絶世の美女・貂蝉の働きにより呂布に董卓の殺害を決意させた王允は、ついに董卓を殺害する計画を練り始めます。
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董卓殺害計画
画像出典元:珍蔵懐旧版四大名著連環画「三国演義」
前回は、王允が呂布をそそのかして、董卓の殺害を決意させたところまででしたよね。
うん。あとはどうやって目的を達成するかですねっ!
そうですね。今回のお話は、そこから始まります。
ご確認
この記事は『三国志演義』に基づいてお話ししています。この、王允と貂蝉の「連環の計」については、『三国志演義』の創作になります。
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董卓殺害計画
では、今回のお話を始めましょう。
呂布が帰ると、王允は僕射の士孫瑞と司隷校尉の黄琬を呼んで、董卓の具体的な殺害方法について話し合います。
ちなみに僕射とは、尚書令(書記官長)の次官の、尚書僕射のことです。
司隷校尉は、司隷(首都圏)の長官だね。
その通りです(笑)
王允さんの他にも、仲間がいたんですねっ!
そこで士孫瑞が口を開き、
「ちょうど今、天子(献帝)がご病気から回復されたばかりです。弁舌に長けた者を遣わして『相談したいことがある』と董卓を呼び出し、一方で呂布に密勅を授けて董卓を討たせましょう」
と提案すると、王允・黄琬の2人も賛同し、次ぎにその使者を誰にするのかが問題になります。
すると士孫瑞は、
「騎都尉の李粛は呂布と同郷で、秘かに董卓の待遇に不満を持っています。この者ならば董卓も疑わないでしょう」
と言い、王允と黄琬も「それは良いっ!」と賛成しました。
士孫瑞さん、頭良いですねっ!
王允も黄琬も、同調してるだけだね(笑)
ところでタカオくん、騎都尉はどのような官職ですか?
えっ!?えっと…。
天子(皇帝)直属の騎兵を率いる隊長です。
李粛を味方につける
方針が決まると、王允は呂布を呼んで相談します。
すると呂布は、
「私に丁建陽(丁原)を殺せと そそのかした のは李粛だ。もし断れば、あいつから血祭りにあげてやろうっ!」
と言って、李粛のところへ向かいました。
呂布から董卓暗殺の計画を聞いた李粛は、
「私も前から董卓の奴を殺してやりたいと思っていましたが、共に決行する仲間がいなかったのです。
将軍(呂布)のお言葉は願ってもないこと。決して二心を抱くことはございません」
と言い、矢を折って誓いを立てました。
やったっ!
なんだか調子良いなぁ、李粛。土壇場で裏切らないか心配(笑)
呂布の言う「李粛が丁原を殺せとそそのかしたお話」はこちらです。
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董卓の最期
画像出典元:珍蔵懐旧版四大名著連環画「三国演義」
禅譲の勅書
さて、李粛は早速、董卓のいる郿塢に向かいます。
「ご病気が癒えました天子(献帝)は、文武百官を未央宮に集めて、御位を太師(董卓)にお譲りしたいとの思し召しです」
李粛がこう言って勅書を捧げると董卓は、「王允はどう言っている?」と問いかけました。
そして李粛が、
「王司徒は、すでに受禅台(帝位を譲るための祭壇)を築かせております。後は、我が君(董卓)のお出ましを待つばかりにございます」
と恭しく答えるのを聞いた董卓は大いに喜んで、
「夕べ儂は、1匹の竜にまとわれる夢を見たのだが、このことであっったか。この時を逃してはならぬ」
と、李傕・郭汜・張済・樊稠らに飛熊軍3千を与えて郿塢を守らせ、その日のうちに長安に向かうことにします。
また上機嫌の董卓は、天子(皇帝)に即位した暁には、李粛を執金吾に任命することを約束しました。
ちなみに執金吾は宮城の外を警備する武官で、官秩(俸禄)は九卿に匹敵します。
天子(皇帝)の位を譲るって、董卓さんを呼び出すための嘘ですよね。
もちろんそうさっ!普通は何度か辞退するのが作法だけどね(笑)
そうですね。董卓は1度目で受ける気満々です。
不吉な兆し
董卓は早速、母親の所に行って、帝位の禅譲を受けることを報告します。
これを聞いた90歳になる董卓の母が、
「私はなにやら胸騒ぎがします。とても吉兆とは思えませぬ…」
と言うと董卓は、
「母上は国母(皇太后)になるのです。胸が高鳴って当然です」
と笑い、貂蝉に向かって、
「儂が天子(皇帝)となったら、お前を貴妃にしてやろう」
と言いました。
これを聞いた貂蝉は、嬉しそうに董卓に礼を言います。
貂蝉さんも、いよいよ計画が実行に移されることを分かってるよね。
もちろん、貂蝉にも分かっていたでしょうね。
この時の貂蝉の笑顔は、本心からのものだな。
そうですね。
さて、董卓が長安に向かう途中、立て続けに不吉なことが起こります。
まず、30里も進んでいない所で馬車の車輪が折れ、馬に乗り換えると、馬が暴れて手綱を引きちぎりました。
董卓が「これは何の前兆か?」と尋ねると李粛は、
「これは、太師(董卓)さまが禅譲を受けて、古いものが新しいものに替わる兆しにございます」
と答えます。
また次の日、突然風が吹き起こり、霧が立ちこめて薄暗く空を覆いました。
すると李粛はまた、
「我が君(董卓)が天子の御位に就くことで、紅の光と紫の霧が、天威を盛んにしているのです」
と答えます。
これを聞いた董卓は大いに喜び、これらの不吉な兆しに気づくことなく長安に到着します。
李粛さん、グッジョブですねっ!
