『三国志』を読んでいて厄介なモノの一つに官職がありますよね。
特に序盤は「○○は戦功を立てて□□になった」と言われても、それがどんな仕事をする官職なのか、どれだけ出世したのかイマイチよく分かりません。
そこで、後漢の地方官の官職の仕事内容と上下関係をまとめてみました。

スポンサーリンク

後漢末期の地方官

後漢は、支配地に点在する都市を県とし、いくつかの県をまとめた地域を郡とし、さらにいくつかの郡をまとめたものを州として行政区画を定めていました。

今回は、最小単位の「県」の官職から順に確認してみます。

「県」は朝廷によって定められた行政区分の最小単位です。

一口に「県」と言っても、


  • 列侯れっこうに与えられた領地の場合は「国」
  • 皇帝の女子(公主)に与えられた領地の場合は「邑」
  • 領内に異民族も居住している場合は「

と呼ばれていました。

県令けんれい

秩石ちっせき:千石(月80こく、年960こく


10,000戸以上の県の長官で、県の行政全般を管轄する官職になります。

現在の日本に例えると市長にあたります。

県長けんちょう

秩石ちっせき:三百石〜四百石(月40こく、年480こく〜月50こく、年600こく


10,000戸以下の県の長官。職務は県令けんれいと同じですが、戸数の違いから県長けんちょうの方が格下になります。

現在の日本に例えると町長にあたります。

侯国相こうこくしょう

秩石ちっせき:千石(月80こく、年960こく


侯の爵位を持つ者に与えられた領地を代理で統治する官職。職務は県令けんれいと同じです。

通常は単に「しょう」と呼ばれます。

県丞けんじょう

秩石ちっせき:二百石〜三百石(月30こく、年360こく)首都・洛陽らくようじょうは四百石(月50こく、年600こく


県令けんれい県長けんちょう侯国相こうこくしょうの副官。

県尉けんい

秩石ちっせき:四百石(月50こく、年600こく


県または侯国こうこく内の軍事・警察任務を行う官職。現在の日本に例えると警察署長にあたります。

その他の官職

県は100戸を「里」として長官には里魁りかい里正りせい)が置かれ、10里を「郷」として、県の中心的な郷は「都郷」と呼ばれていました。

郷の長官には有秩ゆうちつまたは嗇夫しょくふ、盗賊の取り締まりをする游徼ゆうきょう、税を徴収する郷佐ごうさいう官が置かれ、三老さんろうと呼ばれる郷の有力者が優秀な人材を県に推挙していました。

また、県の中にはいくつかの「亭」が置かれ、現在の派出所のような役割をしていました。漢の高祖・劉邦りゅうほうは、もともと亭の責任者である亭長ていちょうであったと言われています。

「郡」はいくつかの「県」が集まって構成される行政単位です。

諸侯しょこう(王・公の爵位を与えられた者)に与えられた領地の場合は「国」と呼ばれます。

太守たいしゅ

秩石ちっせき:二千石(月120こく、年1,440こく


郡の行政全般を管轄する官職で、のちに軍権も兼ねるようになります。

現在の日本に例えると県知事にあたります。

首都・洛陽らくようがある河南尹かなんいん太守たいしゅの場合は河南尹かなんいんと呼ばれ、秩石ちっせきは中二千石(月180こく、年2,160こく)になります。現在の日本に例えると都知事にあたります。

