冀州(きしゅう)を分け合う約束をして袁紹(えんしょう)に協力した公孫瓚(こうそんさん)。ですが冀州(きしゅう)を手に入れた後も、袁紹(えんしょう)からの連絡はありませんでした。

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磐河(ばんが)の戦い


タカオタカオ

前回は、袁紹(えんしょう)が韓馥(かんふく)をだまして冀州(きしゅう)を手に入れたところまででしたよね。

マリコマリコ

袁紹(えんしょう)さんひどいよ。韓馥(かんふく)さんは袁紹(えんしょう)さんに兵糧まであげてたのに…。

王先生王先生

そうですね。
今回はその冀州(きしゅう)をめぐって、袁紹(えんしょう)と公孫瓚(こうそんさん)の間で争いが起こります。

ご確認

この記事は『三国志演義』に基づいてお話ししています。正史『三国志』における袁紹(えんしょう)と公孫瓚(こうそんさん)の争いについては、こちらをご覧ください。

反董卓連合の崩壊。袁紹が孫堅を攻め、公孫瓚は河北に覇を唱える

【袁紹 vs 公孫瓚】界橋の戦い。白馬義従を破った麹義の底力

袁紹(えんしょう)の裏切り


王先生王先生

さて、袁紹(えんしょう)はどのようにして韓馥(かんふく)から冀州(きしゅう)をだまし取ったのか、覚えていますか?

タカオタカオ

もちろんっ!袁紹(えんしょう)が公孫瓚(こうそんさん)に冀州(きしゅう)を攻めさせて、怯(おび)えた韓馥(かんふく)が袁紹(えんしょう)を頼って冀州(きしゅう)を譲(ゆず)ったんだよ!

マリコマリコ

たしかその時、袁紹(えんしょう)さんは公孫瓚(こうそんさん)さんと冀州(きしゅう)を分け合う約束をしてましたよね。

王先生王先生

その通りです。公孫瓚(こうそんさん)は領土を分け合う話し合いをするため、袁紹(えんしょう)の元に弟の公孫越(こうそんえつ)を派遣しました。

タカオタカオ

なるほどっ!冀州(きしゅう)の分け方をめぐって争いが起こるんだな?

王先生王先生

もっとヒドいですよ。袁紹(えんしょう)は公孫越(こうそんえつ)を追い返すと、董卓(とうたく)軍を名乗って公孫越(こうそんえつ)を襲い、殺害してしまいました。

マリコマリコ

ヒドすぎる!こんな人が十八路諸侯(じゅうはちろしょこう)の盟主をやっていたなんて…。

タカオタカオ

袁紹(えんしょう)には公孫瓚(こうそんさん)と冀州(きしゅう)を分け合う気はないってことか。

趙雲(ちょううん)登場!


王先生王先生

袁紹(えんしょう)に弟を殺された公孫瓚(こうそんさん)は激怒して、軍勢を率(ひき)いて冀州(きしゅう)に攻め込みます。

タカオタカオ

そりゃ公孫瓚(こうそんさん)もだまされないよな(笑)

王先生王先生

すると袁紹(えんしょう)も出陣し、磐河(ばんが)という河(かわ)をはさんで両軍はにらみ合いとなりました。


まず公孫瓚(こうそんさん)が橋の上に進み出て、約束を破った袁紹(えんしょう)を非難します。

すると袁紹(えんしょう)は、「韓馥(かんふく)が冀州(きしゅう)を譲(ゆず)ったことはお前とは関係ない」と言い放ち、文醜(ぶんしゅう)を挑(いど)ませました。

文醜(ぶんしゅう)の攻撃を受けきれなくなった公孫瓚(こうそんさん)は陣に逃げ帰ろうとしますが、文醜(ぶんしゅう)は行く手をふさぐ公孫瓚(こうそんさん)の将たちをなぎ払い、なおも公孫瓚(こうそんさん)を追っていきます。


そして、公孫瓚(こうそんさん)が弓も矢も捨て、兜(かぶと)さえも脱ぎ捨てて必死で馬を走らせていたところ、馬の前足が折れて落馬してしまいました。



マリコマリコ

公孫瓚(こうそんさん)さんが危ないっ!劉備(りゅうび)さんたちはどこっ!?