執金吾の位欲しさに裏切るかと思ったけど(笑)
タカオくんは疑り深いですね。
ですが、不吉な兆しはこれだけではありません。
呂布が丞相府に祝いにやって来ると、董卓は、「儂が天子(皇帝)となった暁には、お前に天下の兵馬を預けよう」と約束します。
そしてその日の晩、子供たちが歌う声が、董卓の寝所まで聞こえてきました。
〽 千里の草 何ぞ青々たる
十日の下 なお生ぜず
董卓が尋ねると、李粛はこう答えます。
「劉氏が滅んで董氏が興ることをあらわしています」
この歌も、董卓さんにとって不吉な意味があるんですね。
はい。この歌の意味については、こちらの記事で詳しく解説しています。
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次の日、董卓の元に1人の道士がやってきました。
道士は青い上衣に白い頭巾をかぶり、手に持った長い竹竿には、1丈(約231cm)ばかりの布がくくりつけられています。
そしてその布の両端に1文字ずつ、「口」の字が書かれています。
すると、またも董卓に問われた李粛は、「乱心者です」と言って、その道士を追い出しました。
この道士さんは何がいけないの?
「布」の上下に書かれた2つの「口」の字。「呂布」に気をつけろと警告しているのさ。
なるほどっ!
タカオくん、その通りです。冴えてますねっ!
こんなの誰にでも分かるでしょっ!(笑)
董卓の最期
さて、長安に到着した董卓が、ついに参内します。
北掖門(未央宮の正門)に着いた董卓は、決まりのため門外に軍兵を留め置き、董卓が乗った馬車には、わずか20人ばかりが従って中に入りました。
すると宮殿の門には、王允らが宝剣を手に立っています。
「これはどうしたことだっ!?」
この董卓の驚いた言葉には耳を貸さず、李粛は馬車を進めて門を閉めます。
そして王允が、
「謀反人じゃっ!」
と叫ぶと、左右から百人余りの兵が現れ、董卓を取り囲みました。
兵たちは董卓に突きかかりますが、上衣の下に具足(鎧)を着込んでいる董卓に致命傷を与えることができません。
「倅(息子)は、奉先(呂布の字)はどこだっ!?」
肘を負傷して馬車から転げ落ち、護衛の呂布を呼ぶ董卓の前に、その呂布が立ちはだかりました。
「逆賊を討てとの詔だっ!」
呂布が一突きに董卓の喉を突くと、すぐさま李粛が首を打ち落とします。
そして、呂布が懐から勅書を取り出し、
「賊臣・董卓を討てとの勅命である。他の者は罪には問わぬっ!」
と大声で言い渡すと、董卓に従った将兵たちも武器を捨て、みな「万歳」の声を上げました。
おぉ〜っ!やったっ!
ついにやったな…。
この時董卓・54歳。献帝の初平3年(192年)4月22日のことでした。
その後呂布は、董卓の無道に油を注いでいたのは李儒だと、李儒を捕らえて処刑します。
また、市中に晒された董卓の遺体のヘソに芯を立てて火をつけたところ、董卓は大変太っていたため、次の日まで火が消えず燃え続けたと言います。
これは聞いたことがあるぞ。
憐れな末路ですね…。
次回は、董卓死後の出来事についてお話しします。
貂蝉さんがどうなったのかが気になりますっ!
司徒・王允は、歌い女・貂蝉の我が身を捧げた見事な誘惑によって呂布を味方につけ、ついに董卓を殺害することに成功します。
ですがまだ、董卓の本拠地・郿塢には、李傕・郭汜・張済・樊稠らの飛熊軍3千が無傷のまま残っていました。
次回は、董卓死後の出来事についてお話しします。