絶世の美女・貂蝉の働きにより呂布を味方につけ、ついに董卓の殺害を成し遂げた王允ですが…。
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目次
王允が政権を握る
画像出典元:珍蔵懐旧版四大名著連環画「三国演義」
前回は、ついに董卓の誅殺が成功したところまででしたよね。
うん。貂蝉さんはどうなるんだろう?
そうですね。今回は董卓殺害後のお話になります。
ご確認
この記事は『三国志演義』に基づいてお話ししています。正史『三国志』における董卓殺害後の出来事については、こちらをご覧ください。
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董卓一族の処刑
では、今回のお話を始めましょう。
董卓の死体を市中に晒した王允は、董卓の財産を没収し、董卓の一族を捕らえさせるため、呂布・皇甫嵩・李粛に5万の兵を与えて郿塢に向かわせます。
すると、李傕・郭汜・張済・樊稠らは、すぐさま飛熊軍を引き連れて西涼に落ちのびました。
郿塢に着いた呂布は、一番に貂蝉を探しだして長安に送り返します。
皇甫嵩は塢に捕らわれていた良家の子女800人を釈放し、董卓の親族は老幼の分かちなく、男女1,500人余りを処刑しました。
この時郿塢には、黄金2〜3万斤、白銀8〜9万斤、綾錦・宝玉・器物は数知れず、米は8百万石あり、王允はその半分を政府に、半分を恩賞として兵士らに分け与えました。
1,500人処刑か…。徹底してるな。
貂蝉さんは、これから呂布さんと一緒にいて幸せなのかな?
それも覚悟の上だよ。
ちなみに吉川英治『三国志』では、目的を達した貂蝉は自害していますね。
その方が潔くて、日本人受けはしそう。
また、中国ドラマ『三国志 Three Kingdoms』では、呂布のことを本気で好きになっています。
私はそっちの方が好きかな。
原典の『三国志演義』では、後でもう一度だけ貂蝉が登場するシーンがありますよ。
蔡邕の死
さて、目的を達成した王允は、百官を集めて大宴会を催しました。
その宴会の最中「董卓の死体に取りすがって泣いている者がいる」という報告が入ります。
これを聞いた王允は大いに怒り、その者を捕らえて来るように命じると、引き出されて来たのは、なんと侍中の蔡邕でした。
蔡邕さんって誰でしたっけ?
「なんと!」って言われても(笑)
以前霊帝に宦官の悪事を報告したことがバレて、罷免された人ですね。
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ああ、そういえばそんなこともあったねっ!(笑)
悪を憎む、董卓さんの死を喜びそうな人だから、意外ってことですね。
そうですね。
「董卓は逆賊、誅に伏したのは国家の幸いではないかっ!お前は漢の朝臣でありながら、賊のために涙を流すとは何事だっ!」
王允が引き出されて来た蔡邕を叱責すると、
「私は不才なれど、大義はわきまえております。
決して国に背いて董卓に荷担するわけではありませんが、ただ知遇を受けた思い出に感極まって、我知らず涙しました。
自分の大罪はよく存じております。どうかお許しください。
たとえ顔に入墨し、足を切られ刑余の人となっても、生きながらえて漢の歴史の編纂を続け、罪のつぐないをさせていただけましたら、まことに幸いに存じます」
と、蔡邕は王允に許しを請います。
百官たちはみな蔡邕の助命嘆願をしますが、王允には許す素振りがありません。
すると太傅・馬日磾は、
「伯喈(蔡邕の字)どのは類い稀な逸材。孝行の誉れ高く、彼を殺しては人望を失うことになるでしょう」
と王允に耳打ちしました。
ですが王允は、
「昔(前漢の)孝武皇帝は、司馬遷を殺さず『史記』を編纂させたばかりに、とうとう誹謗の書物を後世に残すことになった。
今、国運は衰え、朝政は乱れている。邪な臣下に史筆を執らせていては、我らも悪名をこうむることになるであろう」
と言って、百官や馬日磾の意見を聞き入れず、蔡邕を牢に入れ、絞め殺すように命じます。
この蔡邕の死を聞いて、涙を流さない者はいませんでした。
悪い人だと分かっていても、董卓さんに良くしてもらっていたから、つい涙が出てしまったんですね。
なにも殺すことはないのに、自分の悪口を書かれそうだから殺したのか。王允もなかなかのクズだな(笑)
王允はこのことで、かなり評価を落としてしまいましたね。
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李傕・郭汜の反乱
