徐州じょしゅう呂布りょふ劉備りゅうびが再び手を結んだ頃、袁術えんじゅつの下に身を寄せていた孫策そんさくは、その境遇に思い悩んでいました。

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孫策の苦悩

孫策の苦悩

画像出典:ChinaStyle.jp


マリコマリコ

前回は袁術えんじゅつさんに敗れた劉備りゅうびさんが、呂布りょふさんを頼ったところまででしたよね。

タカオタカオ

劉備りゅうびから下邳県かひけんを奪ったのも呂布りょふだけどね(笑)

マリコマリコ

立場が逆転しちゃったね…。

王先生王先生

そうですね。今回は舞台が変わって、孫堅そんけんの息子・孫策そんさくのお話です。

ご確認

この記事は三国志演義さんごくしえんぎに基づいてお話ししています。正史せいし三国志さんごくしにおける「孫策そんさく江東こうとう進出」については、こちらをご覧ください。

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孫堅の息子・孫策


王先生王先生

それでは今回のお話を始めましょう。


さて、袁術えんじゅつ揚州ようしゅう九江郡きゅうこうぐん寿春県じゅしゅんけんに将兵をまねいて大宴会を開いているところへ、「孫策そんさく揚州ようしゅう廬江郡ろこうぐん太守たいしゅ陸康りくこうを攻撃し、勝利を得て帰って来た」という報告が入りました。

そこで袁術えんじゅつは、孫策そんさくを呼び寄せてねぎらいの言葉をかけ、宴会の座に加わらせました。



王先生王先生

ここで少し、孫堅そんけんの息子・孫策そんさくについてお話ししておきましょう。

孫堅そんけんの息子・孫策そんさく

孫策そんさくは父の孫堅そんけんが死んだ後、江南こうなんに引きこもって賢者をうやまい、へりくだって過ごしていました。

のち陶謙とうけん孫策そんさくの母方の叔父おじ丹楊郡たんようぐん丹陽郡たんようぐん)の太守たいしゅ呉璟ごえいの関係が悪くなったので、孫策そんさくは母親と家族を揚州ようしゅう呉郡ごぐん曲阿県きょくあけんに移住させて、自分は袁術えんじゅつの下に身を寄せます。


すると袁術えんじゅつ孫策そんさくを大そう気に入って、いつも、


わし孫策そんさくのような子供がいたら、死んでも心配はないのだが…」


と言ってなげいていました。


その後、孫策そんさく懐義校尉かいぎこういに任命され、兵をひきいて丹楊郡たんようぐん丹陽郡たんようぐん)・涇県けいけん太帥たいすいぞくの首領)・祖郎そろうを撃ち破ります。

孫策そんさくの武勇を知った袁術えんじゅつは、さらに廬江郡ろこうぐん太守たいしゅ陸康りくこうの攻撃を命じ、ちょうど今、勝利を得て帰って来たのでした。


揚州関連地図

揚州ようしゅう関連地図


タカオタカオ

おっ、孫策そんさくっ!久し振り(笑)

マリコマリコ

孫策そんさくさんは袁術えんじゅつさんの配下になったってこと?

王先生王先生

そうですね。

タカオタカオ

そうしないと、陸康りくこうみたいに攻められてしまうからねっ!

マリコマリコ

なるほど…。

王先生王先生

ちなみに正史せいし三国志さんごくしでは、孫策そんさく叔父おじの名前は呉景ごけいです。

独立の密談


王先生王先生

さて、宴会が散会になって、孫策そんさくが陣屋に帰ってきます。


孫策そんさくは宴会の席上で袁術えんじゅつの対応があまりに傲慢ごうまんだったことを思い出し、月の光を浴びて気分を晴らそうと庭に出ましたが、


(父の孫堅そんけんはあれほど英雄であったのに、自分はこんなにも落ちぶれてしまったか…)


という思いがあふれて、声を出して泣き始めます。

すると突然、大笑いしながら外から入ってくる者がいて、


伯符はくふ孫策そんさくあざな)どの、どうなされた?

