少帝を廃位して陳留王を天子に即位させようとした董卓に反対した袁紹の運命は…。
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目次
董卓、袁紹を許す
前回は、酒宴の席で「少帝を廃位して陳留王を即位させる」と言い出した董卓に、袁紹が反対したところまででしたっけ?
確か、2人とも剣を抜いて一触即発の状態で終わったんですよね。
そうですね!
今回から、『三国志演義』の第4回のお話しに入ります。
ご確認
この記事は『三国志演義』に基づいてお話ししています。正史『三国志』における献帝の即位と洛陽での董卓の行いについては、こちらをご覧ください。
暴君になったのは○○のせい!?朝廷で権力を握った董卓の思惑とは
袁紹、洛陽から逃亡する
剣を抜いて睨み合う董卓と袁紹。今にも剣を交えようとした時、董卓の配下の李儒が止めに入ります。
すると、袁紹は百官に別れを告げて退出し、洛陽の東門に司隷校尉の節をかけると、冀州を目指して逃亡してしまいました。
袁紹はこの時に冀州に行ったのか。でも節って何ですか?
節とは、8尺(約193.6cm)の竹の柄に、旄牛(ヤク)の尾を3ヶ所に取り付けたもので、司隷校尉の証として与えられたものです。
なるほど。袁紹は官職を捨てて冀州に逃げたってことだね。
その通りですね。
その後、董卓が太傅の袁隗に「お前の甥は無礼な奴だが、お前の顔を立てて許してやった。廃立のことはどう思うか?」と尋ねると、袁隗はしぶしぶ董卓に賛同する意志を示します。
そして、董卓が「異議をとなえる者は、軍律を持って処分するっ!」と恫喝すると、百官は恐れおののいて、全員董卓に従いました。
少帝くんには何の落ち度もないのに…。
袁紹を勃海太守に任命する
酒宴が終わると董卓は、侍中の周毖と校尉の伍瓊に「袁紹はこれからどうするだろう?」と尋ねました。
「もし袁紹を捕らえようとすれば、やむを得ず反乱を起こすでしょう。そうなれば、名門の袁紹の下に豪傑が集まって手に負えなくなります。ここは見逃して、ひとまず1郡の太守にでも任命しておけば、袁紹も喜んで反乱など起こさないでしょう」
2人がこう答えると、董卓はこの進言を採用して、袁紹を勃海太守に任命しました。
袁紹って、そんなに人望があったのか…。
董卓さんって、怒ると手がつけられない人かと思ってたけど、結構冷静なんですね。
そうですね。ですがまだ、董卓の支配体制も盤石という訳ではありませんから、なるべく穏便に済ませたかったのだと思いますよ。
なるほどっ!
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少帝の廃位と献帝の即位
少帝の廃位
189年9月1日、董卓は朝議の場で少帝を廃位することを宣言すると、李儒に少帝を弾劾する文章を読み上げさせました。
李儒が弾劾文を読み終わると、董卓は少帝から玉璽を外して殿上から引き下ろし、臣下の礼を取らせます。
少帝も何太后も泣き叫び、これを見た群臣は皆悲しみに打ちひしがれました。
すると、その中でただ1人尚書の丁管が立ち上がり「賊臣董卓めっ!」と叫んで、象牙の錫杖を手に董卓に打ちかかります。そして、たちまち取り押さえられた丁管は、いよいよ処刑される間際にも顔色を変えず、董卓を罵倒し続けました。
2人ともかわいそう…。
でも、何太后も董太后を失脚させてるからねぇ。丁管が董卓に一矢報いたのが救いだね。
そうですね。かわいそうですが、確かにタカオくんの言うことも一理ありますね。
献帝の即位
その後、董卓は陳留王に殿上に昇ることを乞い、ここに献帝が即位しました。わずか9歳でした。
もともと霊帝は陳留王に跡を継がせたかったんだから、これで良かったのかもね。
それはそうかもしれないけど…。この後何太后さんと少帝さんはどうなったんですか?