画像出典元:珍蔵懐旧版四大名著連環画「三国演義」
賈詡の助言
さて、場面は変わって、逃亡した李傕・郭汜たちのお話になります。
西涼に落ちのびた李傕・郭汜・張済・樊稠らは、長安に使者を送って罪の許しを請いました。
ですが王允は、
「この4人は董卓の悪事に深く関わっている。天下に大赦令が出ているが、あやつらだけは許すことはできぬ」
と言って使者を追い返します。
報告を受けた李傕が、「赦免が得られぬのなら、みなそれぞれに亡命する他ない…」と肩を落としていると、参謀の賈詡が進み出て言いました。
「もし軍を捨てて1人1人バラバラになってしまったら、宿場の村長ですらあなた方を捕らえることができるようになってしまいます。
ここは同じような境遇の者を誘い集め、長安を攻めるのが上策です。勝利を得られなかった時に初めて、逃げることを考えても遅くはありません」
この進言を聞き入れた李傕らが、西涼一帯に「もうすぐ王允がやってきて皆殺しにされるぞ」という噂を流して仲間を集めると、その兵の数は10万人を越えました。
また李傕らは、董卓の娘婿・牛輔が5千の兵を率いて舅(董卓)の仇討ちに向かっているところに出会い、牛輔を先頭に長安に攻め寄せました。
10万っ!呂布さんがいれば大丈夫ですよね…。
賈詡…。李儒の他にも知恵袋がいたんだね。
そうですね。賈詡はこれが初めての登場です。
李粛の敗北
このことを知った王允は、呂布に相談します。
「司徒(王允)どの、ご安心あれ。奴らなど物の数でもござらぬ」
呂布が李粛と共に出陣すると、李粛は真っ先に牛輔と遭遇して敗走させました。
ですがその夜のこと、牛輔は李粛の陣に守りの薄いところを見つけ、夜討ちをかけて今度は李粛を敗走させます。
すると、兵の大半を失って敗走してきた李粛に腹を立てた呂布は、「我らの鋭気を挫きおってっ!」と、李粛を斬ってその首を軍門にかけさせました。
まじかっ!
ひどい…。
こんなことしたら、余計士気が下がるよね。
確かに。李粛は軍令違反をしたわけではないですからね。
牛輔の死
次の日、呂布は牛輔に戦いを挑み、みごとに撃ち破ります。
そして、呂布に大敗した牛輔は、秘かに腹心の胡赤児を呼んで言いました。
「呂布の武勇には何としても敵わない。いっそのこと李傕たち4人の目を盗み、我らだけで逃げようじゃないか」
牛輔はその夜のうちに、胡赤児と従者3、4人だけを連れて陣を抜け出しましたが、川を渡ろうとしたところで、胡赤児は牛輔を殺害して呂布の元に走ります。
ですが、従者から「胡赤児が牛輔が持っていた金や玉を奪った」ことを聞いた呂布は大いに怒り、胡赤児を斬り殺してしまいました。
呂布はまた、さらに軍を進めて李傕の軍を撃ち破り、50里(約21.7km)あまりも退却させます。
さすが呂布さん、強いっ!
そして牛輔も胡赤児もクズだな(笑)
確かに、2人とも褒められたものではないですね。
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長安の陥落と王允の死
画像出典元:珍蔵懐旧版四大名著連環画「三国演義」
李傕・郭汜の逆襲
呂布に敗れて山の麓に陣を移した李傕は、郭汜たちと相談します。
「呂布は武勇に優れているが、知謀が足りない。俺は谷の口を守って呂布を挑発するから、郭将軍は奴の背後を襲ってくれ。
そうやって山の麓におびき出し、その間に張済・樊稠の2将軍が長安に打ちかかれば、必ずや呂布を破ることができるだろう」
次の日、呂布が李傕の挑戦を受けると、背後から郭汜が攻め掛かり、郭汜に兵を向けると郭汜は兵を退き、今度は背後から李傕が攻め掛かりました。
前後から挑発を受け、戦うことも退くこともできない状態が数日間続いた頃、呂布の元に「張済と樊稠に攻められ長安が危うい」という早馬の知らせが届きます。
呂布が兵をまとめて急いで長安に引き返すと、その背後に李傕・郭汜が攻め掛かり、呂布は多くの兵を失ってしまいました。
李傕さんたちの作戦通りになっちゃったっ!
こういう時は片方を無視して、敵を1部隊ずつ各個撃破するのが正解だね。
タカオくんが呂布の軍にいたら、結果が変わっていたかもしれませんね(笑)
長安の陥落
さて、ここから戦況は一変します。
呂布は長安を包囲する張済・樊稠の軍に攻め掛かりましたが、勝つことができません。
すると、呂布の短気を恐れた兵士らが続々と敵に降伏していきます。
また数日後には、董卓の配下であった李蒙と王方が内通して内側から城門を開き、敵兵を城内に引き入れました。
城内に入られちゃったのっ!?
