献帝の要請を受け、李傕・郭汜を破って洛陽に入った曹操ですが…。
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目次
曹操が李傕・郭汜を破る
画像出典:ChinaStyle.jp
前回は献帝さんの曹操さんが洛陽に入ったところまででしたよね。
うん、曹操は司隷校尉と録尚書事を兼ねて、朝廷の重要な地位を手に入れたね。
そうですね。今回は、李傕・郭汜が曹操に戦いを挑むところから始まります。
ご確認
この記事は『三国志演義』に基づいてお話ししています。正史『三国志』における「曹操の上洛」については、こちらをご覧ください。
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賈詡の離脱
さて、李傕と郭汜は曹操がやって来たと聞いて、軍議を開きます。
李傕と郭汜は、曹操がはるばる寄せて来たと知って協議し、「速やかに勝負をつけるのが良い」ということになりました。
ですが、この時賈詡は、
「それはだめです。曹操は数十万の精兵に、文官武将が数知れず従っております。それよりは降参して、一身の罪を免れるのがよろしいでしょう」
と諫めたので李傕は腹を立て、
「貴様っ!俺たちの勇気を挫くようなことを言いおってっ!」
と、剣を抜いて斬りつけようとします。
他の大将たちがなだめたお陰でその場を逃れることができた賈詡は、単身馬を走らせて郷里に帰ってしまいました。
賈詡ってまだ李傕たちのところにいたのかよ。
私も献帝さんのところにいるのかと思ってました(笑)
李傕側にいて和睦するように助言していたのかもしれませんね。
曹操の大勝利
次の日、李傕が曹操に挑みます。
曹操はまず、許褚・曹仁・典韋に300の鉄騎兵をつけて、李傕の陣に3度の突撃をかけさせ、それから陣取って隊列を整えさせました。
陣形が整い、李傕の甥の李暹と李別が馬を進めてくると、許褚が馬を飛ばして馳せ違いざまにたった一刀で李暹を斬って落とします。
そして、驚いた李別が落馬したところを、これも許褚が討ち取り、2つの首を鞍にかけて帰陣しました。
曹操は許褚の背中を撫でながら、
「御身はまことに儂の樊噲とも言うべき者だ」
と言い、直ちに夏侯惇は左翼から、曹仁は右翼から、曹操は自ら本隊を率いて突撃の命令を下しました。
太鼓の音が響き渡るや、3つの軍が一斉に進撃し、賊軍は支えきれずに大敗北となって逃げ始めます。
曹操は自ら宝剣の鞘を払って夜通し猛攻撃を加え、打ち殺した敵はおびただしく、降参した者は数えきれませんでした。
李傕と郭汜は野良犬のように西へ西へと逃げ走り、ついにとある山中で山賊に身を落としてしまいました。
また、楊奉と韓暹の2人は、
「曹操が大手柄を立てたからには、必ず権力を握るに違いない。そうなっては、我々の居場所はない」
と思い、献帝には李傕・郭汜を追撃するとの名目で、手勢を引き連れて大梁の方へ移ってしまいました。
曹操軍強すぎるなっ!李傕・郭汜が弱いのか(笑)
楊奉さんと韓暹さんは逃げることないのに…。
そうですね。ちなみに樊噲と言うのは、高祖(劉邦)に仕えた猛将のことです。
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董昭の提案
画像出典:ChinaStyle.jp
正議郎・董昭
さて次の日、献帝は曹操に、参内を命じる使者を出しました。
曹操が使者を招き入れて面会してみると、その使者は、眉目清らかに、全身元気に溢れています。
使者を見た曹操は、(今、都の近辺は大不作でみな飢えに苦しんでいるはずなのに、この男だけはどうして肥え太っているのだろう)と疑問に思い、
「貴殿は福々しいお姿だが、一体どのような養生法によって、そのようになられたのかな?」
と尋ねると使者は、
「別に特別なことなどしておりません。ただ30年の間、菜食してきただけでございます」
と答えたので、曹操は「なるほど」とうなずいて、
「何の官職におられるのか?」
とまた尋ねました。
「私は孝廉に推挙されたことがある者。以前は袁紹や張楊の従事(属官)をしておりました。天子(献帝)が都にお帰りになったと承って拝謁に参ったところ、正議郎に任命されました。
