後漢・三国時代の異民族の内、西羌に分類される蛮夷の基本情報と、各時代の個別記事へのリンクページです。
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西羌
西羌の領域
西羌(後漢時代)
※上記は基本の領域です。西羌は中国の王政が行われると服従し、徳教が失われると中国の領内に侵攻して荒らしました。
西羌の紀元
西羌の紀源は三苗*1に始まり、姜姓の別種とされています。
その国は南岳(衡山)に近く、舜が四凶*2を流刑にするに及び、四凶*2を三危*3に移住させました。
三危*3とは、河関(涼州・金城郡・河関県)の西南にある羌の地のことで、賜支*4に沿って河首*5に至り、その地域は千里(約430km)に連なっており、南は益州・蜀郡と漢中郡の国境外(徼外)の蛮夷に接し、西北は鄯善*6・車師*7の諸国に接しています。
脚注
*1太古、現在の湖南省・岳陽、湖北省・武漢、江西省・九江一帯に居住していた異民族の名前。
*2舜が追放した渾敦・窮奇・檮杌・饕餮の4族の総称。『春秋左氏伝』文公18年に「舜が堯に仕えると、四方の門を開いて四凶族を流罪に処し、渾敦・窮奇・檮杌・饕餮を四方の辺境に追放して螭魅(妖怪)を防がせた」とある。
*3現在の甘粛省・敦煌の南東にある山の名前。その山に3つの嶺があることから、三危と言う。
*4青海省東部の黄河が湾曲している地域。
*5黄河の上流地域。
*6東トルキスタンのロプノール湖(羅布泊)の南西にあった西域の国。ミーラン。西域南道の諸国に対する前漢の兵站基地になると共に東西貿易で繁栄し、タリム盆地の5大国の1つに数えられた。
*7天山山脈東部にあった西域の国。
統治・風土・風俗
統治
統治
- 君臣の別を立てて集団を統一することがなく、強ければ種族を分割して酋豪(首領)となり、弱ければ他人に従属し、互いに略奪や暴力を行い、力のあるものを英雄とします。
- 人を殺せば死をもって償いますが、その他に禁令はありません。
軍事
- その兵は山岳戦を得意としていますが、平地での戦いは苦手です。
- 持久戦はできませんが、白兵戦(觸突)においては勇敢に戦います。
- 戦死を吉と考え、病死を不祥(不吉)と考えています。
- 禽獣(鳥獣)のように寒苦によく耐えます。
- 気性は堅剛勇猛であり、西方の「金行の気」を得ています。*8
脚注
*8『黄帝素問』に「西方は金気の盛んな地域であり、沙石の場所である。その地域の人々は山に居住して風が多く、風土は剛強である」とある。
風土
- 西羌が居住する地域には五穀が少なく、牧畜を生業としています。
風俗
- 西羌の諸民族は定住せず、水や草のある場所に移動しながら生活しています。
- 氏族として定まったものがなく、父の名や母の姓を種族の号としています。
- 12世の後、互いに結婚し*9、父が亡くなれば息子はその後母を娶り、兄が亡くなれば弟は寡婦(未亡人)となった嫂を娶るため、その国に寡夫と寡婦がおらず、種族が繁栄する一因となっています。
- 婦人は子を産んでも風雪を避けません。*10
脚注
*9原文:「十二世後,相與婚姻」意味は分かりません。12世代後には同族同士で結婚するということか。
*10原文:「雖婦人產子,亦不避風雪」。子を産む時に風雪を避けない。外で出産するということか。
西羌の種族
西羌は秦の厲公*11の時代の爰剣(無弋爰剣)以降、その子孫は枝分かれしておよそ150種族となりました。
- その内の9種族は賜支*4に沿って河首*5に至る地域以西に居住し、また蜀・漢の北の塞外(国境外)に居住しましたが、前史にその人口は記されていません。ただ(9種族の内の)参狼羌(武都羌)は涼州・武都郡に居住し、数千人の精兵を擁していました。