タカオタカオ

劉備(りゅうび)は平原国(へいげんこく)の太守(たいしゅ)になったからね。ここにはいないよ。

王先生王先生

そうですね。
ですが、文醜(ぶんしゅう)が今まさに槍で突きかかろうとしたその時、1人の若武者が立ちはだかります。


その若武者がまっすぐに馬を飛ばして文醜(ぶんしゅう)に突きかかっていったので、その間に公孫瓚(こうそんさん)はなんとか坂の上に逃(のが)れることができました。

若武者と文醜(ぶんしゅう)は50〜60合(ごう)打ち合っても勝負がつきません。

そこで、公孫瓚(こうそんさん)の配下たちが追いついてきたのを見た文醜(ぶんしゅう)は、あきらめて陣に帰っていきました。


難を逃れた公孫瓚(こうそんさん)は、若武者に名前を尋(たず)ねます。


「私は(冀州(きしゅう)・)常山郡(じょうざんぐん)・真定県(しんていけん)の者で、姓は趙(ちょう)、名は雲(うん)、字(あざな)は子龍(しりょう)と申します。
もとは袁紹(えんしょう)に仕えていましたが、袁紹(えんしょう)の振る舞いには君(きみ)(皇帝)への忠義も、民を救わんとする心もないのを見て幻滅し、あなた様の元に馳(は)せ参じました」


これを聞いた公孫瓚(こうそんさん)は大いに喜んで、ともども陣に帰って軍を整えました。



マリコマリコ

趙雲(ちょううん)さんっ!

タカオタカオ

映画の『レッドクリフ』にも出てたから、マリコちゃんも知ってるね。

マリコマリコ

うん。でも劉備(りゅうび)さんじゃなくて、はじめは公孫瓚(こうそんさん)さんに仕えたんだ…。

王先生王先生

そうなんですよ。
ではここで、趙雲(ちょううん)について簡単にご紹介しておきましょう。

趙雲(ちょううん)の特長と略歴

趙雲(ちょううん)

姓は趙(ちょう)、名は雲(うん)、字(あざな)は子龍(しりょう)。冀州(きしゅう)・常山郡(じょうざんぐん)・真定県(しんていけん)の人。

身長約184cm。眉太く眼が大きく、大きな顔でアゴが割れている威風堂々とした風貌をしています。

この時袁紹(えんしょう)に仕えていましたが、その身勝手な振る舞いを見て袁紹(えんしょう)を見限り、公孫瓚(こうそんさん)の元に馳(は)せ参じました。



タカオタカオ

多くのゲームではシュっとしたイケメンに描かれてるけど、横山光輝(よこやまみつてる)『三国志』の趙雲(ちょううん)の方がイメージに近いのかな。

マリコマリコ

そうなんだ?

タカオタカオ

うん。『ドカベン』みたいな顔してる(笑)

マリコマリコ

そうなんだ。『レッドクリフ』の趙雲(ちょううん)も細身のイケメンでしたね!


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界橋の戦い

趙雲が麹義を討つ

画像引用元:『完訳 三国志(第1巻)』小川環樹・金田純一郎訳(岩波文庫)

白馬陣の敗北


王先生王先生

さて、体勢を整えた公孫瓚(こうそんさん)は翌日、もう一度袁紹(えんしょう)に挑(いど)みます。


公孫瓚(こうそんさん)は橋の手前に陣取ると、配下に加わったばかりの趙雲(ちょううん)を後方に控(ひか)えさせ、厳鋼(げんこう)を大将にして、その前方に羌(きょう)族に恐れられた精強な白馬部隊(白馬陣(はくばじん))を二手に分けて両翼の形に布陣させました。

対する袁紹(えんしょう)は、顔良(がんりょう)と文醜(ぶんしゅう)にそれぞれ1,000人の石弓隊を率(ひき)いて白馬部隊に当たらせ、麹義(きくぎ)には800人の射手と15,000人の歩兵を与えて中央に陣取らせました。

袁紹(えんしょう)自身は騎兵歩兵数万を率(ひき)いて後詰(ごづ)めとなります。


界橋の戦い

界橋(かいきょう)の戦い


マリコマリコ

あの、羌(きょう)族って何ですか?