兗州・済陰郡・定陶県の者で、姓は董、名は昭、字は公仁と申します」
これを聞いた曹操は席から立ち上がり、
「ご高名は久しく承っておった。ここでお目にかかることができたのは幸いだ」
と言って酒を出してもてなし、荀彧に引き合わせました。
するとちょうどこの時、
「1部隊が東の方へ出て行きましたが、何者とも分かりません」
との報告が入ります。
これに曹操はすぐに確認するように命じますが、董昭は落ち着いたまま言いました。
「これは李傕の部下であった楊奉と、白波賊の頭・韓暹でござる。将軍(曹操)がお出でなされたゆえ、大梁の方へと立ち去ったのでございましょう」
曹操「儂に疑いをもってもことではないのか?」
と尋ねると、
董昭「いやいや、彼らは知謀なき者、ご心配には及びますまい」
曹操「李傕・郭汜の両人は、これより何とするであろう?」
董昭「彼らはもはや爪を失った虎、翼なき鳥のようなもの。ほどなく将軍(曹操)の虜となりましょう。お気にかけられるほどのことではありません」
曹操は董昭の答えをいちいち気に入りました。
董昭か。
なんでも知ってますね。荀彧さんや郭嘉さんより賢いんじゃ…。
ここだけ見るとそう見えるね(笑)
曹操と董昭の会話は、まだ続きます。
董昭の提案
董昭を気に入った曹操は、今度は朝廷の大事を問いました。
すると董昭は、
「将軍(曹操)が忠義の旗を掲げて逆賊を除き、朝廷に入って天子(献帝)を補佐されることは、古の五伯の功績に匹敵するでしょう。
ですが、(朝廷の)大将たちの考えはそれぞれなので、みな心服するとは限りません。いつまでもここに留まっていれば、おそらく不都合なことが起こるでしょう。
私は許都に天子(献帝)を遷されるのが最上の策と考えます。
ですが、天子(献帝)は戦乱にあって都を離れ、今ようやくお還りになったところです。みな一息つきたいと望んでいるところに、また遷都など納得しないでしょう。
とは言え、異常のことを行ってこそ異常の手柄を成就することができるのです。
どうか将軍(曹操)、ご決意ください。」
すると曹操は、笑いながら董昭の手を取って、
「それこそ儂のかねてよりの望みだっ!」
と言い、
「だが楊奉が大梁におり、朝廷には大臣たちもいる。何か変事が起こる恐れはないか」
と重ねて尋ねました。
董昭が答えます。
「それは容易いこと。楊奉には書面を送って安心させておき、大臣には『都には食糧が乏しいので、食糧の運送にも便利な許都に天子(献帝)を遷し奉りたい』と言えば、喜んで同意するでしょう」
これを聞いた曹操はとても喜んで、退出しようとする董昭の手をもう一度握って、
「儂の計画については、何でもまたお教え願いたい」
と言い、董昭も謝礼を述べて別れました。
献帝さんも洛陽に落ち着きたいよね…。
ついさっきまで洛陽を棄てて曹操を頼ろうとしてたんだから、良いでしょ(笑)
余計な争いを避けて遷都した方が、落ち着けるとも言えますね。
太史令・王立
董昭と会って以降、曹操は連日参謀たちと遷都について密議を重ねます。
その頃朝廷では、太史令(天文の博士)の王立が宗正の劉艾 に言いました。
「天文を観ますに、去年の春よりの太白 (金星)は鎮星 (土星)の道を斗・牛で犯し、天津 の辺りを過ぎている。そこへ熒惑 (火星)がまた逆行して来て、太白 (金星)と天関 (おうし座ζ星)の辺りで出会った。
金・火の交会は、必ず新天子の出づるべき前兆だ。私のみるところでは、漢朝の運命ももはや極まり、晋・魏の地方にあたって新たに興るものがあると思うのだ」
そして王立は秘かに献帝に、次のように奏上します。
「天命にも移り変わりがございます。五行の徳と申しますのも、1つの徳がいつまでも栄えるものではございませぬ。
火徳に代わるのは土徳でございますれば、漢に代わって王たる者は、おそらく魏の地方から出るでございましょう」
このことを聞いた曹操は、王立に人を遣って、
「貴殿が忠義の心の厚いことはよく分かっておる。しかし、天道は深遠で計り難いものであるゆえ、あまり口出しはなされるな」
と告げさせました。
う〜ん、長くてよく分からないけど、王立さんは献帝さんに退位を勧めてるの?