御尊父ごそんぷ孫堅そんけん)がご存命の時にはいつも私に相談されていたのに、何を1人で泣いておられるのですか?」


と言いました。この男は、丹楊郡たんようぐん丹陽郡たんようぐん)・故鄣県こしょうけんの人、姓はしゅ、名はあざな君理くんりといい、元孫堅そんけん従事じゅうじ(属官)をしていた者でした。

孫策そんさくは涙を拭って朱治しゅちまねき入れると、泣いていた理由を話します。

すると朱治しゅちは言いました。


「それならば、袁術えんじゅつどのから軍勢を借り受け、『呉璟ごえいどのを救うため』という名目で江東こうとうに渡り、一旗げられてはどうでしょう。いつまでも他人の下に使われているおつもりですかな?」


そんな話をしているところへ、もう1人外から外から入って来ます。


「あなた方のお気持ちは良く分かっています。私の配下に百人の強者つわものがおるが、及ばずながら伯符はくふ孫策そんさくあざな)どのにお力添ちからぞえいたしましょう」


見るとその男は、豫州よしゅう予州よしゅう)・汝南郡じょなんぐん西陽県さいようけん細陽県さいようけん)の人、姓はりょ、名ははんあざな子衡しこうといい、袁術えんじゅつ参謀さんぼうでをしている者でした。

孫策そんさく呂範りょはんに座を勧めると、呂範りょはんはまた言いました。


「1つ問題なのは、袁術えんじゅつどのは兵を貸さないと思うのです」


すると孫策そんさくは、


「私には亡父(孫堅そんけん)がのこした伝国の玉璽ぎょくじがある。あれをカタに入れよう」


と言い、呂範りょはんも、


「それは袁術えんじゅつどのが以前から欲しくてたまらなかった物なので、きっと兵隊を貸してくれるでしょう」


と言ったので、「伝国の玉璽ぎょくじをカタに袁術えんじゅつから兵を借りること」で、3人の話はまとまりました。



マリコマリコ

やっぱり孫策そんさくさんも、今の状況に満足してたわけではなかったんですね。

タカオタカオ

そりゃそうさっ!

マリコマリコ

でも呂範りょはんさん、出てきたの初めてですよね。袁術えんじゅつさんの参謀さんぼうって大丈夫かな?

タカオタカオ

確かに…。この秘密を密告されたらやばいな。

王先生王先生

三国志演義さんごくしえんぎには描かれていませんが、呂範りょはん孫堅そんけんの配下でした。

マリコマリコ

なら安心ですねっ!


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孫策の出陣

孫策の出陣

画像出典:ChinaStyle.jp

伝国の玉璽を預ける


王先生王先生

次の日、さっそく孫策そんさくは計画を実行に移します。


袁術えんじゅつ謁見えっけんした孫策そんさくは、泣きながら平伏して言いました。


わたくし、父のかたきてていないのに、今また叔父おじ呉璟ごえい揚州刺史ようしゅうしし劉繇りゅうように圧迫されております。わたくしの老母や家族はみな曲阿県きょくあけんにおりますゆえ、危害を受けるに違いありません。

どうか数千の兵をお借りして、長江ちょうこうを渡って助けに参りたく思っております。

我が君、もし信用できぬとおっしゃるのならば、亡父(孫堅そんけん)がのこした伝国の玉璽ぎょくじがございますので、これを担保たんぽとしてお預けいたしましょう」


すると袁術えんじゅつは、すぐに「伝国の玉璽ぎょくじ」を取り寄せさせると、うっとりとながめまわし、


わしはお前の玉璽ぎょくじが欲しいのではないが、まずしばらく手元に預かっておこう。3千の兵と馬5百頭を貸してやるから、敵を平定したらすみやかに戻れ」


と言い、官位が低くてはそれだけの兵を指揮することが出来ないからと、孫策そんさく折衝校尉せっしょうこうい殄寇将軍てんこうしょうぐんに任命するように上奏し、日を選んで出陣するように言いました。



マリコマリコ

伝国の玉璽ぎょくじ孫堅そんけんさんが洛陽らくようの井戸で見つけたものですよねっ!

タカオタカオ

そうだね。それにしても袁術えんじゅつは下心丸見えだよ(笑)

マリコマリコ

伝国の玉璽ぎょくじって、そんなに凄い物なの?

王先生王先生

代々の皇帝に受け継がれて来た物ですからね。

タカオタカオ

持ってるだけで皇帝になれるなら、孫堅そんけん孫策そんさくが皇帝になってるさ(笑)

王先生王先生

確かにそうですねっ!(笑)

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周瑜との再開


王先生王先生

袁術えんじゅつから兵を借り受けた孫策そんさくは、すぐに出陣の準備に取りかかります。


孫策そんさく朱治しゅち呂範りょはんに加え、父・孫堅そんけんの代からの大将、程普ていふ黄蓋こうがい韓当かんとうらを従え、吉日を選んで出陣しました。


そして、孫策そんさくの軍勢が揚州ようしゅう九江郡きゅうこうぐん歴陽国れきようこくまで来ると、前方から一手の軍勢がやってくるのが見えます。

真っ先に進むのは、姿すがた優美にして顔形清らかな大将で、孫策そんさくを見るやすぐさま馬から下りて平伏したその男は、孫策そんさくの義兄弟・周瑜しゅうゆでした。



王先生王先生

ここで少し、孫策そんさく周瑜しゅうゆの関係についてお話しておきましょう。

周瑜しゅうゆの特長と略歴

周瑜・公瑾(しゅうゆ・こうきん)

