本拠地である兗州(えんしゅう)の奪還のために徐州(じょしゅう)から引き返して来た曹操(そうそう)ですが、陳宮(ちんきゅう)の助言により2度に渡る大敗北を喫(きっ)し、呂布(りょふ)による追撃を受けていましたが…・・・
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【三国志年表詳細】194年の主な出来事と三国志群雄勢力図
194年【漢:興平(こうへい)元年】に起こった主な出来事をまとめ、それをもとに群雄勢力図を作成しました。人員配置は前年から変更が記されていない官職と、新たに確認できた官職のみ記載しています。
【040】濮陽の戦い①|曹操の敗北と典韋の活躍
陶謙(とうけん)の配下に父・曹嵩(そうすう)を殺害されたことで、これを陶謙(とうけん)の責任として徐州(じょしゅう)に攻め込んだ曹操(そうそう)。 ですが、本拠地の兗州(えんしゅう)で呂布(りょふ)・陳宮(ちんきゅう)ら・・・
「陶謙伝」悪人か善人か?劉備に徐州を譲った老将の評価
『三国志演義(さんごくしえんぎ)』では、民の安寧(あんねい)を願うだけの好好爺(こうこうや)のように描かれ、正史(せいし)『三国志(さんごくし)』を編纂(へんさん)した陳寿(ちんじゅ)の評では「論評に値しない」と酷評(こ・・・
【039】兗州の反乱に曹操は兵を退き、劉備が小沛に駐屯する
曹操(そうそう)軍の来襲に、青州(せいしゅう)・北海国(ほっかいこく)の孔融(こうゆう)に援軍を求めた陶謙(とうけん)ですが、北海国(ほっかいこく)でも反乱が起こり、陶謙(とうけん)を救援する余裕はなくなってしまいました・・・