そうだね。
そして王立の言葉が曹操を暗示していたので、慌てて口止めしました。
ヘタに野心を持っていると思われたくないからね。
なるほど。
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献帝が許都に入る
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許都遷都
曹操は、王立の言葉を荀彧に語って聞かせます。
すると荀彧は、
「漢は火徳の王者ですが、我が君は土徳に当たられ、許都はちょうど土の方角に当たる地方です。
許都にお出でになれば、必ず栄えましょう。いつか王者が、そこに興るに違いありません」
これを聞いた曹操はついに決意して、次の日、参内すると、
「東都(洛陽)の荒廃は久しくなりまして、とても復旧はできませぬ。その上、食糧の運送にも不便でございます。
許都の地方は魯陽にも近く、城の構えといい、建物といい申し分なく、また民衆も富み栄え、御用に事欠くことはございませぬ。
おそれながら、許都に行幸(外出)なされますよう、願いたてまつります」
と申し上げました。
献帝は同意しないわけにはいかず、臣下たちも曹操の勢いに恐れて異議を唱える者はいなかったので、日を選んで出発することになりました。
まあ、献帝は断れる状況じゃないよな。
火徳とか土徳ってなんですか?
五行思想に基づく考え方ですので、少し五行思想についてお話しますね。
五行思想
五行思想とは、
「万物は『木』・『火』・『土』・『金』・『水』の5つの元素からできており、この5つの元素は互いに影響を与え合い、変化しながら循環する」
という考え方で、王朝にもこの中の1つの元素が割り当てられており、漢は火徳でした。
そして、これは「王朝交代」にも当てはまり、5つの徳が、
木 → 火 → 土 → 金 → 水 → 木…
のように循環すると考えられており、火徳の王朝の次は土徳の王朝が興るものと考えられていました。
「黄巾の乱」で太平道の信者が身につけていた黄色い頭巾は「土徳をあらわす黄色」であり、これも五行思想によるものでした。
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なるほど、そういうことだったんですねっ!
許褚と徐晃の一騎打ち
さて、曹操は軍隊を率いて献帝を護衛し、百官らもこれに随従して許都に向かいます。
曹操の一行が小高い林に差し掛かった時、突然鬨の声が上がったかと思うと、楊奉と韓暹が兵を率いて行く手をふさぎ、真っ先に現れた徐晃が、
「こら曹操、天子(献帝)さまを手込めにしてどこへ連れて行く気だっ!?」
と、大声で叫びました。
徐晃の姿を見た曹操は内心秘かに感嘆し、直ちに許褚に命じて徐晃と立ち合わせます。
許褚の大刀と徐晃の斧との打ち合いは50合あまりに及びましたが、一向に勝負がつきません。
そこで曹操は、鐘を鳴らして引き上げさせました。
おぉ〜、凄いっ!許褚 vs 徐晃だっ!
楊奉さんと韓暹さんは、曹操さんに敵わないと思って逃げたんじゃなかったの!?
どうやら諦めきれなかったみたいですね(笑)
徐晃の帰順
許褚を呼び戻した曹操は、参謀たちを呼んで相談します。
曹操が、
「楊奉と韓暹は取るに足りないが、徐晃はいかにも名将と見える。力ずくで打ち負かすより、計略を用いて味方につけたいものだ」
と言うと、行軍従事の満寵が進み出て、
「我が君、お気遣いなさいますな。私は徐晃とは馴染みがございます。
今夜、私が敵の陣中に忍び込み、彼を説得しましょう。必ずや彼を降参させて見せまする」
と言ったので、曹操は大変喜んで満寵を行かせることにします。
その夜、満寵は一兵卒の姿に変装して敵の中に紛れ込み、こっそり徐晃の陣屋の前まで来ると、徐晃が鎧をつけたまま灯火の下に座っているのが目に入りました。
満寵は、徐晃の前に進み出ると、手を重ねて(揖)あいさつをし、
「久し振りだな、変わりはなかったか?」
と声をかけます。
徐晃は驚いて立ち上がると、満寵をじっと見つめて、
「君は(兗州・)山陽郡の満伯寧(伯寧は満寵の字)ではないか。どうしてここに来た?」
と尋ねました。
「私は今、曹将軍(曹操)の従事をしているのだが、今日、陣前で旧友を見た懐かしさに、一言言いたいことがあって、決死の覚悟でここまで来たのだ」
満寵がそう答えると、徐晃は満寵を座に招いて「話を聞こう」と言いました。
「御身(あなた)は類い稀な武勇と才知を持ちながら、なぜ楊奉・韓暹ごときに召し使われておるのだ?