姓はしゅう、名はあざな公瑾こうきん揚州ようしゅう廬江郡ろこうぐん舒県じょけんの人。

孫堅そんけん董卓とうたく討伐に加わった時、孫堅そんけんは家族を舒県じょけんに移していました。

周瑜しゅうゆ孫策そんさくと同い年だったこともあり、彼と大変親しく交わって兄弟のちぎりを結び、孫策そんさくの方が二月ふたつき早く生まれていたので、周瑜しゅうゆはいつも孫策そんさくを兄と呼んでいました。

この時は、周瑜しゅうゆ従父おじ丹楊太守たんようたいしゅ周尚しゅうしょうを訪ねて行く途中、偶然孫策そんさくに出会ったのでした。



マリコマリコ

わぁ〜、周瑜しゅうゆさんっ!

タカオタカオ

そっか、映画『レッドクリフ』で興味を持ち始めたんだったら、周瑜しゅうゆは知ってるか。

マリコマリコ

うん。周瑜しゅうゆさんは知ってるっ!

王先生王先生

これから独立しようとする孫策そんさくにとっては、心強い再会ですねっ!

江東の二張

王先生王先生

周瑜しゅうゆと再会した孫策そんさくは、周瑜しゅうゆに本心を打ち明けます。


「私も及ばずながら、力を尽くして旗げのお助けをいたしましょう」


周瑜しゅうゆが喜んで協力を引き受けると孫策そんさくは、


公瑾こうきん周瑜しゅうゆあざな)が加わってくれれば、もう成功したも同然だ」


と言って、周瑜しゅうゆ朱治しゅち呂範りょはんを紹介します。

周瑜しゅうゆは2人にあいさつをすると、孫策そんさくに言いました。


「兄上(孫策そんさく)、旗げしようとのくわだてならば、『江東こうとう二張にちょう』をご存知ですか?」


二張にちょう」のことを知らなかった孫策そんさくは、「二張にちょうとは何のことだ?」とたずねます。

すると周瑜しゅうゆは、


「1人は徐州じょしゅう彭城国ほうじょうこく張昭ちょうしょうあざな子布しふ。もう1人は徐州じょしゅう広陵郡こうりょうぐん張紘ちょうこうあざな子綱しこう

この2人とも、天地をめぐらす才能ある者ながら、乱を避けてこの近くに隠れ住んでおります。

兄上(孫策そんさく)、2人をまねかないわけにはまいりません」


これを聞いた孫策そんさくは喜んで、早速使いに贈り物を持たせてまねき寄せようとしましたが、2人とも固く断ってきました。

そこで孫策そんさくは、みずから2人をたずねて大そう気に入ると、筋道を立てて詳しく志を説明して協力を願ったので、2人もやっと孫策そんさくに協力することを承諾します。

孫策そんさくは、張昭ちょうしょう長史ちょうしとして撫軍中郎将ぶぐんちゅうろうしょうを兼ねさせ、張紘ちょうこう参謀さんぼう正議校尉せいぎこういとして劉繇りゅうよう攻撃の相談をしました。



タカオタカオ

ここで「江東こうとう二張にちょう」が加わったのか。

マリコマリコ

孫策そんさくさんの元に、続々と人が集まって来ますね。

タカオタカオ

袁術えんじゅつ配下のいち将軍しょうぐんに過ぎない孫策そんさくに仕えるんだから、凄い先見の明だよ。

王先生王先生

まあ、孫堅そんけんの息子だからってこともあるでしょうけどね。


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孫策が張英を破る

孫策が張英を破る

画像出典:ChinaStyle.jp

揚州刺史・劉繇


王先生王先生

ここで少し、孫策そんさくが戦おうとしている劉繇りゅうようについてお話ししておきましょう。

劉繇りゅうようの特長と略歴

劉繇(りゅうよう)

姓はりゅう、名はようあざな正礼せいれい青州せいしゅう東萊郡とうらいぐん牟平県ぼうへいけんの人。

かんの皇室の一門にあたり、太尉たいい劉寵りゅうちょうおい兗州刺史えんしゅうしし劉岱りゅうたいの弟です。

この時、揚州刺史ようしゅうししに任命されて寿春県じゅしゅんけんに軍隊を置いていましたが、袁術えんじゅつのために追われて江東こうとうに渡り、曲阿県きょくあけんに来ていました。


