十八路諸侯が解散してしまうと、袁紹はさっそく味方であった韓馥が治める冀州を奪おうと策略を巡らせます。
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目次
袁紹が冀州を狙う
前回は、十八路諸侯のみなさんが解散してしまったところまででしたよね。
それに、袁紹の差し金で孫堅と劉表が衝突したね。
そうでしたね。
今回は、とうとう十八路諸侯同士で領地を奪い合うことになってしまいます。
ご確認
この記事は『三国志演義』に基づいてお話ししています。正史『三国志』における袁紹が冀州を手に入れる過程については、こちらをご覧ください。
韓馥が袁紹に冀州をゆずる。公孫瓚と袁紹に怯え続けた韓馥の末路
困窮する袁紹
さて今回は、その後の袁紹の動きからお話を始めます。
袁紹は洛陽を出て司隷の河内郡というところに駐屯していましたが、兵を養う兵糧を確保することも難しくなってきます。
するとそこへ、冀州牧の韓馥から使者が来て「軍用にあてるように」と袁紹に兵糧を送り届けてくれました。
司隷・河内郡
わあっ!韓馥さん、やさしいっ!!
あれっ!?韓馥って、前は冀州刺史って言ってなかったっけ?
気づかれてしまいましたか(笑)
タカオくんの言うとおり、十八路諸侯結成の際の韓馥の官職は冀州刺史でしたが、ここでは冀州牧となっています。
おおざっぱに言うと、州刺史も州牧も両方とも「州の長官」です。
おそらく『三国志演義』の作者・羅貫中は、分かりやすくするために「州の長官」を刺史で統一しようとしたのだと思われます。
ですが、正史『三国志』での韓馥の官職が冀州牧であることから、ついここで韓馥を冀州刺史にしていたことを忘れて冀州牧にしてしまったのではないでしょうか。
『三国志演義』での官職は、このような間違いや実際にはない官職がよく出てきますので、あまり深く考えずに読み進めましょう。
逢紀(ほうき)の献策
韓馥から援助を受けた袁紹ですが、それだけでは根本的な解決にはなりませんよね。
そこで、配下の逢紀が袁紹に進言します。
「袁紹さま程のお方が、他人の兵糧をあてにしているようではいけません。韓馥が治める冀州は豊かな土地。この際、冀州を攻め取ってしまいましょう」
そして、これを聞いた袁紹が策を尋ねると、逢紀はこう答えました。
「まず公孫瓚に使者を送って『一緒に冀州を攻め取りましょう』と誘えば、公孫瓚は必ず乗ってくるでしょう。
その上で韓馥にこのことを教えれば、臆病者の韓馥のこと、きっと殿に冀州を任せると言うはずです」
袁紹はこれは名案だと思い、すぐに実行に移すことにしました。
えぇ〜っ!兵糧を援助してくれた韓馥さんの領地を取っちゃうのっ!?
昨日の友は今日の敵さ(笑)
まだ董卓さんを倒したわけでもないのに…。
そうですね。袁紹は当初の目的を忘れ、かつての仲間の領土を奪おうと考えたんです。
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袁紹の陰謀
公孫瓚への使者
さて、袁紹はすぐに手紙を書いて公孫瓚に使者を送ります。
袁紹からの手紙を受け取った公孫瓚は、そこに「冀州を分け取ろう」と書いてあるのを見て大喜びし、すぐに出陣の準備に取りかかりました。
公孫瓚も単純だな(笑)
でもこれじゃ韓馥さんが かわいそう 過ぎるよ…。
韓馥への使者
また袁紹は公孫瓚に使者を送る一方で、韓馥にも使者を送りました。
袁紹からの手紙で「公孫瓚が冀州を狙っていること」を知らされた韓馥は、急いで参謀の荀諶と辛評を呼び寄せます。
韓馥が相談すると、荀諶は言いました。
「公孫瓚の元にはあの豪傑、劉備・関羽・張飛がおり、我々にはとてもかないません。一方、袁本初*1どのは知勇にすぐれ、配下にも名将がそろっています。
もし殿が袁本初*1どのに冀州をお任せしたならば、彼も殿を丁重に扱うでしょう。公孫瓚など恐るるに足りません」
荀諶の進言を名案だと思った韓馥は、すぐに別駕の関純を袁紹の元に派遣しました。
荀諶は売国奴だな。普通そんな助言するか?
