173年【漢:熹平(きへい)2年】に起こった主な出来事をまとめ、それをもとに群雄勢力図を作成しました。人員配置は前年から変更が記されていない官職と、新たに確認できた官職のみ記載しています。

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173年の主な人員配置

後宮

天子・皇后 人物
天子(皇帝) 劉宏(りゅうこう)(霊帝(れいてい))
皇太后 董太后(とうたいごう)(孝仁董皇后(こうじんとうこうごう))
皇后 宋皇后(そうこうごう)

朝廷

官職 人物
司徒(しと) 袁隗(えんかい)
司空(しくう) 宗倶(そうく) → 楊賜(ようし) → 唐珍(とうちん)
太尉(たいい) 李咸(りかん) → 段熲(だんけい)(〜12月)
太常(たいじょう) 唐珍(とうちん)(〜7月)
光禄勲(こうろくくん) 楊賜(ようし)(〜2月)
執金吾(しつきんご) 宋酆(そうほう)
諫議大夫(かんぎたいふ) 劉猛(りゅうもう)
五官中郎将(ごかんちゅうろうしょう) 董重(とうちょう)
使匈奴中郎将(しきょうどちゅうろうしょう) 張奐(ちょうかん)
度遼将軍(とりょうしょうぐん) 皇甫規(こうほき)
破羌将軍(はきょうしょうぐん) 段熲(だんけい)

地方官

官職 人物
司隷校尉(けいしゅうしし) 段熲(だんけい)(〜3月)
楊州刺史(ようしゅうしし) 臧旻(ぞうびん)
玄菟太守(げんとたいしゅ) 公孫琙(こうそんよく)
丹陽太守(たんようたいしゅ) 陳夤(ちんいん)
鬱林太守(うつりんたいしゅ) 谷永(こくえい)
会稽太守(かいけいたいしゅ) 尹端(いんたん)

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173年の主な出来事

月 出来事
1月
  • 疫病が流行ったため、薬を配布する。
  • 司空(しくう)の宗倶(そうく)が亡くなる。
2月
  • 天下に大赦(たいしゃ)する。
  • 光禄勲(こうろくくん)の楊賜(ようし)が司空(しくう)に任命される。
3月
  • 太尉(たいい)の李咸(りかん)が罷免(ひめん)され、司隷校尉(しれいこうい)の段熲(だんけい)が太尉(たいい)に任命される。
6月
  • 北海国(ほっかいこく)に地震があり、東萊郡(とうらいぐん)と北海国(ほっかいこく)に津波が起こる。
7月
  • 司空(しくう)の楊賜(ようし)が罷免(ひめん)され、太常(たいじょう)の唐珍(とうちん)が司空(しくう)に任命される。
12月
  • 太尉(たいい)の段熲(だんけい)が罷免(ひめん)される。
  • 鮮卑(せんぴ)が幽州(ゆうしゅう)と幷州(へいしゅう)に侵攻する。
  • 日食があった。
不明
  • 甘陵王(かんりょうおう)・劉恢(りゅうかい)が亡くなる。
  • 会稽太守(かいけいたいしゅ)・尹端(いんたん)が賊徒・許昭(きょしょう)に敗れる。

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173年の三国志群雄勢力図

173年の三国志群雄勢力図

凡例

熹平(きへい)2年(173年)の三国志群雄勢力図

173年の情勢

173年の時点では、漢の領内にまだ独立勢力はありません。

特記事項

会稽郡(かいけいぐん)の反乱

前年の11月に許生(きょしょう)・許昌(きょしょう)・許韶(きょしょう)(許昭(きょしょう))らが会稽郡(かいけいぐん)で起こした反乱はまだ続いていました。

この年、反乱の討伐にあたった会稽太守(かいけいたいしゅ)・尹端(いんたん)が賊徒・許昭(きょしょう)に敗れ、討伐に失敗してしまいます。そして、賊徒に敗北した尹端(いんたん)は州の弾劾(だんがい)を受け、公衆の面前で打ち首にし、その死体を市中に晒(さら)す、棄市(きし)刑相当の罪であるとされてしまいました。

当時彼の下で主簿(しゅぼ)をしていた朱儁(しゅしゅん)は、粗末な衣服を身につけて密(ひそ)かに洛陽(らくよう)に向かうと、担当の役人に賄賂を贈って州からの弾劾(だんがい)の上奏文を抜き取ります。

これにより、尹端(いんたん)は棄市(きし)刑を免(まぬか)れ、左校(さこう)に移されることで許されました。また、朱儁(しゅしゅん)は自分が尹端(いんたん)の減刑のために動いたことを、生涯他言しなかったと言います。


左校(さこう)とは、宗廟(そうびょう)や正殿(せいでん)、陵園(りょうえん)などの土木工事を司(つかさど)る将作大匠(しょうさくたいしょう)の下に置かれた、強制労働をさせる機関のことです。

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173年【漢:熹平(きへい)2年】は、大きな出来事が少ない1年でした。

『後漢書(ごかんじょ)』孝霊帝紀(こうれいていぎ)には、董太后(とうたいごう)が皇太后(こうたいごう)の位についたという記載はありませんが、『後漢書(ごかんじょ)』孝仁董皇后紀(こうじんとうこうごうき)には「竇太后(とうたいごう)が崩御すると朝政を始めた」とあるため、董太后(とうたいごう)を皇太后(こうたいごう)の扱いにしています。

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