タカオタカオ

羌(きょう)族は、よく後漢(ごかん)の領内に侵攻してくる異民族だよ。

王先生王先生

その通りです。その討伐に当たった公孫瓚(こうそんさん)の白馬部隊が非常に強かったので、彼らに恐れられていたんですね。


両軍が対峙(たいじ)してから2時間余りが経過しても、袁紹(えんしょう)軍に動きがないことにしびれを切らした厳鋼(げんこう)は、全軍に突撃を命じます。

ですが、麹義(きくぎ)は射手を大楯の後ろに伏せたまま動こうとしません。

そして厳鋼(げんこう)の部隊が間近まで迫(せま)った時、麹義(きくぎ)隊の800人の射手が一斉に石火矢(いしびや)を射かけました。

これにより公孫瓚(こうそんさん)の軍は総崩れになり、厳鋼(げんこう)は襲い来る麹義(きくぎ)に一刀のもとに切り殺されてしまいました。



タカオタカオ

白馬陣(はくばじん)、全然強くないな(笑)

王先生王先生

実は、麹義(きくぎ)は長らく涼州(りょうしゅう)にいて、羌族(きょうぞく)の騎馬戦法を熟知していたんです。

マリコマリコ

なるほど。麹義(きくぎ)さんの方が一枚上手だったんですね。


袁紹(えんしょう)軍は公孫瓚(こうそんさん)軍の本陣にまで迫(せま)り、「帥(すい)」の字が書かれた旗が倒されたのを見た公孫瓚(こうそんさん)は、またも馬首を返して逃走します。

そして、麹義(きくぎ)が公孫瓚(こうそんさん)を追おうとしたその時、後方に控(ひか)えていた趙雲(ちょううん)が打ちかかり、またたく間に麹義(きくぎ)を突き殺しました。



マリコマリコ

おぉ〜っ!趙雲(ちょううん)さんっ!

タカオタカオ

頼りになるねぇ(笑)

王先生王先生

そうですねっ!

公孫瓚(こうそんさん)の逆襲


王先生王先生

麹義(きくぎ)を討ち取った趙雲(ちょううん)がそのまま単騎で袁紹(えんしょう)軍に突入すると、今度は袁紹(えんしょう)軍が総崩れになります。


この時袁紹(えんしょう)は、田豊(でんほう)と少数の護衛だけを連れて、味方が敵軍を追い立てる様子を高見から見物していました。

そこへ突然目の前に趙雲(ちょううん)が現れて、数人の護衛を突き倒したのだからたまりません。


「今のうちに土塀の中へ隠れて下さい!」


と言う田豊(でんほう)に、袁紹(えんしょう)は兜(かぶと)を地面に投げ捨てて言いました。


「大丈夫たるもの、戦陣に切り死にすることこそ本望だ。逃げも隠れもせんっ!」


これを見た護衛たちは死にもの狂いで戦い、やがて顔良(がんりょう)や袁紹(えんしょう)軍の本隊が駆けつけたので、趙雲(ちょううん)もあきらめて撤退しました。



タカオタカオ

袁紹(えんしょう)め、真っ先に逃げるかと思ったらなかなか根性あるな。

王先生王先生

そうですね。この時袁紹(えんしょう)が逃げていたら、袁紹(えんしょう)軍は総崩れになっていたでしょう。

予期せぬ援軍


王先生王先生

さて、今度はまた袁紹(えんしょう)が攻勢に出ます。


趙雲(ちょううん)が橋のところまで撤退すると、袁紹(えんしょう)は兵に号令して、先頭に立って公孫瓚(こうそんさん)軍を攻めたてます。

そして袁紹(えんしょう)軍が橋を越えたちょうどその時、山の向こうからにわかに鬨(とき)の声がわき起こり、一隊の軍勢があらわれました。その先頭に見えるのは、あの劉備(りゅうび)、関羽(かんう)、張飛(ちょうひ)の3人です。



マリコマリコ

おぉ〜っ!劉備(りゅうび)さんっ!でもなんで!?