孫策そんさくの兵が押し寄せて来ると聞き、劉繇りゅうようは急いで大将たちを集めて軍議を開きます。


すると開口一番、劉繇りゅうようの部将・張英ちょうえいが、

「私が1隊をひきいて牛渚ぎゅうしょを守りますれば、たとえ百万の兵とても近づかせませんっ!」


と進み出ますが、その言葉も終わらぬうちに幕下の1人が進み出て、


「私にその先陣をお任せくだされっ!」


と、声高に叫びました。

見れば、青州せいしゅう東萊郡とうらいぐん黄県こうけんの人、太史慈たいしじでした。

太史慈たいしじ青州せいしゅう北海郡ほっかいぐん孔融こうゆうを助けた後、劉繇りゅうようの下に身を寄せていましたが、孫策そんさく軍の襲来を知って先陣を志願したのでした。

ですが劉繇りゅうようは、


「お前はまだ若い。大将にはできぬ。わしそばで命令を待つが良い」


と言って却下し、太史慈たいしじは不満の面持ちで退出しました。



マリコマリコ

太史慈たいしじさんって、孔融こうゆうさんのために劉備りゅうびさんに救援を求めに行った人ですよねっ!

タカオタカオ

そうだね。そういえば、その時も劉繇りゅうようのところに行くって言ってたね。

マリコマリコ

太史慈たいしじさんなら孫策そんさくさんにも勝てるかも…。

王先生王先生

かもしれませんね。ですが劉繇りゅうようは、彼をもちいることはありませんでした。

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蔣欽と周泰


王先生王先生

さて、劉繇りゅうように先陣を任された張英ちょうえい牛渚ぎゅうしょとりでに入りました。


張英ちょうえいは兵をひきいて牛渚ぎゅうしょとりでに到着すると、10万の食糧を倉庫にたくわえます。

いよいよ孫策そんさくが攻め寄せて来ると、張英ちょうえいは打って出て散々に孫策そんさくの悪口を言い立てました。

これに孫策そんさく軍からは黄蓋こうがいが進み出て張英ちょうえいに打ちかかりますが、戦いをまじえること数合にもならないうちに、突然張英ちょうえいの陣から火の手が上がって大混乱となります。

そして、驚いた張英ちょうえいが急いで陣に帰ろうとしたところに孫策そんさく軍が襲いかかったので、張英ちょうえいはたまらず牛渚ぎゅうしょとりでてて山奥に逃げ込みました。


さてこの時、陣の後ろから火をかけたのは、

  • 揚州ようしゅう九江郡きゅうこうぐん寿春県じゅしゅんけんの人、蔣欽しょうきんあざな公奕こうえき
  • 揚州ようしゅう九江郡きゅうこうぐん下蔡県かさいけんの人、周泰しゅうたいあざな幼平ようへい

という2人の大将でした。

2人とも乱世をさいわいに、仲間を集めて長江ちょうこう沿岸えんがんで盗賊として暮らしていましたが、孫策そんさく江東こうとう豪傑ごうけつであり、また賢者をまねき入れる度量があると聞いて、3百人余りの部下を引き連れてやって来たのでした。

孫策そんさくはいたく喜んで、2人を車前校尉しゃぜんこういに取り立て、牛渚ぎゅうしょの倉庫にあった食糧・武器、降伏兵4千人余りを手に入れました。



タカオタカオ

やっぱりな。太史慈たいしじに任せとけば良かったんだよ(笑)

マリコマリコ

袁術えんじゅつさんに借りた兵は3千人でしょ?これで孫策そんさくさんの兵は倍以上になったねっ!

タカオタカオ

それに蔣欽しょうきん周泰しゅうたいもなかなかの豪傑ごうけつだよ。

王先生王先生

張英ちょうえいを敗走させた孫策そんさくは、さらに神亭しんていまで兵を進めます。


孫堅そんけんの死後袁術えんじゅつもとに身を寄せていた孫策そんさくは、その身の上をなげいていました。

そして、孫策そんさくの旧臣・朱治しゅち呂範りょはんの助言を受けた孫策そんさくは、父・孫堅そんけんのこした「伝国の玉璽ぎょくじ」を差し出して袁術えんじゅつから兵を借り、「叔父おじ呉璟ごえいを助ける」という名目で揚州刺史ようしゅうしし劉繇りゅうよう討伐に乗り出します。

これに対し劉繇りゅうよう牛渚ぎゅうしょとりで張英ちょうえいを派遣しますが、予想外の蔣欽しょうきん周泰しゅうたいの出現により、孫策そんさく軍に撃ち破られてしまいました。



王先生王先生

次回は、ついに太史慈たいしじ孫策そんさくいどみます。

次回

【056】小覇王・孫策の誕生。孫策と太史慈の一騎打ち

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