(そうそう)軍は、白装束に「報仇雪恨(ほうきゅうせっこん)(仇(かたき)を報(むく)い恨(うら)みを雪(すす)がん)」と書かれた白旗を立てていました。

両軍陣形を整え、曹操(そうそう)が陣頭に進み出ると、陶謙(とうけん)は身を屈(かが)めて あいさつ をし、


「私は貴殿に誼(よしみ)を結ぼうと思えばこそ、張闓(ちょうがい)を護衛につけたのです。それなのに、奴めがあなたのお父上を害そうとは…。誠(まこと)に私の本心ではございません。どうかご推察願いたい」


と弁解をします。

ですが曹操(そうそう)は聞く耳をもたず、


「老いぼれの畜生めっ!父上を殺しておきながら まだ戯言(たわごと)を申すかっ!誰かあるっ!あの老いぼれめを生け捕れっ!」


と命じました。

これに応じて夏侯惇(かこうとん)が馳(は)せ出ると、陶謙(とうけん)は慌(あわ)てて城内に逃げ込み、曹豹(そうひょう)がこれを迎え撃ちます。

ですが、突然強風が起こって両軍共に混乱したので、それぞれ引き揚(あ)げました。



タカオタカオ

夏侯惇(かこうとん)が相手じゃ、強風が吹かなきゃ曹豹(そうひょう)は死んでたな(笑)

マリコマリコ

曹操(そうそう)さん、本当に関係のない民衆まで殺しちゃったんだ…。

タカオタカオ

『三国志演義(さんごくしえんぎ)』では、曹操(そうそう)は悪役だからね〜っ!

王先生王先生

実はこのことは、正史(せいし)『三国志(さんごくし)』にも記述があるんですよ。

タカオタカオ

マジか…。

陶謙の覚悟


王先生王先生

城内に逃げ帰った陶謙(とうけん)は、また配下を集めて話し合います。


「曹操(そうそう)の大軍の勢いには、とても抗(こう)しがたい。

もはや儂(わし)は自分で縄目にかかって曹操(そうそう)の陣に行き、彼の思い通りに身を苛(さいな)ませ、その代わりに徐州(じょしゅう)の民の命を救う他はない」


陶謙(とうけん)がそう嘆(なげ)くと、1人の者が進み出て言いました。


「我が君は久しく徐州(じょしゅう)を治め、民は恩に感じていますので、いかに曹操(そうそう)の兵が多いと言っても 容易に城を落とすことはできませぬ。

不才ながら いささか計略を施(ほどこ)して、曹操(そうそう)が身を葬(ほうむ)る土地さえないようにいたしてみせましょう」



王先生王先生

「はたしてこの人物は誰でしょうか?」というところで、『三国志演義(さんごくしえんぎ)』の第10回が終わりますが、もう少しお話を続けますね。

マリコマリコ

はいっ!気になります。

タカオタカオ

徐州(じょしゅう)にそんな策士がいたかなぁ?

糜竺の計略


王先生王先生

陶謙(とうけん)に進言した人物は、徐州(じょしゅう)・東海郡(とうかいぐん)・朐県(くけん)の人、糜竺(びじく)でした。

タカオタカオ

糜竺(びじく)か…。

王先生王先生

ではここで少し、糜竺(びじく)についてご紹介しておきます。

糜竺(びじく)の特長と略歴

字(あざな)は小仲(しょうちゅう)。彼の家は、代々1万人余りの下男を使う富豪の家柄でした。

ある時、糜竺(びじく)が洛陽(らくよう)(雒陽(らくよう))に商売に出掛けて、車(馬車)で帰って来る途中、1人の美しい女性に「馬車に乗せて欲しい」と頼まれます。

すると糜竺(びじく)はその女性に座席を譲(ゆず)り、車から降りて自分は歩いて行こうとしました。

女性は一緒に乗るように頼み、糜竺(びじく)は女性の隣に座りましたが、じっと脇目(わきめ)も振らずに座っています。

数里行ったところで馬車を降りた女性は、別れ際に言いました。


「私は天の使いで、上帝(じょうてい)の仰(おお)せによってあなたの家を焼きに行くところです。あなたが礼儀正しく扱ってくださることに感心しましたので、このことをお知らせします」