王允も呂布も、調子に乗って味方に厳しくし過ぎたから裏切られるんだよ。
恐怖で人を押さえつけるのは良くないですね。
確かにそうですね(笑)
呂布は攻め寄せる敵を次から次へと切り伏せますが、もはや支えきれないと思い、数百騎を引き連れて青瑣門の外へ行き、
「もはやこれまでです!
司徒(王允)どの、早く馬にお乗りください。ここは関所の外に出て、これからのことを考えましょう!」
と、王允に呼びかけました。
ですが王允は、
「私の願いは国家安泰にある。それが叶わぬとあれば、この身を捧げて死ぬだけじゃ。危急に当たって逃げも隠れもせぬぞっ!
どうか関東の諸君によろしく言ってくれ。国家のことを忘れぬようにとなっ!」
と言い、くり返し逃走を勧める呂布の言葉を聞こうとしないので、呂布はわずか百騎を率いて袁術の元に身を寄せました。
王允さん、逃げないのっ!?
なるほど。ここで死ねば、漢の忠臣として歴史に名前が残ると思ったんだな。
ちょっとそれは言い過ぎじゃないですか?(笑)
王允の死
呂布が逃亡すると、李傕らの兵が長安になだれ込みます。
李傕・郭汜らは兵に自由に略奪を許したので、兵たちは放火・殺人・強姦など、あらゆる悪事をはたらきました。
そして、太常の种仏はなおも賊軍と戦い、流れ矢に当たって討ち死に。
- 太僕の魯馗
- 大鴻臚の周奐
- 城門校尉の崔烈
- 越騎校尉の王頎
らも、みな戦死しました。
新しい人がたくさん出てきて覚えられないよ…。
覚えなくて良いよ。どうせ死んだんだし。
正史に詳しい人なら「この人たちも演義に名前が出てたんだ!」と嬉しくなる人たちですねっ!
天子(献帝)が宣平門に姿を現すと、李傕らは宮中を取り囲んでいた賊兵たちを押さえ、「万歳」を叫びます。
天子(献帝)が、
「そちらは命令もないのにこの長安に入って、何をしようと言うのだ?」
と問うと、李傕・郭汜らは、
「董太師(董卓)は陛下の重臣でございましたのに、理由もなく王允に謀殺されました。
臣らはその仇討ちに参りましたもの。謀反ではございませぬ。王允さえ見つかれば、撤退いたしましょう」
と答えました。
この時天子(献帝)の側にいた王允は、
「董卓の誅殺は、国家のためを思っていたしたこと。
今となっては陛下、私1人の命を惜しみ、国家の前途をお誤りなされてはなりません。私を奴らに引き渡してくださいませ」
と進言しますが、天子(献帝)がまだためらっているのを見て宣平門から飛び降り、
「王允はここだっ!」
と、声高に叫びました。
すると李傕・郭汜らは剣を抜いて王允に近づき、
「董太師(董卓)に何の罪があって殺したのだ?」
と問い詰めます。
「董賊めの罪悪は天地に満ち渡っておる。
あやつが誅を受けた時、長安の民たちがみな喜び合っていたのを、お主らも知らぬはずはあるまいっ!」
王允の答えを聞いた李傕・郭汜らは、また問いました。
「太師(董卓)に罪があったとして、我らに何の罪があって赦免されなかったのだ?」
そして王允がこれには答えず、
「逆賊めっ!いつまでしゃべっているつもりだっ!早く殺せっ!」
と罵ると、李傕と郭汜はその場ですぐさま王允を殺し、その後、王允の一族も残らず処刑しました。
王允さん…。
今回はまず、李傕たちを許しておびき寄せ、兵を全て奪うべきだったね。
私たちは結果を知っていますから(笑)はじめからその判断をするのはなかなか難しいですよ。
李傕さんたちは良い人とは思えないし、これからどうなっちゃうんだろう?
そうですね。その後、李傕と郭汜は話し合い「天子(献帝)を殺す」ことにします。
えぇっ!?
「はたして献帝の生命はどうなりましょうか」というところで、『三国志演義』の第9回が終わります。
董卓が生きていた時よりもマズいことになったな…。
董卓を誅殺し、長安で政権を奪取した王允ですが、元董卓配下の罪を許さなかったことから李傕・郭汜らの反乱を招くことになってしまいます。
長安は陥落し、呂布は袁術の元に逃亡。
そして、王允とその一族を処刑した李傕・郭汜らは、ついに献帝を殺害せんと、宮中に軍勢を向けました。
次回は、李傕・郭汜らに牛耳られた長安についてお話しします。