王先生王先生

公孫瓚(こうそんさん)と袁紹(えんしょう)が戦っているのを知って、平原国(へいげんこく)から援軍に駆けつけたんですね。


劉備(りゅうび)、関羽(かんう)、張飛(ちょうひ)の3人が自分に向かってまっすぐに駈(か)けてくるのを見た袁紹(えんしょう)は、仰天して手にした宝刀も落としたまま、もと来た橋を渡って一目散に逃げ出しました。


公孫瓚(こうそんさん)は逃げる袁紹(えんしょう)を深追いせず、陣に戻って3人に礼を言うと、劉備(りゅうび)に趙雲(ちょううん)を紹介しました。



王先生王先生

これ以降、袁紹(えんしょう)は陣を堅く守って出撃しなくなります。

タカオタカオ

袁紹(えんしょう)は少なくとも関羽(かんう)の強さは知ってるからなぁ。おいそれとは手出しできないよな。

マリコマリコ

趙雲(ちょううん)さんもいるしねっ!


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戦いの終わり

董卓による講和


王先生王先生

袁紹(えんしょう)と公孫瓚(こうそんさん)がにらみ合って一月(ひとつき)が経(た)った頃、そのことを董卓(とうたく)に知らせた者がいました。


すると、側(そば)にいた李儒(りじゅ)が一計を案じます。


「袁紹(えんしょう)と公孫瓚(こうそんさん)は磐河(ばんが)で争っておりますが、ここは一つ、天子の勅使(ちょくし)を遣(つか)わせて和解させてはいかがでしょう。
そうすれば2人ともそのことを恩に感じ、必ずや太師(たいし)さま(董卓(とうたく))に付き従いましょう」


これを聞いた董卓(とうたく)は「それは名案だ!」と言うと、早速太傅(たいふ)の馬日磾(ばびつてい)と太僕(たいぼく)の趙岐(ちょうき)に勅書(ちょくしょ)を持たせて2人の元に送り込みます。

すると、袁紹(えんしょう)も公孫瓚(こうそんさん)も詔(みことのり)に従って戦いをやめ、公孫瓚(こうそんさん)はその日のうちに軍を引き揚(あ)げました。



王先生王先生

ちなみに勅使(ちょくし)とは皇帝からの使者のことです。

マリコマリコ

ずる賢いなぁ、李儒(りじゅ)さんは。

タカオタカオ

てか董卓(とうたく)のこと忘れてたわ(笑)董卓(とうたく)ほっといて何やってんだよ!

趙雲との別れ


戦いが終わると、劉備(りゅうび)、関羽(かんう)、張飛(ちょうひ)の3人は任地の平原国(へいげんこく)に帰ることになります。

あいさつを交わしてから1ヶ月あまり、劉備(りゅうび)と趙雲(ちょううん)は意気投合し、お互い離れがたい気持ちになっていました。

別れ際、趙雲(ちょううん)が劉備(りゅうび)に言いました。


「私は公孫瓚(こうそんさん)を英雄だと思って仕えてみましたが、近頃の振る舞いを見ると、どうやら袁紹(えんしょう)と同列の輩(やから)のようです…」


するとこれを聞いた劉備(りゅうび)は、


「今のところは辛抱してお仕えなされ。またいつかお会いする日もあるでしょう」


と言い、2人手を取り合って涙ながらに別れました。



マリコマリコ

えぇ〜!2人離(はな)れ離(ばな)れになっちゃうの!?

タカオタカオ

劉備(りゅうび)も兄貴分の公孫瓚(こうそんさん)の部下を引き抜くわけにはいかんでしょ。

王先生王先生

何はともあれ袁紹(えんしょう)と公孫瓚(こうそんさん)の冀州(きしゅう)をめぐる争いは、董卓(とうたく)の仲介による和睦(わぼく)で幕を閉じました。


袁紹(えんしょう)が公孫瓚(こうそんさん)との約束を反故(ほご)にしたことから始まった「磐河(ばんが)の戦い」は、意外にも董卓(とうたく)の仲介によって幕を閉じ、結局のところ冀州(きしゅう)は袁紹(えんしょう)が領有することになりました。

一方、この戦いに援軍として参戦した劉備(りゅうび)は、後に自軍の中核を担う1人となる趙雲(ちょううん)と出会いました。

ですが、この趙雲(ちょううん)が劉備(りゅうび)に仕えることになるのは、もう少し後のことになります。



王先生王先生

次回はまた、舞台が変わって孫堅(そんけん)のお話しになります。

次回

逆襲の孫堅!袁術の陰謀により劉表を攻めた孫堅軍の怒濤の快進撃

三国志演義の解説を順番に読もう!

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