糜竺(びじく)が女性の名前を尋(たず)ねると、女性は「私は南方火徳星君(なんぽうかとくせいくん)です」と答えたので、驚いた糜竺(びじく)はその場にひれ伏して祈ります。

南方火徳星君(なんぽうかとくせいくん)は、


「これは天命ゆえ焼かないわけにはいきません。私は今晩行きますから、早く帰って家財を運び出しなさい」


と言い残すと、その姿はすっと消え失せてしまいました。


はたしてその夜、糜竺(びじく)の家の台所から火が起こり、家は残らず焼けてしまいましたが、彼女の言葉に従って家中(いえじゅう)のものを運び出していたので、糜竺(びじく)は財産を守ることができたのでした。


糜竺(びじく)はこれ以降、財産を惜しまず施(ほどこ)して、貧しい人や悩める人を救済するようになりました。



マリコマリコ

糜竺(びじく)さん、良い人ですね。

タカオタカオ

代々金持ちだと紳士になるのかな?女好きは成金だけか?(笑)

王先生王先生

それは人によるでしょう(笑)

糜竺(びじく)の計略


王先生王先生

では、本題に入りますね。


糜竺(びじく)は言いました。


「私は青州(せいしゅう)・北海郡(ほっかいぐん)(北海国(ほっかいこく))に参り、孔融(こうゆう)に援軍を頼みましょう。そして他に誰か1人、青州(せいしゅう)の田楷(でんかい)の元へ遣(つか)いを出して下さい。

もしこの2つの軍がそろって来たら、曹操(そうそう)はきっと兵を退くに違いありません」


糜竺(びじく)の提案に同意した陶謙(とうけん)は、すぐに2通の書面をしたため、「誰か青州(せいしゅう)に援軍を求めに行く者はいないか」と問いかけると、(徐州(じょしゅう)・)広陵(こうりょう)の人・陳登(ちんとう)(字(あざな):元龍(げんりゅう))が名乗りを挙(あ)げます。

陶謙(とうけん)は喜んで、まず陳登(ちんとう)を青州(せいしゅう)に行かせた後で、糜竺(びじく)にも書面を持たせて北海郡(ほっかいぐん)(北海国(ほっかいこく))に行かせ、自分は人々を連れて城を守って、敵の攻撃に備えました。



タカオタカオ

なんだ、計略って言っても援軍要請か。大したことないな(笑)

マリコマリコ

なんだか急に新しい人が増えて、こんがらがりそう…。

タカオタカオ

う〜ん、陳登(ちんとう)は覚えておいた方が良いかもね。

王先生王先生

そうですね。
ちなみに曹操(そうそう)は無理に攻めようとせず、四方に砦を築いて徐州(じょしゅう)を孤立させる作戦を取りました。


温厚な徐州太守(じょしゅうたいしゅ)・陶謙(とうけん)は曹操(そうそう)と誼(よしみ)を結びたいと思い、兗州(えんしゅう)に向かう曹操(そうそう)の父・曹嵩(そうすう)を丁重にもてなしただけでなく、都尉(とい)・張闓(ちょうがい)を護衛つけて兗州(えんしゅう)まで送らせましたが、その張闓(ちょうがい)が曹嵩(そうすう)一家を殺害し、財物を奪って逃亡してしまいます。

激怒した曹操(そうそう)はこれを陶謙(とうけん)の責任とし、徐州(じょしゅう)に侵攻を開始。途中、罪のない民衆をも殺害しながら進軍を続けました。

そして城内に逃げ込んだ陶謙(とうけん)は、青州(せいしゅう)の孔融(こうゆう)と田楷(でんかい)に援軍を要請します。



王先生王先生

次回は、糜竺(びじく)が向かった北海郡(ほっかいぐん)(北海国(ほっかいこく))で事件が起こります。

次回

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