201年【漢:建安6年】に起こった主な出来事をまとめ、それをもとに群雄勢力図を作成しました。人員配置は前年から変更が記されていない官職と、新たに確認できた官職のみ記載しています。
スポンサーリンク
201年の主な人員配置
後宮
天子・皇后 |
人物 |
天子(皇帝) |
劉協(献帝) |
皇太后 |
ー |
皇后 |
伏皇后(伏寿) |
朝廷
官職 |
人物 |
大司馬 |
ー |
太尉 |
ー |
司徒 |
趙温 |
司空 |
曹操 |
執金吾 |
伏完 |
将作大匠 |
孔融 |
大将軍 |
袁紹 |
前将軍 |
馬騰 |
左将軍 |
劉備 |
輔国将軍 |
伏完 |
安降将軍 |
韓遂 |
建徳将軍 |
曹操 |
伏波将軍 |
陳登 |
地方官
官職 |
人物 |
司隸校尉 |
鍾繇 |
冀州牧 |
袁紹 |
豫州牧 |
劉備 |
兗州牧 |
曹操 |
荊州牧 |
劉表 |
益州牧 |
劉璋 |
青州刺史 |
袁譚 |
揚州刺史 |
劉馥 |
遼東太守 |
公孫度 |
河内太守 |
魏种 |
河東太守 |
王邑 |
広陵太守 |
陳登 |
丹楊太守 |
呉景 |
会稽太守 |
孫権 |
スポンサーリンク
201年の主な出来事
月 |
出来事 |
2月 |
|
4月 |
- 曹操が倉亭津で袁紹の駐屯軍を撃ち破る。
- 袁紹が「官渡の戦い」後に背いた諸郡県を平定する。
- 荀彧の進言により曹操が劉表討伐を断念する。
- 曹操が再び黄河の畔に陣を取る。
|
9月 |
- 曹操が許都[豫州(予州)・潁川郡・許県]に帰還する。
- 曹操が汝南郡の劉備征討に出陣する。
- 劉備が荊州の劉表を頼る。
- 劉表が劉備を荊州・南陽郡・新野県に駐屯させる。
|
不明 |
■中央
- 曹操が張遼に豫州(予州)・魯国の諸県を平定させる。
- 曹操が夏侯淵と張遼に徐州・東海郡の独立勢力・昌豨を攻撃させる。
- 張遼が昌豨を帰順させる。
- 昌豨が曹操の元に出頭する。
■益州方面
- 益州の大官・趙韙が成都を包囲する。
- 劉璋が反逆者を撃破し、逆に江州にいる趙韙を攻撃する。
- 趙韙配下の龐楽と李異らが趙韙を斬殺する。
- 巴西太守・龐羲が讒言を受け、劉璋が龐羲を疑う。
- 龐羲が反逆を企てるが、程畿の取り込みに失敗する。
- 龐羲が劉璋に陳謝し許される。
|
スポンサーリンク
201年の三国志群雄勢力図
1月
建安6年(201年)1月の三国志群雄勢力図
袁紹が冀州を回復する
4月、曹操は黄河の畔に兵を上陸させ、倉亭津において袁紹の駐屯軍を攻撃して撃ち破りましたが、袁紹の方でも官渡の敗戦後に背いた冀州の諸郡県を攻撃して平定しました。
劉備が荊州の劉表を頼る
9月、許都[豫州(予州)・潁川郡・許県]に帰還した曹操は、劉備の征討に南方(汝南郡)に向かいます。
豫州(予州)・汝南郡
「曹操が自らやって来る」と聞いた劉備は荊州の劉表の下に逃走し、龔都(共都)らは散り散りに離散してしまいました。
すると劉表は、自ら郊外まで劉備を出迎えると、上客に対する礼をもって待遇し、その軍兵を増やして荊州・南陽郡・新野県に駐屯させます。
東海郡の独立勢力・昌豨の帰順
袁紹が敗れると、曹操は別軍として張遼を豫州(予州)・魯国に派遣して諸県を平定させました。
また曹操は張遼に、夏侯淵と共に徐州・東海郡の独立勢力・昌豨(別名:昌狶・昌務・昌覇)を包囲させましたが、数ヶ月経って兵糧が尽きたため、軍を引き揚げて帰還することを論議します。
この時、昌豨に迷いがあることを見抜いた張遼は、昌豨を説得して降伏を認めさせました。
関連記事
12月
建安6年(201年)12月の三国志群雄勢力図
趙韙の反乱の終息
前年の建安5年(200年)、益州の大官・趙韙が反乱を起こし、蜀郡、広漢郡、犍為郡がこれに呼応してました。
建安6年(201年)に入り、趙韙は成都を包囲していましたが、趙韙を恐れた東州人はみな心を1つに力を合わせて劉璋を助け、誰も彼もが必死になって戦った結果、反逆者を撃破して進軍し、逆に江州にいる趙韙を攻撃します。
事ここに至ると、趙韙配下の龐楽と李異らは劉璋に寝返って趙韙の兵を殺害し、趙韙を斬殺してしまいました。
劉璋と龐羲の確執
劉璋に巴西太守に任命された龐羲は「郡にも守備兵が必要だ」と考え、盛んに私兵を招き集めていました。ですが、これを劉璋に讒訴(他人を陥れるために、目上の人や主人にありもしない事を告げること)する者がいて「龐羲には反逆の陰謀がある」と説いたため、劉璋は内心、龐羲を疑うようになります。
身の危険を感じた龐羲は反乱を企てますが、味方に引き入れようとした程畿の反対にあい断念。劉璋に深く陳謝して、事なきを得ました。
関連記事
この年、袁紹は「官渡の戦い」の敗戦後に背いた諸郡県を平定し、曹操は徐州・東海郡の独立勢力・昌豨(別名:昌狶・昌務・昌覇)を帰順させました。
一方、益州では前年から続いていた趙韙の反乱が終息し、益州・巴西郡・漢昌県の県長・程畿の働きにより、龐羲の反乱は未然に防がれました。
他の年を見る場合はこちら
三国志年表
タグ : 劉備, 正史, 曹操, 韓遂, 袁紹, 劉表, 袁譚, 王邑, 夏侯淵