十常侍(じゅうじょうじ)・張讓(ちょうじょう)たちに連れ去られた少帝(しょうてい)と陳留王(ちんりゅうおう)を保護し、朝廷で権力を握った董卓(とうたく)が次に行ったこととは…。
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【013】連れ去られた少帝と陳留王のゆくえと董卓による朝廷支配
大将軍(だいしょうぐん)・何進(かしん)の仇討ちとばかりに宮中に突入した袁紹(えんしょう)たちは悲願の宦官一掃に成功しましたが、後漢の天子・少帝(しょうてい)と陳留王(ちんりゅうおう)は、十常侍(じゅうじょうじ)・張讓(・・・
【三国志年表詳細】181年の主な出来事と三国志群雄勢力図
181年【漢:光和(こうわ)4年】に起こった主な出来事をまとめ、それをもとに群雄勢力図を作成しました。人員配置は前年から変更が記されていない官職と、新たに確認できた官職のみ記載しています。
【012】十常侍たちの謀略にハマった何進と決行された宦官一掃計画
何太后(かたいごう)に宦官(かんがん)一掃を認めさせるため、何進(かしん)はついに洛陽(らくよう)に諸豪族を呼び寄せることを決定しました。そこへ進み出た曹操(そうそう)は、一体何を言い出すのでしょうか?
何氏(霊思何皇后)。卑賤の身から皇太后にまで昇りつめた霊帝の皇后
『三国志演義』では悪女のように描かれている、後漢第12代皇帝・霊帝(れいてい)の皇后(こうごう)・何氏(かし)とはどんな人だったのでしょうか。卑賤(ひせん)の身でありながら皇后(こうごう)、皇太后(こうたいごう)にまで昇・・・
諸豪族の入洛。董卓はどのようにして権力を手中に収めたのか
袁紹(えんしょう)たちによる宦官一掃を受けて、少帝(しょうてい)と陳留王(ちんりゅうおう)は宦官たちに連れられて洛陽(らくよう)を脱出してしまいました。 そして、少帝(しょうてい)と陳留王(ちんりゅうおう)を保護して洛陽・・・