少帝は臣下として弘農王に封じられ、何太后と少帝の妃・唐氏と一緒に永安宮に幽閉されてしまいました。
少帝って子供だと思ってたけど、もう妃がいたんか(笑)
そこっ!?でも殺されなかっただけマシかぁ。
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董卓の暴虐非道な行い
相国となる
献帝を擁立した董卓は、今度は自分が相国の位に就き、剣履上殿・入朝不趨・謁讚不名の待遇を得ました。
相国って初めて聞くけど、どんな官職なんですか?
相国は、天子を補佐して国政全般を取り仕切る官職で、前漢建国の功臣・䔥何と曹参以来任命されたことのない恐れ多い官職でした。
やりたい放題だな董卓。
剣履上殿・入朝不趨・謁讚不名の特権と言えば、外戚の梁冀さんも得た特権ですね。
そうです。よく覚えていましたねっ!
剣履上殿・入朝不趨・謁讚不名だけでも特別なことですが、董卓はさらに相国の位に就いたんです。
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蔡邕を脅す
また、董卓は人望を集めるために名士を採用しようと思い、まずは高名な蔡邕を召し出しました。
蔡邕さんって、だいぶ前に霊帝さんに諫言して追放された人ですよね。
そうですね。ですが蔡邕は悪名高い董卓に仕えることを拒否したので、董卓は「一族皆殺しにするぞ!」と脅して無理矢理出仕させると、一月のうちに3回も昇進させ、侍中に取り立ててたいそう信任しました。
蔡邕もいい迷惑だな。悪い奴ほどインテリに憧れてたりするんだよな。
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【004】十常侍に操られた霊帝の銅臭政治 【004】十常侍に操られた霊帝の銅臭政治
少帝と何太后を殺害する
そして、とうとう永安宮に幽閉されている少帝と何太后の身にも危険が迫ります。
ある日、何太后、唐氏と共に永安宮に幽閉されていた少帝は、庭に飛ぶ燕を見て、自分の現状をなげき悲しむ詩を詠みました。
嫩草は緑にして煙を凝らし、裊々たる双び飛ぶ燕あり
洛水ひとすじ青く、陌上の人うらやみいえり
とおく碧雲の深きところをのぞめば、これわが旧の宮殿なり
何人か忠義をたてて、わが心中のうらみをもらさんや
引用元:『完訳三国志』小川環樹・金田純一郎 訳 / 岩波文庫
このことを知った董卓は、「これで殺す名目ができた」と、李儒を永安宮に向かわせて、少帝、何太后、唐氏の3人を殺害してしまいました。
ひどい…。
まあこれは当然だね、敗者を生かしておいて、後で逆襲されて殺された例はたくさんあるからね。
そうですね。少帝は処刑するほどの罪を犯した訳ではありませんから、董卓にしても殺す理由を探していたんですね。
村人を虐殺する
さて、少帝を殺害した董卓の行いは、ますますエスカレートしていきます。
董卓は毎日のように宮中に入って女官たちを犯し、天子の寝床で眠るようになりました。
またある時、董卓が軍隊を率いて豫州・潁川郡・陽城県に向かった時、村人が集まって祭りをしていました。
これを見た董卓は村人たちを包囲して惨殺すると、婦女や財物を馬車に乗せ、馬車には村人の首をぶら下げて「賊と戦って大勝利を得た!」と言いふらし、婦女と財物を兵士たちに分け与えました。
これはひどいっ!人殺しを楽しんでるみたい…。
本当だよ…。董卓の暴虐非道ぶりは梁冀を超えたね!
もう誰にも董卓を止めることはできないのかなぁ。
そうですねぇ。越騎校尉の伍孚はという人が、董卓を殺そうと短刀で突き殺そうとしたのですが、とっさに董卓に押さえ込まれて失敗に終わってしまいました。
呂布もいるし、董卓本人も強いからなぁ。
天子の廃立を巡って董卓と対立した袁紹は、洛陽から逃亡して結果的に冀州・勃海郡の太守となりました。
そして、少帝を廃位して献帝を擁立した董卓の行いは暴虐を極め、朝廷の人々の不満が高まっていきました。
次回は董卓の行いに耐えかねた人々が、遂に董卓を倒すために暗躍を始めます。