『三国志演義』で鮑忠、祖茂、兪渉、潘鳳を次々に討ち取った猛将・華雄は、実際はどんな人物だったのでしょうか。
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正史『三国志』での華雄
『三国志演義』を読んだことがある人にとって華雄とは、鮑忠、祖茂、兪渉、潘鳳と、十八路諸侯の将軍を次々に討ち取った董卓配下の猛将として記憶されていることでしょう。
ですが、華雄ほど正史『三国志』と『三国志演義』でギャップのある人物も珍しいのではないでしょうか。
まずは、正史『三国志』での華雄の記述を確認してみましょう。
華雄に関する記述
実は正史『三国志』には『華雄伝』のような列伝は立てられておらず、『呉書』孫堅伝に、
孫堅はふたたび兵をまとめ、陽人で戦いを交えて大いに董卓の軍を破り、董卓の都尉をつとめる華雄らの首を斬って獄門(さらし首)にかけた。
とあるだけです。
そうなんです!
華雄を討ち取ったのは、関羽ではなく孫堅の軍だったのです!
この戦いの様子は、『呉書』孫堅伝の注に引かれている『英雄記』に詳しく記載されています。
陽人の戦い
反董卓連合の1人・孫堅が司隷・河南尹・梁県に侵出すると、董卓は徐栄を派遣して大軍で梁県を包囲させました。
これは敵わないと見た孫堅は、なんとか包囲を突破して梁県の陽人聚に向かいます。
すると董卓は、今度は胡軫を大督護に、呂布を騎督に、華雄を都尉に任命して、陽人聚の孫堅を攻撃させました。
陽人の戦い
この時胡軫のことを嫌っていた呂布は、胡軫に手柄を立てさせまいと嘘の情報を進言し、胡軫軍を混乱に陥れます。
胡軫軍が混乱しているのを見た孫堅は、陽人聚から撃って出て胡軫軍を撃ち破り、華雄を討ち取りました。
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『三国志演義』での華雄
汜水関で孫堅を破る
霊帝崩御の混乱につけ込んで権力を握った董卓を打倒するため、袁紹を盟主として各地の諸侯が起ち上がり、董卓に宣戦布告します。
そして、先鋒となった孫堅が汜水関に攻め寄せると、董卓は汜水関を誰に守らせるか話し合いました。ここで名乗りを上げたのが、華雄です。
董卓は華雄に、李粛、胡軫、趙岑の3人の副将をつけて出陣させました。
そして華雄は、抜け駆けをして攻めてきた鮑忠を斬り都督に昇進。その後、孫堅配下の程普に副将・胡軫を討ち取られますが、袁術の謀略によって兵糧不足に陥った孫堅軍を蹴散らして、祖茂を討ち取りました。
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兪渉、潘鳳を斬る
孫堅軍を撃ち破った華雄は、勝利の勢いに乗って十八路諸侯の陣まで攻め寄せ、先の戦いで手に入れた孫堅の頭巾をかざして挑発します。
そして、これに応じた兪渉、潘鳳を数合で討ち取る勇猛さを見せた華雄は、3人目の挑戦者として現れた関羽にあっけなく討ち取られてしまいました。
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『三国志演義』で大出世した華雄
大出世した華雄
徐栄の手柄を横取り
正史『三国志』では、梁県に侵出した孫堅を敗走させたのは徐栄の功績です。
『三国志演義』では、このエピソードを元に舞台を汜水関に変え、華雄が孫堅を敗走させたことにしています。
副将から大将に
正史『三国志』では、陽人聚に移った孫堅を攻撃する大将は胡軫であり、華雄は副将の1人でしかありません。
『三国志演義』での華雄は孫堅を攻撃する大将になり、副将に降格した胡軫は程普にあっけなく討ち取られてしまいました。
不敗の猛将に
『三国志演義』での華雄は、汜水関に攻め寄せた鮑忠、孫堅の囮となった祖茂を一刀のもとに斬り倒し、十八路諸侯の陣を攻撃した際には、兪渉、潘鳳の2将を瞬く間に討ち取りました。
正史『三国志』では祖茂は逃げのびており、兪渉、潘鳳は正史『三国志』には登場しない架空の人物です。
『三国志演義』の編者・羅貫中は、架空の人物を出してまで、華雄の勇猛さを強調したのです。
そして関羽の餌食に…
兪渉、潘鳳の2将を討ち取られた十八路諸侯の中には、もはや華雄に挑もうとする将軍はいませんでした。
そこで名乗りを上げたのが、劉備の義弟・関羽です。
曹操は関羽の出陣前に燗をつけた温かい酒を勧めました。
関羽は「戻ってからいただくとしましょう」と言うと、みごと華雄を討ち取って戻ってきます。この時、曹操が勧めた酒はまだ、温かいままでした。
これまで誰も敵わなかった華雄をいとも簡単に討ち取ったことで、関羽の武勇がわたしたちの心に強烈に印象づけられることになったのです。
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なぜ華雄なのか?
では、羅貫中はなぜ、胡軫の副将の1人にすぎない華雄をわざわざ大将に昇格させてまで、関羽のライバルに選んだのか。その理由は華雄の名前にあると思います。
「華雄」という名前からは、華々しく雄壮な印象を受けますよね。羅貫中も、どうせ豪傑に仕立て上げるならば、胡軫よりも華雄の方が相応しいと思ったのではないでしょうか。
実は、正史『三国志』には、劉備・関羽・張飛の3人が反董卓連合で活躍したことは記述されていません。
『三国志演義』の編者・羅貫中は、3人を反董卓連合に加わらせることで、彼らに活躍の場を与えました。そして、3人に立ちはだかる敵は、強ければ強いほどその武勇が際立ちます。
つまり華雄は、関羽の武勇を強調するためだけに、万夫不当の豪傑に生まれ変わったのでした。