曹将軍(曹操)は当世の英雄で、賢を好み士を敬われることは、天下に知れ渡っている。
今日の合戦で御身(あなた)の武勇を見て敬愛を覚えられ、わざわざ私を使いとして御身(あなた)を招きたいと申されておるのだ。
ここは一緒に大事業を成就しようという気にはならないか?」
徐晃はしばらく考え込んでいましたが、
「俺も楊奉や韓暹が大業を成すとは思っておらぬ。ただ久しく仕えてきた主人だから、捨てる気になれないのだ」
と言うと満寵は、
「ことわざにも、『良禽(賢い鳥)は木を選んで住処とし、賢臣は主を選んで仕える』とある。
仕えるべき主君に出会いながら、そのまま見逃してしまうのは、大丈夫(立派な男子)のすることではない」
と重ねて曹操への帰順を勧めます。
すると徐晃は立ち上がって礼を言い、
「御身の言葉通りにしよう」
と答えました。
徐晃の返事を聞いた満寵は、
「それなら楊奉や韓暹を討ち果たして、曹将軍(曹操)への手土産にしてはどうだ?」
と言いましたが、徐晃は、
「家来の身として主人を殺しては、義理に背くことになる。俺にはどうしてもできぬ」
と答えました。
満寵は、
「御身は真の義士だなあ」
と感心し、徐晃は側近くに仕えていた数十騎の強者を従えて、その夜のうちに満寵と連れ立って曹操の元に身を寄せました。
おぉ〜、ついに徐晃が曹操の配下にっ!
楊奉さんと韓暹さんを殺さずに義理を通してたのも良いですね。
呂布は張り切って丁原を殺してたからなぁ(笑)
こういう人の方が信頼できますねっ!
献帝が許都に入る
さて、徐晃が去ったことを楊奉に知らせた者がありました。
楊奉は大いに腹を立て、「裏切り者の徐晃を逃がすなっ!」と自ら千騎を率いて徐晃を追いかけます。
すると、突然石火矢の音が鳴り響き、山の上下から一斉に松明が照り輝いて、四方から伏兵がどっと打って出ました。
曹操は自ら先頭に立って、
「待ちかねておったぞっ、それ逃がすなっ!」
と大声で叫びました。
楊奉は肝を潰して、急いで軍を引こうとしますが、すでに曹操の兵に取り囲まれています。
そしてちょうどこの時、韓暹が兵を率いて応援に来たので両軍乱戦となりましたが、楊奉・韓暹に従っていた兵たちの多くは降参し、楊奉と韓暹は討ちもらされたわずかの兵を連れて袁術の元に落ち延びて行きました。
その後、曹操が兵をまとめて帰陣すると、満寵が徐晃を連れてやって来たので、曹操は大変喜んで2人を手厚くもてなします。
無事、天子(献帝)の行列が許都に到着すると曹操は、宮殿を造営し、先祖の霊廟、社稷の祭壇など、さまざまな役所を建設し、城壁や倉庫を修理しました。
また、董承ら13人は列侯に封ぜられ、功臣の恩賞、罪人の刑罰も、すべて曹操の思いのままに任されました。
待ち伏せてたんだね、曹操。これで敵はいなくなったかな?
これで献帝さんは、やっと本当に落ち着けるんですねっ!
そうですねっ!
献帝の要請を受けて洛陽に入った曹操は、洛陽に攻め込んできた李傕・郭汜を破り、献帝の使者・董昭の提案を受け、許都への遷都を実行に移します。
そして、献帝を取り戻すべく行く手を遮る楊奉と韓暹を撃ち破った曹操は、無事許都に到着し、宮殿などの必要な施設を造営しました。
次回は、劉備が治める徐州のお話になります。
次回
【052】劉備と呂布を反目させろ!二虎競食の計と駆虎呑狼の計