また、元首都・長安ちょうあんがある京兆尹けいちょういん太守たいしゅの場合は京兆尹けいちょういんと呼ばれます。

郡都尉ぐんとい

秩石ちっせき:比二千石(月100こく、年1,200こく


郡の兵を率いる指揮官になります。前漢の時代には、太守たいしゅとは独立して役所が置かれていました。

後漢になってからは辺境を除いて太守たいしゅが職務を兼任するようになりましたが、必要に応じて臨時に設置されることがあります。

諸侯相しょこうしょう

秩石ちっせき:真二千石(月150こく、年1,800こく


諸侯しょこうの爵位を持つ者に与えられた領地を代理で統治する官職で、職務は太守たいしゅと同じです。

王の領地の場合は王国相、公の領地の場合は公国相となりますが、通常は単に「しょう」と呼ばれます。

州刺史しゅうしし

秩石ちっせき:六百石(月70こく、年840こく


朝廷から派遣された太守たいしゅの監察官で、毎年8月に州内の各郡をまわって囚人の管理や官吏の考査をつけて年はじめに朝廷に報告を行う官職になります。

のちに州内に治所をもつようになり、次第に行政官化していきました。

基本的に軍権は持ちませんが、将軍号を与えられて兵を指揮している例もみられます。

また、州刺史しゅうししの巡察に随行する別駕べつが別駕従事史べつがじゅうじし)という官職もあります。

州牧しゅうぼく

秩石ちっせき:真二千石(月150こく、年1,800こく


州刺史しゅうししの業務である太守たいしゅの監察に加え、州の軍事・行政を管轄する官職で、黄巾の乱以降、反乱が頻発したために設置されました。

州刺史しゅうしし州牧しゅうぼくはどちらも州の長官としての性格を持つようになりますが、州牧しゅうぼくに任命されると同時に将軍号と列侯れっこうの爵位も与えられるため、州刺史しゅうしし州牧しゅうぼくの間には大きな差がありました。

司隷校尉しれいこうい

秩石ちっせき:比二千石(月100こく、年1,200こく


首都・洛陽らくようがある司隷しれいの監察官にあたり、州刺史しゅうししの職務に加え、皇帝の親族を含む朝廷の大臣の監察も行います。

州牧しゅうぼくの設置にともなって、司隷校尉しれいこういも軍事・行政を担当する中央地区長官へと職権が拡大されました。


州牧しゅうぼくが設置されるまで最大の行政単位は「郡」であり、州は刺史ししの監察範囲の区分けでしかありませんでした。

軍事・行政権を持った州牧しゅうぼくの設置には、州内の各郡をまとめることによって、地方の反乱を効率的に鎮圧、または抑止する目的がありました。

ですが地方の軍権の拡大は、地方豪族の軍閥化の一因となってしまいました。


スポンサーリンク


各地方官の関係

司隷校尉しれいこういを例に主な地方官の関係を図にすると、下図のようになります。


地方官


上図では、盗賊を取り締まる亭長ていちょう里魁りかい里正りせい)の管理下に置いていますが、県の中で警察権を持つ県尉けんい游徼ゆうきょう亭長ていちょうが、現在の県警察本部、警察署、派出所のような関係にあったかもしれません。

関連記事

後漢・三国時代の地方官の支配構造


スポンサーリンク


各地方官の上下関係

地方官の関係が分かったところで、秩石ちっせきをもとに各地方官の上下関係をみてみましょう。

ただし、官職の秩石ちっせきだけで人物同士の上下関係が決定するわけではありません。あくまでも参考程度にご覧ください。


秩石ちっせき 官職
中二千石 河南尹かなんいん
真二千石 州牧しゅうぼく諸侯相しょこうしょう
二千石 太守たいしゅ
比二千石 司隷校尉しれいこうい郡都尉ぐんとい
千石 県令けんれい侯国相こうこくしょう
六百石 州刺史しゅうしし
四百石 県尉けんい洛陽県丞らくようけんじょう
三百石〜四百石 県長けんちょう
二百石〜三百石 県丞けんじょう
百石 別駕従事史べつがじゅうじし

基本的に首都・洛陽らくように関わる官職は、他州の同じ官職よりも秩石ちっせきは上のランクになります。

また、司隷校尉しれいこういの比二千石は、州刺史しゅうししと同等の職務をになっていた時のものになります。州牧しゅうぼく設置後に職権が拡大された後の秩石ちっせきは確認できていませんが、河南尹かなんいんと同じ中二千石か、それ以上になっていてもおかしくありません。

史料で確認でき次第追記したいと思います。