- その52種族は弱小で自立できずに分散して部落を作り、ある者は絶滅して後裔がなく、ある者は遠方に去りました。
- その89種族は、唯一、鐘羌のみが最も強く、10余万人の精兵を擁していました。
- その他の大きな種族は1万人余り、小さい種族は数千人で、互いに奪い盗み合い、常に盛衰を繰り返し、後漢の順帝の時代[在位:延光4年(125年)〜建康元年(144年)]には、合わせて20万人ほどの精兵を擁していました。
- 発羌と唐旄ははるか遠くに居住しているため、これまで往来したことはありません。
- 氂牛(越巂羌)と白馬羌(広漢羌)は蜀・漢に居住しているが、その種族の名号は記録により知ることはできません。
- 後漢の建武13年(37年)、益州・広漢郡の塞外(国境外)にいた白馬羌(広漢羌)の大豪・楼登らが種人5千余戸を率いて内属し、光武帝は楼登を帰義君長に封じました。
- 後漢・和帝の永元6年(94年)に至ると、益州・蜀郡の徼外(国境外)に居住する大牂夷種の羌族の大豪・造頭らが種人50余万口を率いて内属し、造頭を邑君長に任命して印綬を下賜しました。
- 後漢・安帝の永初元年(107年)に至ると、益州・蜀郡の徼外(国境外)に居住する羌族の龍橋ら6種族、17,280口が内属しました。
- 翌年の永初2年(108年)、益州・蜀郡の徼外(国境外)に居住する羌族の薄申ら8種族、36,900口がまた、土地を挙げて内属しました。
冬、益州・広漢郡の塞外(国境外)にいた参狼種(武都羌)の羌族、2,400口が再びやって来て内属しました。
- 後漢・桓帝の建和2年(148年)、白馬羌(広漢羌)千余人が益州・広漢属国を荒して長吏を殺害しましたが、益州刺史が板楯蛮を率いてこれを討伐し、撃ち破りました。
脚注
*4青海省東部の黄河が湾曲している地域。
*5黄河の上流地域。
*11原文:羌無弋爰剣者,秦厲公時為秦所拘執,以為奴隷。秦の厲共公(在位:紀元前476年〜紀元前443年)か。
主な種族と大豪
西羌の嫡家系図
嫡家
爰剣
- 爰剣(無弋爰剣)【嫡家】
- 爰剣(無弋爰剣)
- 爰剣(無弋爰剣)の曾孫・忍
- 忍の子の研
- 忍の末の叔父(季父)・卯の子孫
- 氂牛(越巂羌)
- 白馬羌(広漢羌):楼登
- 種人:渠帥・飢指累祖
- 参狼羌(武都羌)
- 忍の子・9種族
- 忍の弟・舞の子・17種族
研種
- 留何
- 研の13世の孫・焼当
焼当種
- 焼当の玄孫(孫の孫)・滇良
- 滇良の子の滇吾
- 滇吾の子・東吾
- 東吾の子・東号
- 東号の子・麻奴
- 麻奴の弟・犀苦
- 種人:那離
その他の種族
以下、『後漢書』西羌伝に登場順に記載。
- 参狼羌(武都羌)
- 鐘羌:良封、且昌(大豪であるかは不明)
- 発羌
- 唐旄
- 大牂夷種:造頭
- 先零羌(先零種)
- 先零羌の别種:滇零、零昌(摂政:狼莫)
- 牢羌(零昌の别部)
- 彡姐羌
- 卑湳羌(卑湳種)
- 勒姐種:東岸(勒姐種・当煎種の大豪・東岸とある)
- 吾良種
- 封養種:布橋
- 焼何種
- 当煎種:飢五、盧怱、忍良
- 当闐種:榆鬼(大豪であるかは不明)
- 累姐種
- 牢姐羌(牢姐種)
- 鐘存種
- 效功種:号封(大豪であるかは不明)
- 全無種:雕何(大豪であるかは不明)
- 隴西種:号良
- 沈氐種
- 虔人種
- 且凍種
- 傅難種
- 鞏唐種
- 罕種
- 離湳種
- 狐奴種
- 鳥吾種
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