初平(しょへい)3年(192年)末に起こった袁紹(えんしょう)と袁術(えんじゅつ)の揚州刺史(ようしゅうしし)を巡(めぐ)る争いと、公孫瓚(こうそんさん)と袁紹(えんしょう)・曹操(そうそう)が戦った「龍湊(りゅうそう)・・・
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「鮑信伝」早すぎる死を惜しまれた曹操の盟友
『三国志演義(さんごくしえんぎ)』では「汜水関(しすいかん)攻めの際に抜け駆けをして華雄(かゆう)に敗北を喫(きっ)した無能な将」として描かれている鮑信(ほうしん)とは、一体どんな人物だったのでしょうか。
青州黄巾はなぜ曹操に降伏したのか。曹操と青州兵の関係とは
初平(しょへい)2年(191年)、青州(せいしゅう)黄巾(こうきん)は冀州(きしゅう)・勃海郡(ぼっかいぐん)に侵攻して公孫瓚(こうそんさん)に撃ち破られましたが、捕虜となった一部の兵を除いて公孫瓚(こうそんさん)に降伏・・・
青州黄巾の兗州侵攻。兗州牧となった曹操と青州兵
初平(しょへい)3年(192年)4月に起こった青州(せいしゅう)黄巾(こうきん)の兗州(えんしゅう)侵攻と、兗州牧(えんしゅうぼく)となった曹操(そうそう)が取り込んだ青州兵(せいしゅうへい)についてまとめています。
【三国志年表詳細】191年の主な出来事と三国志群雄勢力図
191年【漢:初平(しょへい)2年】に起こった主な出来事をまとめ、それをもとに群雄勢力図を作成しました。人員配置は前年から変更が記されていない官職と、新たに確認できた官職のみ記載しています。