仕方ないよ。潘鳳さんは華雄さんに斬られちゃったし…。
なるほど。そういう考え方もできるな(笑)
ちなみに、別駕とは州刺史の補佐官です。
脚注
*1 本初(ほんしょ)は袁紹(えんしょう)の字。
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韓馥が袁紹に冀州をゆずる
反対する耿武(こうぶ)
もちろん、袁紹に冀州をゆずることに反対する人もいました。
長史(軍政官)の耿武は、
「袁紹に冀州の政治を任せるのは、羊の群れに虎を招き入れるようなものです。
今の袁紹はヒザの上で乳を待つ赤子のようなもので、我々が乳をあげるのをやめれば、たちまち飢え死にしてしまうでしょう」
と言って韓馥を諫めましたが、韓馥は不思議そうな顔をして言いました。
「私はもともと袁氏の役人であったし、才能も本初どのには及ばない。また、賢者に国を譲るのは古人の教えでもある」
これを聞いた耿武は「冀州の運命もこれまでだ」と言ってため息をつきました。
頭の中お花畑だな韓馥は(笑)
でもこのまま戦って負けたらたくさんの人が死んじゃうし、袁紹さんに守ってもらったほうが良いのかも…。
ここにもいたよ、お花畑が(笑)
そもそも国の官職は、臣下同士で譲ったりできませんけどね(笑)
袁紹の冀州入り
さて、韓馥は耿武の反対を退け、ついに袁紹が冀州にやって来ることになりました。
この時、袁紹の冀州入りに反対する耿武と関純は城外に潜み、袁紹が到着すると刀を抜き放って襲いかかります。
ですが2人は、袁紹の護衛をしていた顔良と文醜にあっけなく切り殺されてしまいました。
そりゃ無茶でしょ(笑)
もうっ!
韓馥さんの言うことを聞かないからっ!
どうですかねぇ~?逆に韓馥の方が、耿武の言うことを聞いていた方が良かったかもしれませんよ。
冀州に入った袁紹は、田豊、沮授、許攸、逢紀らに冀州の政治を担当させ、韓馥はただ奮威将軍の称号を与えられただけで、すべての権力を奪われてしまいます。
韓馥は袁紹に冀州を譲ったことを後悔して、とうとう妻子を置き去りにして陳留太守・張邈の元に身を寄せました。
えぇ〜っ!韓馥さん、冀州を追い出されちゃったの…?
当然だねっ!袁紹にとっては邪魔なだけさ。殺されなかっただけ良かったんじゃないの?
韓馥さんは袁紹さんに兵糧をあげたのに、やっぱりこんなのおかしいよっ!
ちなみに正史『三国志』では、袁紹に殺されるのではないかと疑心暗鬼になった韓馥は、トイレで自殺してしまいました。
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韓馥が袁紹に冀州をゆずる。公孫瓚と袁紹に怯え続けた韓馥の末路
十八路諸侯が解散しても、冀州牧の韓馥はこれまで通り袁紹に兵糧を送っていました。
ですが袁紹はその恩を仇で返すように、公孫瓚を利用して韓馥から冀州を譲り受けることに成功します。
そして、袁紹に冀州を譲り渡した韓馥は、当初の思惑とは違ってすべての権力を奪われてしまいました。
次回は、袁紹が手に入れた冀州をめぐって公孫瓚と争いが起こります。
次回
【026】磐河(ばんが)の戦い:袁紹と公孫瓚が争い、劉備が趙雲と出会う